最大サイズの懐中時計 《ドクサ 24 1/4リーニュ》 銀無垢ケース スイス製 1906 - 10年頃


突出部分を除くケースの直径 61.5 mm

風防を含む最大の厚さ 19.3 mm  重量 155.8 g


 最も大きな部類に属する懐中時計。およそ百年前にスイスで制作されたものです。二十四リーニュ、十五石のムーヴメントを、800シルバーの銀無垢ケースに入れています。





 本品の文字盤は琺瑯(ほうろう)文字盤です。琺瑯文字盤は「瀬戸引(せとびき)文字盤」とも呼ばれ、金属製文字盤の上に不透明白色ガラスでエマイユを施したものです。金属が温度変化で膨張・収縮する一方、ガラスの体積は温度変化の影響をほとんど受けません。またガラスは金属と違って靭性(じんせい 伸び縮みに対する耐性)に劣ります。そのため歪(ひずみ)や衝撃に弱く、硬くても簡単に割れてしまいます。それゆえアンティーク懐中時計の琺瑯文字盤は、大抵の場合、長い歳月を経るうちに表面に亀裂が入ったり、縁が欠けたりしています。しかるに本品の文字盤は驚くほど優れた保存状態で、瑕疵(かし キズ、欠点)がまったくありません。一箇所のヘアライン(微細な亀裂)もフリーバイト(縁によく見られる極小の欠け)も無く、新品として作られたときのままの状態です。よほどうまく作られた文字盤であるうえに、これまで大切に扱われてきたことがわかります。

 文字盤の周囲十二か所にある「長針五分ごと、短針一時間ごと」の数字を「インデックス」(英 index)といいます。本品のインデックスは黒色のローマ数字で、非常に綺麗に書かれています。当時の時計のインデックスはすべて手書きされていました。本品のインデックスも、熟練の専門職人による神業のような技術で書かれています。

 ローマ数字の文字盤では四時を表すのに四本のイー(I ラテン語読み)を並べることが多くありますが、本品でも同様の表記法が採られています。





 文字盤の上部には、メーカー名「ドクサ」(DOXA)の上に、流麗な斜体で「アンティマニェティーク」と書かれています。 「アンティマニェティーク」(Anti-Magnétique)とはフランス語で「磁化防止」「耐磁」という意味で、「ひげぜんまい」という部品が磁化しない(あるいは、磁化しにくい)合金でできていることを示しています。

 機械式時計の心臓部にあたるのが「調速脱進機」と呼ばれる機構で、なかでも「天符」(てんぷ)は最重要部品です。「天符」は振子に相当する部品であるゆえに、まさに時計の本体といえます。この天符を調速する(正しい周期で振動させる)役割を担うのが、「ひげぜんまい」に他なりません。

 ひげぜんまいは他のぜんまいやバネと同様に弾性を必要とするので、鋼で作られます。古い時代の懐中時計や腕時計には、ブルー・スティール製のひげぜんまいが頻用されています。ブルー・スティールは酸化しにくいし、見た目も美しいですが、磁化を防ぐ性能は有しません。ひげぜんまいが磁化すると、天符の振動する周期が短くなって、時計が非常に速く進み始め、正しい時間を測れません。





 本品のひげぜんまいは白銀色で、錆はまったく見当たらず、非磁性のステンレス・スティールでできていると思われます。ひげぜんまいの耐磁性が向上し、時計の文字盤に「アンティマニェティーク」(アンティマグネティック)の表示が多く表れるのは 1950年代です。本品はそれよりも四十年以上前に製作されていますから、同時代の多くの時計と比べると、たいへん先進的であることがわかります。

 上の写真は本品のひげぜんまいを写したもので、外端が上方に持ち上げられているのがわかります。このようなひげぜんまいを「巻き上げひげ」と呼びます。「巻き上げひげ」はアブラアン・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet, 1747 - 1823)というフランス人時計師が発明したもので、この人の名前を取って「スピラル・ブレゲ」(仏 spiral Breguet)、「ブレゲひげ」とも呼ばれます。巻き上げひげ(スピラル・ブレゲ)は製作するのが難しく高価ですが、非常に優れた精度で振動します。





 現代の時計の秒針は「センター・セカンド」といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して懐中時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、「スモール・セカンド」といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを製作するのは技術的に困難で、「センター・セカンド」が普及するのは1960年代です。それ以前の時計はほとんどすべて「スモール・セカンド」方式です。本品の場合も、文字盤の六時の位置に、スモール・セカンド(小秒針)用の小文字盤が設けられています。

 短針、長針、秒針は良好な状態で、折れ、曲がり、錆(さび)等の問題は何もありません。針はいずれもブルー・スティール製です。「ブルー・スティール」(英 blue steel 「青い鋼(はがね)」の意)とは鋼鉄製の針を加熱し、青い酸化被膜を作ったものです。「ブルー・スティール」は錆の発生を防ぐための加工ですが、作るのに手間がかかるので、現代では数十万円以上の時計にしか用いられなくなっています。現代の安価な時計の青い針は、大抵の場合、「ブルー・スティール」を模して青く塗装しています。本品の針は真正のブルー・スティールです。





 時計内部の機械を「ムーヴメント」(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)を「ケース」(英 case)といいます。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、男性の間で大型の懐中時計が流行していましたが、なかでも本品は極めて大型で、突出部分を除くケースの直径は 61.5ミリメートル、風防を含む最大の厚さは 19.3ミリメートルに達します。重量は 155.8グラムで、手に取るとずしりとした重量を感じます。

 本品を文字盤側から見ると、ケース外縁の十二時と一時の間に小さな出っ張りがあります。これは「ダボ押し式時刻合わせ」のためのボタンです。1920年代よりも後に作られた時計は、竜頭(りゅうず ツマミ)を引き出して回すことにより時刻合わせを行いますが、二十世紀初頭までの懐中時計には、時刻合わせをするのに何種類もの方式がありました。本品は「ダボ押し式」といって、直径二ミリメートルほどのボタンを爪で押し込み、そのままの状態で竜頭を回転させると針が早回しできて、時刻を合わせることができます。「ダボ押し式」のボタンを押し込まずに竜頭を回転させると、ぜんまいが巻けます。

 アンティーク懐中時計はすべて手巻式ですから、竜頭が良い状態であることは大切なポイントです。竜頭が摩耗していると、ぜんまいが巻けず、時計を使うことができません。本品の竜頭はほとんど摩耗しておらず、たいへん良い状態です。長く愛用して竜頭が摩耗すれば、当店で交換することが可能です。ボウ(竜頭の部分に取り付けられている環)に関しても緩みは無く、良い状態です。

 十二時にあるケースの突出には、竜頭の少し下に小さなくぼみがあります。これはかつてスイスにおいて 800シルバーを表していた「雷鳥」のホールマーク(貴金属の検質印)です。裏蓋の内側とダストカバーの内側にも、同じホールマークが刻印されています。





 本品のケースはめっきではない銀でできています。本品のような銀製ケースの時計を「銀無垢(ぎんむく)時計」といいます。裏蓋は表面が磨滅して滑らかになり、もともと施されていたギョーシェ彫り(同心円の彫金)も失われかけていますが、銀無垢であるゆえにベース・メタルが露出することもなく、アンティーク品ならではの美しい味わいとなっています。裏蓋の中央には十八世紀風のロカイユがあり、「エミール・リュエッグ」(Emil Rüegg)という男性名が彫られています。





 上の写真は裏蓋を開き、内側を撮影しています。"0.800" は 800シルバー、すなわち純度八百パーミル(八十パーセント)の銀を表します。"XX" はケースのメーカーの刻印です。ダストカバーにも同じ刻印があります。

 "588703" はケースのシリアル番号で、ダストカバーにも同じ番号が刻印されています。





 上の写真は裏蓋内側のホールマークを拡大したものです。"0.800 XX" の上には大きなくぼみに、下には小さなくぼみに、いずれも雷鳥を模(かたど)る刻印が見えます。これは 800シルバーを表すスイスのホールマーク(貴金属の検質印)で、小さいほうの「雷鳥」は、十二時の位置からケースの外側に突出した部分にも刻印されています。「雷鳥」のホールマークが制定されたのは 1882年で、1933年までは本品に刻印されている形の枠を伴って使われ、1933年に枠の形が変更されました。

 上の写真の右側に見える「弦月に王冠」(独 Halbmond und Krone)は、1884年に制定された帝政ドイツの銀のホールマークです。





 上の写真はダストカバーを開いたところです。カバーの内側には、裏蓋の内側と同様に、ホールマークとシリアル番号が刻印されています。下の写真はダストカバー内側のホールマークを拡大したものです。





 この時計ケースはスイス製ですが、スイスのホールマークとドイツのホールマークが混在しているのは、輸出品であったからです。本品はアメリカ合衆国にあったものですが、スイスのホールマークとともにドイツのホールマークが刻印されていることから、この時計が輸出されてドイツ国内で販売され、これをドイツで買った人がアメリカに持ち込んだものであることがわかります。





 ダスト・カバーの外側には、「ドクサ」(DOXA)というメーカー名が、いかにも二十世紀初頭の時計にふさわしく、アール・ヌーヴォー様式の書体で刻印されています。その上下には次の言葉がフランス語で刻まれています。

     フランス語    日本語訳    説明
           
     Médaille d'Or Milan 1906    1906年ミラノにて金メダル    1906年、イタリアのミラノで開かれた万国博覧会で、ドクサ社の時計が金メダルを獲得しました。
     Hors Concours Liège 1905    1905年リエージュにてオル・コンクール    1905年、ベルギーのリエージュで開かれた万国博覧会で、ドクサ社の時計が他者と比較するまでもなく優れた製品と評価されました。


 フランス語「オル・コンクール」(hors concours)を直訳すると「競技外」ですが、この句は人や事物の優越性が既に知られているゆえに、コンクールに参加する必要性が無いと評価されたことを表します。二十世紀初頭という早い時期に、ドクサはアンティマニェティーク(アンティマグネティック、耐磁)のひげぜんまいをいち早く装備しています。これは他社を大きく引き離す技術的快挙であり、「オル・コンクール」(競技外)や「メダイユ・ドール」(金メダル)の評価を得たこともうなずけます。





 現代の時計は電池で動く「クォーツ式時計」ですが、本品はぜんまいで動く「機械式時計」です。機械式時計には「手巻」と「自動巻」がありますが、「自動巻」が普及したのは二十世紀半ば以降です。しかるに本品は百年以上前、二十世紀初頭のものです。したがって本品を含め、アンティーク懐中時計はすべて手巻きの機械式時計であって、一日一回、竜頭(りゅうず)を回してぜんまいを巻く必要があります。ぜんまいを完全に巻き上げると、時計は一日半のあいだ動作します。

 この時代の懐中時計には、ぜんまいの巻き上げ・時刻合わせに関して、さまざまな方式があります。すでに説明したように、本品の時刻合わせは「ダボ押し式」が採用されています。ケース外縁の十時と一時の間に出っ張ったピンの頭を爪で押し込み、そのまま竜頭を回転させると、針が早回しされて時刻を合わせられます。ピンの頭を押し込まずに竜頭を回転させると、ぜんまいが巻けます。





 本品のムーヴメントの最も大きな特徴は、非常に大きいことです。地板の直径を実測したところ、54.3ミリメートルでした。これは二十四リーニュ強に相当し、携帯用時計としては最大のサイズです。1870年代から 1910年代には大型懐中時計を愛用する男性が多く、アメリカでも十八サイズという大きな時計が流行しました。十八サイズの地板の直径は 44.87ミリメートルで、これはヨーロッパでいえば二十リーニュ弱に相当します。本品のムーヴメントの直径は、十八サイズに比べて一センチートル近く大きいことになります。

 上の写真で赤く見えているのはルビーです。ルビー(コランダム)は非常に硬い鉱物であるゆえに摩耗に強く、時計ムーヴメントのなかでも脱進機をはじめとする特に重要な箇所に使用されます。本品は十五個のルビー製部品が使用された「十五石」のムーヴメントです。十五石の懐中時計は、二十世紀初頭のヨーロッパ製時計としては最も多い石数です。本品はひげぜんまいに先進的な耐磁合金を使い、銀無垢ケースを採用した高級品です。





 上の写真は文字盤を取り外し、ムーヴメントの地板側を撮影しています。"598017" はムーヴメントのシリアル番号です。なおムーヴメントのシリアル番号とケースのシリアル番号は互いに無関係です。





 本品は百年以上前のスイスで制作された真正のアンティーク時計ですが、たいへん古い年代にもかかわらず優れた保存状態で、十分に実用できます。琺瑯文字盤は無傷の完品です。ムーヴメントも正確に動作しています。

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168,000円 販売終了 SOLD

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