真珠 その十二 真珠のジュエリー
les perles ― 12. Bijoux de perles
(上) 天然シードパールによるトレンブランのブローチ イギリス 十九世紀
本稿では真珠のジュエリーを取り上げます。
【天然真珠から養殖真珠へ ― 真珠ジュエリーの発展】
・天然真珠のジュエリー
(上) 天然シードパールのパリュール イギリス 十九世紀
真珠といえば天然真珠しかなかった時代、海産、淡水産とも真珠はほとんど手に入りませんでしたし、たまに見つかる真珠も直径三ミリメートル以下と芥子(けし)粒のように小さなものが大部分でした。照りの良い芥子真珠は、富裕な家庭の令嬢用パリュール(仏
une parure イヤリング、ペンダント、ブローチのセット)によく用いられました。芥子真珠のパリュールは未婚女性の印であり、社交の場において、結婚相手を探しているという意思表示の道具として機能しました。
いっぽう大きな天然真珠の値段は信じがたいほど高価でしたから、真珠ジュエリーを手に入れられるのは王侯貴族か富裕なブルジョワに限られました。とりわけ球形の真珠は値段が高く、十九世紀後半における卸価格を現在の貨幣価値に換算すると、一個数十万円ないし数百万円以上もしたことは別稿で述べたとおりです。
海産天然真珠のなかでも比較的安価であったのは、半球形の真珠です。天然真珠から瑕疵のある部分を切除すれば半球形真珠として使えますし、背側が平坦な形状はジュエリー枠にセットしやすいのも大きな利点です。ヨーロッパのアンティーク・ジュエリーには、半球形真珠が良く使われています。
・バロック真珠のジュエリー
(上) ヒッポカンプス(海馬)のペンダント 高さ九センチメートル、最大の幅五・四センチメートル、奥行一・五センチメートル 重量三十二グラム 大英博物館蔵
球形に整わない真珠をバロック(仏 baroque 西 barroco 伊 barocco)と呼びます。一説にバロックという語は、ラテン語ウェッルーカ(羅
VERRŪCA, ae, f. 瘤、隆起)にさかのぼるとされます。ウェッルーカの語根は印欧基語ウェル(*wer- 高まり、丘)で、ワリクス(羅VARIX,
icis, m. 巻貝の螺塔、静脈瘤)と語根を共有します。
バロック真珠のジュエリーはルネサンス後期に流行しました。この時期はいわゆる大航海時代に当たり、シロチョウガイやクロチョウガイから採れた見事なバロック真珠が、世界各地の暖海からもたらされたのです。上の写真は大英博物館が収蔵するヒッポカンプス(海馬)のペンダントで、海馬の体を為すバロック真珠は十六世紀のものです。ペンダント全体には十九世紀に大きく手が加えられており、六個の小さな真珠も十九世紀の物と思われます。これらの小さな真珠も稀少な天然真珠ですが、ペンダントの脇役に過ぎません。主役は何といっても大きなバロック真珠です。このバロック真珠は白蝶真珠かもしれませんし、褐色真珠層の上に白色真珠層が重なった黒蝶真珠かもしれません。なおヒッポカンプス(羅
HIPPOCAMPUS)はギリシア語ヒッポカンポス(希 ἱππόκαμπος)をラテン語風に綴った語で、海に棲むとされた想像上の生き物です。ヒッポカンプスの前半身は馬、後ろ半身はイルカです。
・海産養殖真珠のジュエリー
海産養殖真珠が登場して真珠の値段が下がると、球形真珠を連ねた首飾りが普及します。首飾りの標準的な長さは身に着ける時間帯により、昼間に使うプリンセス(十六インチ、およそ四十センチメートル)、本来は昼間のものだが夜にも使えるマチネー(二十四インチ、およそ六十センチメートル)、夜に使うオペラ(三十二インチ、およそ八十センチメートル弱)の三通りに分かれます。これ以外の長さとしては、プリンセスの三倍、四十八インチ(百二十センチメートル)のロープがあり、二重にして使うことが出来ます。
連の作りにはグラデュエーションとユニフォームの二通りがあります。グラデュエーションは珠の直径が中心は大きく、端に行くにつれて小さくなる連で、十七インチないし十八インチ、およそ四十三センチメートルないし四十五センチメートルが標準です。ユニフォームはどの部分の珠も同じ直径の連です。現在は大きな養殖真珠が作れるようになっているので、大抵の人は真珠のネックレスと聞けばユニフォームを思い浮かべますが、五十年ほど前まではグラデュエーションが主流でした。
フォーマルでない真珠のネックレスをファンシーと総称します。ファンシーの例として、真珠の間に他の宝石を組み込んだネックレスはカクテル、小さな真珠による数本の連を重ねたネックレスはツイストと呼んでいます。
真珠のネックレスにおいて、連相すなわち連に組まれた真珠の調和は極めて重要です。宮尾登美子さんの「連」という短編では、あたかも真珠の精が乗り移ったかのように美しく優れた連を組む女性が主人公になっています。「連」はフィクションですが、当店アンティークアナスタシアから徒歩二、三分圏内が物語の舞台となっています。
【両孔真珠の穿孔】
穴を開けた真珠には、真珠を貫通する両孔(りょうあな)と、貫通しない片穴(かたあな)があります。両孔を開ける場合hあ、孔の周縁が欠けないように、ドリルの歯を両側から侵入させるのが丁寧なやり方です。
一昔前の中国では女性作業員が火切弓のような道具を使い、手作業で真珠に孔を開けていました。インドではこの方法が今も使われています。
下の写真は 1990年頃にムンバイで使われていた道具です。水で湿らせたロースウッド(紫檀)の木口面に真珠をばら撒き、木槌で叩いて木にめり込ませます。かつてクンツが靴の踵で踏んで示したように、真珠は靭性に優れ、木槌で叩いても割れません。木にめり込ませて固定した真珠は、弓と錐を使って孔を開けられます。ムンバイでの真珠の孔開けは農閑期の男性の仕事で、一人前になるのに八年かかり、一日の作業量は千五百個とのことです。この道具はミキモト真珠博物館に展示されています。
昔のヨーロッパでは、ペルシャ湾の天然あこや真珠をいったんムンバイに送り、孔を開けて束ねたものを輸入していました。この真珠の束をボンベイ・パンチ(英
Bombay bunches)と呼びました。当店アンティークアナスタシアでも、ムンバイの職人に砂芥子真珠の孔開けを依頼しました。現地ではいまも昔ながらの弓と錐で、真珠の孔開けが行われています。
【真珠ジュエリーの取り扱い】
養殖真珠の真珠層は、厚さ一ミリメートルにも満ちません。しかしながらこのように薄い真珠層であっても、その物理的構造は千数百層ないし数千層に及ぶ炭酸カルシウムのシートが蛋白質で接着されており、非常に強靭です。高名な宝石学者ジョージ・フレデリック・クンツ博士はマツ、カシ、マホガニーの板に真珠を置き、靴の踵で踏んで見せましたが、真珠は割れずに板にめり込みました。また鉱物質の宝石は衝撃によって割れることがありますが、真珠は靭性に優れるため、高所から落下させても壊れずに跳ね返ります。
このように優れた靭性を誇る一方で、海産、淡水産を問わず、あらゆる種類の養殖真珠及び天然真珠はモース硬度 3.5と引っ搔きに弱いので、宝石箱に入れる際は、他の硬いものとぶつからないように袋に入れるなどの配慮が必要です。また真珠は化粧品をはじめとする酸性アルカリ性の化学物質だけでなく、水にも汗にも過度な乾燥にも弱い性質を有します。
水中の貝から採れる真珠が真水や海水や汗に弱いのは不思議に思えますが、貝の中にある真珠は真珠袋(外套膜)に包まれ、真水にも海水にも接していませんし、真珠袋は真珠表面に新たな真珠層を作り続けています。これに対して貝から取り出した真珠を水に浸けると、真珠層のアラゴナイトが少しずつ溶け出します。また空気中の真珠表面に水が付くと、蒸発する際に真珠内部の水分を道連れにし、真珠を必要以上に乾燥させてしまいます。それゆえ真珠は水洗いしない方が良く、やむを得ず水洗いした場合や汗が付いた場合は、柔らかい布を使って速やかに水分を取ることが推奨されます。
このように様々な注意を書くと真珠を手に入れるのが怖くなるかもしれませんが、真珠は弱点がある一方で、壊れにくさの指標の一つである靭性に関して、他のどの宝石よりも優れています。また真珠光沢を有する宝石は真珠のみであり、他の如何なる物質にも真似ができない美しさを有します。新約聖書(「マタイによる福音書」13章45節から46節)において、イエス・キリストは永遠の生命を真珠に譬えました。人間にとって最も望ましいものが真珠に譬えられた事実は、真珠があらゆる宝石に勝って美しいと感じられたことを証しています。
【養殖真珠を用いた国産アンティーク・ジュエリー】
刀の鍔をはじめとする精緻な金工品制作を通して、江戸時代の金属加工技術は最高の水準に達していました。御木本幸吉は東京にジュエリー工房を設けましたが、そこで生み出される御木本スタイルのジュエリーは、江戸の金属加工技術を引き継ぐ職人たちによって産み出されたものでした。御木本幸吉が最初に養殖に成功した有核真珠は半円(半球形)でしたが、これらの半円真珠と芥子真珠はアール・ヌーヴォー様式の美しいブローチやペンダントになりました。微小な芥子真珠は、芥子定め(けしぎめ)と呼ばれる技術によって、巧みに台座に留められました。
明治から大正、昭和初期にかけて御木本真珠店が制作したジュエリーは、ミキモト真珠島のミュージアムで目にすることができます。
【付論 模造真珠について】
以上、海産及び淡水産の養殖真珠と天然真珠について述べてきました。海産養殖真珠は真珠貝の生体内に核と外套膜片を人為的に挿入して作らせたもの、淡水産養殖真珠は多くの場合外套膜片のみを人為的に挿入して作らせたもの、海産及び淡水産の天然真珠は寄生虫やその卵に侵入された真珠貝が自ら外套膜内に作ったものですが、いずれの真珠も貝が真珠層を作ったという点で共通しています。これに対して人間が作る模造真珠があります。模造真珠は真珠ではありませんが、近年の製品はたいへん良くできており、肉眼で見ただけでは真珠と判別困難な出来栄えを達成しています。
貝殻製の核にパール・エッセンス(真珠色の塗料)を塗った製品を、貝パール(シェル・パール)と呼びます。貝パールは貝が作ったものではありませんが、核の材質が貝であることに基づいて、このように紛らわしい名前が付いています。貝パールの核は養殖真珠の核と同じもので、大阪府松原市、兵庫県洲本市が主要な産地です。
貝パール以外の模造真珠としては、ガラス製またはプラスチック製の核にパール・エッセンスを塗った製品があります。これはペルル・ド・ジャカンに交替して出現した模造真珠で、バレアレス海のマジョルカ島で作られ始めたため、マジョルカ真珠と呼ばれています。マジョルカ真珠は真珠という名前が付いていますが、言うまでもなく真珠ではありません。貝パールとマジョルカ真珠は核の材質が異なりますが、パール・エッセンスを表面に塗った模造真珠である点が共通しています。
十七世紀か二十世紀初頭までのヨーロッパ製アンティーク品には、フランスのペルル・ド・ジャカンが良く用いられています。ペルル・ド・ジャカンは天然真珠を買えない庶民だけではなく、富裕層にも用いられました。富裕層の人々はあまりにも貴重で高価な天然真珠を金庫にしまい、普段は庶民と同様にペルル・ド・ジャカンを身に着けました。ペルル・ド・ジャカンは百年以上前の品物にしか使われていませんから、アンティーク工芸品として価値があります。
貝が作った真正の真珠(天然真珠と養殖真珠)はアラゴナイト結晶が表面に露出しているので、真珠同士をこすり合わせるとざらざらした感じがします。これに対して貝パール、マジョルカ真珠、ペルル・ド・ジャカンなどの模造真珠は表面が滑らかであるゆえに、模造真珠同士をこすり合わせるとツルツルと滑ります。
【真珠の象徴性】
当店ウェブサイトの別稿美術品と工芸品のレファレンス 真珠と真珠母では、真珠が有する象徴性を論じています。
註1 ドイツの川では昔からカワシンジュガイの淡水真珠が採取されてきた。カワシンジュガイの淡水真珠は海産真珠貝の天然真珠よりも手に入りやすいが、形が球形に近くても、真珠の表面全体が優れた照りを有するとは限らない。瑕疵のある真珠はイーダー=オーバーシュタインに運ばれ、照りの良い部分を残すように切断されて、平坦な背面を有する形状に加工された。イーダー=オーバーシュタイン(Idar-Oberstein ラインラント=プファルツ州ビルケンフェルト郡)は、ドイツの中心よりも少し西、フランクフルト・アム・マインから南西におよそ百三十キロメートル離れた町で、宝石研磨業者が集まっている。
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