横浜居留地九十五番 アール・シュミット商会 《銀無垢商館時計 十三石 ダボ押し式 21 1/2リーニュ》 琺瑯文字盤 針にダイヤモンド様(よう)装飾 1895
- 1908年
シリアル番号: 16938
突出部分を除くケースの直径 55.3ミリメートル 地板の直径 48.4 mm
時計全体の最大の厚さ 18.0ミリメートル 重量 114.2グラム
直径55ミリメートルを超える大型の商館時計。横浜居留地九十五番にあったアール・シュミット商会(R. Schmid & Co.)がスイスから輸入した時計で、極めて良好な状態です。
商館時計とは、明治時代の横浜や神戸で、居留地や雑居地に支店を構えた商館(商社)が輸入した懐中時計のことです。商館は時計を制作したのではなく輸入しただけですが、ケースまたはムーヴメントには商館名の刻印が見られます。
明治時代の時計は、現代人には想像もできないぐらい高価な品物でした。それゆえ商館時計はたいへん美しく立派に作られています。本品も高級な銀無垢時計であり、たいへん立派なサイズです。時計の裏蓋はばね仕掛けで跳ね上がり、美しく繊細なムーヴメントの動きを見ることが出来ます。
ウォッチ(携帯用時計)という言葉で現代人は腕時計を思い浮かべます。しかしながら腕時計(リストウォッチ)が使われるようになったのは、今から百年ぐらい前のことです。本品は百二、三十年前のもので、この時代に腕時計は存在せず、ウォッチといえば懐中時計(ポケットウォッチ)のことでした。本品も着物の懐や洋服のポケットに入れて持ち歩く懐中時計です。
現代の時計は電池で動くクォーツ式です。しかしながらクォーツ式時計が使われ始めたのは今から五十年ほど前のことで、それ以前の時計はぜんまいで動く機械式でした。本品をはじめ、アンティーク時計は全て機械式です。
機械式時計とクォーツ式時計は同じような外見ですが、簡単な見分け方として、音を聞けば容易に判別できます。秒針付きのクォーツ式時計は一秒ごとに秒針の動作音がチッ、チッ、チッと聞こえます。秒針が無い時計や液晶表示の時計では、何の音も聞こえません。これに対して機械式時計を耳に当てれば、チクタクチクタクチクタク…という愛らしい動作音が聞こえます。
クォーツ式時計は便利なことに、ぜんまいを巻かずともずっと動いています。また時間が狂うこともないので、電池の入れ替え時を除けば時刻合わせも不要です。これに対して機械式時計では毎日ぜんまいを巻き、必要に応じて時刻合わせをすることになります。
ぜんまいを巻き、時刻を合わせる操作は、いずれも竜頭(りゅうず)で行ないます。竜頭とは懐中時計であれば十二時の位置から、腕時計であれば三時の位置から突出するツマミのことです。懐中時計の竜頭は大きな休憩で、滑り止めの刻みがあります。後世の時計は竜頭を引き出さずにそのままの位置で回転させれば、ぜんまいが巻けます。竜頭を一段引き出して回転させれば、時刻合わせができます。この方式をステム・ワインド、ペンダント・セットといいます。
しかしながら本品の方式はステム・ワインド、ピン・セット(ダボ押し式)といって、ぜんまいの巻き方は通常通りですが、時刻合わせの方法が異なります。本品の竜頭は引き出すことが出来ません。竜頭を引き出すのではなく、十一時過ぎの位置に突出したピン(ダボ)を押し込みながら竜頭を回転させると、時刻合わせができます。ステム・ワインド、ピン・セット(ダボ押し式)は古い様式の懐中時計に見られる仕組みです。
なお本品の竜頭にはバネが仕込んであって、竜頭を押し込むと懐中時計の裏蓋が開き、ムーヴメントを眺めることが出来ます。上の写真は香箱真に鍵を直結させている状態です。この状態で鍵を回すと、ぜんまいが巻けます。ムーヴメントの中央に見える突出は二番車の真に繋がっています。ここに鍵を嵌めて回すと、時刻合わせができます。
商品説明の最初で述べたように、本品は横浜の外国商社を通じて輸入されたスイス時計です。明治期の日本に輸入された本品のような懐中時計を、商館時計と呼んでいます。日本が欧米から輸入した時計について、1897年の「スイス時計年鑑」(Journal suisse d'horlogerie)106 - 107ページに次の統計が掲載されています。1897年は本品と同時代です。
◆ 製造国ごとの時計輸入額 ※単位はアメリカドル | ||||||||
1894年 | 1895年 | 1896年 | ||||||
スイス連邦 | 60,266 | 161,198 | 792,988 | |||||
アメリカ合衆国 | 2,972 | 7,701 | 59,220 | |||||
フランス | 3,238 | 9,358 | 41,055 | |||||
ドイツ | 11,694 | 9,002 | 16,340 | |||||
イギリス | 102 | 704 | 9,533 | |||||
ベルギー | - | 756 | 3,868 | |||||
上記以外の国 | - | 3 | 18 | |||||
合計 | 78,272 | 188,722 | 923,022 | |||||
◆ 港ごとの時計輸入額 ※単位はアメリカドル | ||||||||
1894年 | 1895年 | 1896年 | ||||||
横浜 | 65,346 | 157,915 | 746,947 | |||||
神戸 | 12,881 | 30,708 | 175,856 | |||||
長崎 | 45 | 99 | 219 | |||||
合計 | 78,272 | 188,722 | 923,022 |
商館時計で最も多いのは、横浜の商社を通じて輸入されたスイス時計であることがわかります。そのような時計のひとつが本品です。
時計内部の機械をムーヴメントといいます。ムーヴメントを保護する金属製の筐体(きょうたい)をケースといいます。
上の写真はケースの裏蓋を開けて、内側を撮影しています。最上部にあるのはスイスにおける純度八百パーミルの検質印(ホールマーク)で、ライチョウを象(かたど)ります。中段左で枠に囲まれた
0.800は、本品ケースが純度八百パーミル(八十パーセント)の銀で出来ていることを示します。中央部には馬上槍試合をする騎士が刻まれ、アール(R)とエス(S)の文字が読み取れます。騎乗の騎士はアール・シュミット商会のシンボルマークで、アール(R)とエス(S)は商会の創立者ロドルフ・シュミット氏のイニシアルです。下部の数字(16938)はシリアル番号です。
騎士の右に見えるライオン・パサント(英 a lion passant)は、純度八百パーミル(八十パーセント)の銀を示すイギリスの検質印です。本品のケースはイギリスの作られ、スイスに運ばれてムーヴメントを入れられたことがわかります。
蓋を跳ね上げると、ガラスがあります。このガラスはほこりや湿気からムーヴメントを守っています。本品のムーヴメントはガラスに守られ、錆も無く良い状態です。なおムーヴメントを覆うガラスは、薄くて割れやすいものが多いです。しかしながら本品は裏蓋に充分な高さがあり、ガラスも分厚いものが使われています。
裏蓋の刻印に話を戻します。先ほども引用した1897年の「スイス時計年鑑」(Journal suisse d'horlogerie)106 - 107ページには、次の統計が載っています。
◆ 横浜港から輸入されたケース材質ごとの時計数 ※単位は個
1894年 | 1895年 | |||||
金無垢 | 1,264 | 1,374 | ||||
銀無垢 | 33,512 | 87,987 | ||||
金張り | 924 | 1,516 | ||||
洋銀などホワイトメタル | 29,646 | 67,038 | ||||
合計 | 65,346 | 157,915 |
◆ 1895年に横浜港から時計を輸入した各商社のケース材質別ごと取り扱い数 ※単位は個
金無垢 | 銀無垢 | 金張り | 洋銀など | |||||||
Brühl frères & Ce | 634 | 30,286 | 1,133 | 39,352 | ||||||
Fr. Retz & Ce | 125 | 16,976 | 30 | 5,363 | ||||||
F. Herb & Ce | 265 | 13,120 | - | 6,669 | ||||||
J. Colomb & Ce | 26 | 8,597 | - | 3,998 | ||||||
Oppenheimer frères & Ce | 12 | 5,336 | - | 314 | ||||||
Siver, Brennwald & Ce | 103 | 2,504 | 6 | 1,050 | ||||||
C. & J. Favre-Brandt | 71 | 2,679 | - | 1.140 | ||||||
C. Illies & Ce | 8 | 1,728 | - | 915 | ||||||
C Weinberger & Ce | 36 | 1,313 | - | 1,636 | ||||||
American Trading Ce | 51 | 1,114 | 191 | 13 | ||||||
Cornes & Ce | 12 | 1,644 | - | - | ||||||
J. Witkowsky & Ce | - | 870 | - | 1,263 | ||||||
その他のヨーロッパ系四社 | 2 | 370 | 6 | 1,708 | ||||||
日系商社 | 29 | 1,450 | 150 | 3,617 | ||||||
小計 | 1,374 | 87,987 | 1,516 | 67,038 | ||||||
総計 | 157,915 |
明治時代と今日では社会の構造が大きく異なるので、当時の商館時計の価格を現在の貨幣価値に換算するのは困難です。1895年に横浜港から輸入された商館時計
157,915個のうち金無垢時計は 1,374個で、これは全体の 0.87パーセントにあたります。金無垢時計の価格は立派な家が買えるぐらいでした。現代の高級時計も数千万円から数億円ですから、金無垢の商館時計はこれと同じような価格であったと考えることができます。
すぐ上の表は 1895年のものですが、当時はヘロブ商会( F. Herb & Ce)がアール・シュミット社の時計を扱っていました。この表が示す通り、ヘロブ商会は 1895年に金無垢時計を 265個、銀無垢時計を 13,120個、横浜港から輸入しています。仮に金無垢時計の価格を現在の五千万円相当と考えると、銀無垢時計の値段はその数分の一から数十分の一でしたから、本品の価格は現在の貨幣価値で二、三百万円ぐらいであったと思われます。
上の写真は現代のクォーツ式時計に入っているムーヴメントの例です。ムーヴメントの大部分はプラスチックでできており、各部品は溶着あるいは接着されて修理やメンテナンスができません。数万円までの買いやすい価格の時計には、このような機械が入っています。ルビー不使用(NO
JEWELS)の表記もあり、長く使い続けることが想定されていないと分かります。
上の写真は本品のムーヴメントです。ムーヴメントの各部品はネジで留められ、分解、洗浄、再組み立てができるように作られています。ところどころに見える赤い石はルビーで、摩耗防止の役割を果たします。本品のように多数のルビーが使われた時計は、長く愛用されることを前提に作られています。本品もオーバーホール(分解掃除)によって往時の状態を取り戻し、充分に実用的な精度を保って元気に動いています。
上の写真で右上に写っているのが天符(てんぷ)で、クロックにおける振り子に相当します。天符にはチラネジという小さなネジが多数取り付けられていますが、天符が高速で振動(往復回転)しているので、ネジはブレて写真に写っています。
チラネジを取り付けた環状の部品を、天輪(てんわ)といいます。本品では天符が振動しても、天輪が全くブレずに写真に写っています。これは天真のホゾという髪の毛よりも細い部分に、ゆがみがないことを示しています。天符の内部に見えるひげぜんまいもたいへん良好な状態です。
本品は百数十年前の時計ですが、歳月の経過をものともせず、良好な制度を保って順調に動作しています。
本品の文字盤は琺瑯(ほうろう)文字盤です。琺瑯文字盤は瀬戸引(せとびき)文字盤とも呼ばれ、金属製円盤に不透明白色ガラスのエマイユを施したものです。
金属が温度変化で膨張・収縮する一方、ガラスの体積は温度変化の影響をほとんど受けません。またガラスは金属と違って靭性(じんせい 伸び縮みに対する耐性)に劣ります。そのため歪(ひずみ)や衝撃に弱く、硬くても簡単に割れてしまいます。アンティーク懐中時計の琺瑯文字盤は、大抵の場合、長い歳月を経るうちに表面に亀裂が入ったり、縁が欠けたりしています。
しかるに本品の文字盤は驚くほど優れた保存状態で、瑕疵(かし キズ、欠点)がまったくありません。一箇所のヘアライン(微細な亀裂)もフリーバイト(縁によく見られる極小の欠け)も無く、新品として作られたときのままの状態です。よほどうまく作られた文字盤であるうえに、これまで大切に扱われてきたことがわかります。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字をインデックスといいます。本品のインデックスは黒色のローマ数字で、非常に綺麗に書かれています。
当時の時計のインデックスはすべて手書きされていました。本品のインデックスも、熟練の専門職人による神業のような技術で書かれています。伝統的な時計の文字盤において、ローマ数字四は
IV ではなく IIII と表記されます。本品の表記も IIII です。
現代の時計の秒針は中三針式(なかさんしんしき)あるいはセンター・セカンド式といって、短針、長針と同様に、時計の中央に取り付けられています。これに対して懐中時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、小秒針式(スモール・セカンド式)といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを製作するのは技術的に困難で、中三針式は
1960年代以降にようやく普及します。それ以前の時計はほとんどすべて小秒針式です。
本品の場合も、文字盤の六時の位置に、小秒針用の小文字盤が設けられています。小文字盤のインデックスは、手書きのアラビア数字です。
短針、長針、秒針は良好な状態で、折れや曲がり、酷い錆(さび)等の問題はありません。短針と長針は装飾的な形状で、十九世紀のローズカット・ダイヤモンドを模した装飾を有します。
本品のケースはライチョウの検質印を各所に有し、めっきではない銀で制作した銀無垢(ぎんむく)清貧であることがわかります。蝶番、ダボの突起、吊り輪のみ、銀ではありません。ケース本体、ベゼル、裏蓋はいずれも銀で、表面のところどころが硫化して黒ずんでいます。硫化銀の黒ずみは古色(パティナ)と呼ばれ、真正のアンティーク品が長い年月をかけて獲得した風合いです。私はこの風合いが好きなので、ケースをクリーニングしていません。しかしながら新品のように輝くほうがお好きであれば、硫化銀の黒ずみはいつでも簡単に落とせます。
本品のケースは、文字盤を覆う蓋の無いオープン・フェイスというタイプです。風防は分厚いミネラル・ガラス製で、百数十年の歳月にかかわらず良好な状態です。
お客様によっては蓋付のハンター型懐中時計が好きな方もおられますが、当店はハンター・ケースの懐中時計を極力扱わないようにしています。ハンター・ケースにはいくつかの短所があって、最大の短所はガラスが非常に割れやすいことです。ハンター式懐中時計のガラスは、蓋を閉じる邪魔にならないように、平坦かつ極端に薄く作られています。厚さは一ミリメートルに足りません。それゆえ、たとえばガラスに触れてしまった場合、汚れを拭おうとして不用意に触れると、それだけで割れてしまいます。これはオープン・フェイス式懐中時計には起こり得ないことです。ハンター・ケース式懐中時計はガラスを保護するために蓋が付いているわけですが、その蓋を閉じるために極めて薄くなったガラスは、オープン・フェイスのガラスよりも格段に割れやすくなっています。
さらにハンター・ケースの懐中時計のガラスが割れた場合、交換することができません。百年以上前、多くの男性が懐中時計を使っていた時代には、ハンター式懐中時計のガラスも数多く作られて、割れればいつでも交換できました。しかしながらそれらのガラスはもはや作られていません。時計用ガラスのサイズは直径
0.1ミリメートル単位で合わせるのですが、ハンター・ケースの場合は直径のみならずガラスの厚みやカーブもケースの蓋に合致させる必要がありますので、アンティークのハンター式懐中時計に適合するガラスを見つけることは、ほぼ不可能です。このようなメンテナンス上の短所があるために、当店では専らオープン・フェイスの懐中時計を取り扱っています。
本品の裏蓋には多数の曲線を組み合わせた模様が彫られています。このような彫金模様をフランス語でギヨシまたはギヨシェ(仏 guillochis,
guilloché ギョーシェ彫り)、これを制作する技術をギヨシャージュ(仏 guillochage)といいます。ギヨシャージュは熟練したグラヴール(仏
graveur 彫金職人)が彫刻刀を使って行う美しい細工です。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
明治時代に輸入された当時、商館時計の価格は現在の貨幣価値に換算すれば、一個百万円台ぐらいから高価なものでは数千万円以上の高級品でした。それゆえ商館時計はステータス・シンボルとしての意味合いが強く、大型時計に人気がありました。本品も直径
55.3ミリメートル、厚み 18.0ミリメートル、重量 114.2グラムと立派なサイズです。瑕(きず)ひとつないローマ数字文字盤と装飾的な針に、銀無垢時計ならではの上品な高級感が滲み出ます。
本品は百二十ないし百三十年前にスイスで制作され、横浜居留地に店を構えるヘロブ商会または時計会社直営のアール・シュミット商会によって日本に輸入されました。たいへん古い品物ですが、保存状態は驚くほど良好です。ケース、竜頭、文字盤、針など、外見からわかる部分はすべて当時のままですが、美観上及び機能上の問題は何もありません。ガラスに瑕(きず)はありません。竜頭は良い状態で、ぜんまいをしっかりと巻くことが出来ます。機械の状態もきわめて良好であり、天符は大きな振り角で順調に動作しています。精度にはほとんど狂いがなく、充分に実用できる高級アンティーク時計です。
本体価格 135,000円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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