ウランガラス
Uranglas, ouraline/verre uranifère


 ウランガラスのシャプレ


 ウランガラス(独 das Uranglas 仏 ouraline 英 vaseline glass)は概ね 2パーセントから 数パーセントの酸化ウランを含むガラスで、紫外線により鮮やかな緑色の蛍光を発します。ウランガラスが発する緑色の蛍光は、酸素と結合した六価のウランイオンによります。緑色の濃さは多様で、無色に近いものから濃い緑色まで存在します。(註1)


 ドイツ語においては、黄色いウランガラスを「ウランゲルプ」(Urangelb ドイツ語で「ウランの黄色」の意)あるいは、後述するように、「アンナゲルプ」(Annagelb)とも呼びます。緑のウランガラスは「ウラングリューン」(Urangrün)の他、「エレオノーレングリュン」(Eleonorengrün)、「アンナグリューン」(Annagrün)とも呼ばれます。ドレスデン北西近郊のブロックヴィッツ・ガラス社 (Glasfabrik Aktiengesellschaft in Brockwitz, G.A.B.) では、20世紀初頭以来、「エーデルグリューン」(Edelgrün ドイツ語で「高貴な緑」の意)の名称が使われています。

 フランス語の「ウラリン」は20世紀半ば以降に使われるようになった呼称ですが、語源は不詳です。この名称が一般化する以前は、「ヴェール・デュラン」(verre d'urane フランス語で「ウランのガラス」の意)、「ヴェール・ディクロイド(または、ディクロイック)」(verre dichroïde/dichroïque フランス語で「二色ガラス」の意 註2)、「カナリ」(canari フランス語で「カナリア」の意)、「クリソプラズ」(chrysoprase ギリシア語で「黄緑色」の意)と呼ばれていました。

 英語の「ヴァセリン・グラス」は、黄色いウランガラスの発色がワセリンを連想させることによります。


【ウランガラスの歴史】

 ウランは古代のガラスにも含まれています。ウランが元素として発見され、ガラスの着色に使えることがわかったのは 19世紀初頭です。また近代のウランガラスは、ボヘミアの幾つかのガラス工房において、1830年頃に作られ始めました。


(下) 上の写真のシャプレに、紫外線を照射して撮影した写真。



・ウランを含む古代ガラス

 1972年、ナポリにおいて、紀元 79年のモザイク片が見つかりました。これから採ったサンプルをオックスフォード大学で分析したところ、ウランが検出されました。ウランの量は 1パーセント未満と推定されています。

 古代ガラスに含まれるウランは燐灰ウラン石に由来すると考えられています。閃ウラン鉱に含まれるウラン化合物を精製するのは困難ですが、燐灰ウラン石のウラン化合物は母岩の表面に張り付いており、簡単に分離できます。燐灰ウラン石表面のウラン化合物は、ウランガラスと同様に、紫外線によって蛍光を発します。


・元素ウランの発見と、ウランガラスの誕生

 ドイツの化学者マルティン・ハインリヒ・クラプロート (Martin Heinrich Klaproth, 1743 - 1817) は、1789年、ヨアヒムスタール Joachimsthal(現チェコ共和国ヤーヒモフ Jáchymov)で採掘された閃ウラン鉱 (die Pechblende ピッチブレンド) から、酸化ウランを取り出すことに成功しました。「ウラン」(Uran) という元素名も、クラプロートの命名によります。クラプロートは著書「化学辞典」(Chemisches Wörterbuch, zusammen mit Wolff, 5 Bände, 1807 - 1810) に、ウランがガラスの着色に使えることを書いています。(註3)

 当時チェコ北端ポルブニー (Polubný) にあったガラス工房の五代目当主フランツ・クサーヴァ・アントン・リーデル (Franz Xaver Anton Riedel, 1786 - 1844) はウランガラスを作り、アンナ・マリアとエレオノーラという二人の娘に因んで、黄色のウランガラスを「アンナゲルプ」(Annagelb ドイツ語で「アンナの黄色」の意)、緑のウランガラスを「エレオノーレングリューン」(Eleonorengrün ドイツ語で「エレオノーレの緑」の意)と名付けました。1830年に工房を引き継ぎ、1840年にアンナと結婚したヨーゼフ・リーデル (Josef Riedel, 1816 - 1894) はウランガラスの生産を引き継ぎ、緑のウランガラスを「アンナグリューン」(Annagrün ドイツ語で「アンナの緑」の意)と改名しました。

 ボヘミアのハッラッハ (Harrach) 伯爵家は、ポルブニーから数キロメートル東のハッラホフ Harrachov (ドイツ名 ハッラッハスドルフ Harrachsdorf) に 1712年以来ガラス工房を所有していました。このガラス工房、及びチェコ南西部シュマヴァ (Šumava) のガラス工房においても、リーデルとほぼ同時期にウランガラスが作られました。


【フランスにおけるウランガラス】

 フランスでは 1830年代に有色のガラスが流行しました。これら有色のガラスはフランス国内では作られておらず、ボヘミア(チェコ)からの輸入に頼っていました。フランスにおいては、フランス勧業会 (la Société d'Encouragement pour l'Industrie Nationale) が 1837年に公募した賞がきっかけで、ウランガラスの生産が本格的始まりました。


 ジャン=バティスト・アンドレ・デュマ


・フランス勧業会が 1837年に公募した賞と、その受賞者

 ジャン=バティスト・アンドレ・デュマ (Jean Baptiste André Dumas, 1800 - 1884) は、1836年7月6日に開かれたフランス勧業会総会において、フランスのガラス産業に関する賞を新設するように提案し、同年12月の化学委員会において、1837年12月31日を期限に公募を行うことが決定されました。この受賞者は 1838年に選ばれて、1839年1月16日の総会で次の通り承認されました。

《乳白色の耐熱ガラス製作 賞金 4,000フラン》

 フランス東部プレーヌ・ド・ヴァルシュ(Plaine-de-Walsch ロレーヌ地域圏モーゼル県)にあるガラス工房ヴァレリスタール (la cristallerie de Vallérysthal) のフランソワ=ウジェーヌ・ド・フォントネー氏 (M. François-Eugène de Fontenay)、及び、パリの南東近郊ショワジ=ル=ロワ(Choisy-le-Roi イール=ド=フランス地域圏ヴァル=ド=マルヌ県)にあるガラス工房のジョルジュ・ボンタン氏 (M. Georges Bontemps)

《全体に着色したガラス、または被(かぶ)せガラス 賞金 3,000フラン》

 同上

《エマイユ装飾を施したグラス制作 賞金 5,000フラン》

 ヴァレリスタールのフランソワ=ウジェーヌ・ド・フォントネー氏、及び、セーヴル王立窯のルイ・ロベール氏 (M. Louis Robert)


 ショワジ=ル=ロワのジョルジュ・ボンタン氏は、1839年のフランス勧業博覧会 (l'Exposition de l'Industrie Française) にウランガラスを出品しました。フランス各地のガラス工房は、こぞってそのあとに続きました。


【ウランガラスの蛍光の観察】

 このページの上から二番目の写真は、ビーズにウラリンを使用したフランスのアンティーク・シャプレ(ロザリオ)に、紫外線のみを照射して撮影したものです。このように人工的に可視光線を排除して、紫外線のみを照射すると、ウランの蛍光は最もよく観察できます。

 しかしながら紫外線は自然光にも豊富に含まれていますから、この蛍光は自然光の下でも観察可能です。昼間の自然光で見た場合、可視領域の波長の光によって見える黄色と紫外線による鮮緑色が重なり合って、綺麗な黄緑色に見えます。ウランガラスの蛍光を自然環境下で比較的明瞭に観察できるのは、可視領域の太陽光線が少ない夜明け前です。晴れた日に昼間の空が青く見えるのは、窒素分子、酸素分子、水分子等、直径がごく小さな微粒子による「レイリー散乱」が原因ですが、紫外線は紫や青の可視光に比べてレイリー散乱をいっそう起こしやすく、晴れた日の夜明け前に空から降り注ぐ電磁波は、紫外線の割合が大きくなっています。


 下の写真は二本のウラリン製シャプレを夜明け前の自然光で撮影したものです。比較のために、緑の宝石三種類をビーズの間に置きました。手前左はペリドット、手前右はツァボライト(グロッシュラー・ガーネット)、奥はトルマリンです。

 ペリドット、ツァボライト、トルマリンのいずれにも、紫外線により蛍光を発する性質はありません。これらの宝石では、明るくなり始めた東の空から入射したわずかな可視光を、宝石内部において反射させる面のみが光っています。これに対してウラリンは、レイリー散乱によって夜明け前の空の全方向から降り注ぐ紫外線を可視光に変換し、ビーズ全体が蛍光を発しています。二本のシャプレのビーズは同じ色で、昼間は黄色に見えますが、下の二枚の写真では、夜明けの前の空から注ぐ紫外線によって、綺麗な緑色に見えています。


 当店の商品

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 夜明け前の空から降り注ぐ紫外線は、人工的に照射する場合に比べるとごくわずかであり、ウラリンの蛍光も人工的な紫外線照射時のように強烈ではありません。しかしながら晴れた日の夜明け前に自然光で観察すると、ウラリン全体が蛍光のせいで明るく、色味の点でも昼間に比べて緑が強くなっているのがわかります。

 夜明け前に観察を行う際、紫外線で蛍光を発しない緑のガラスや鉱物をウラリンと並べて見比べれば、両者の違いはいっそう際立ちます。ウラリンではない緑の透明ビーズで、同じようにカットされたものがあれば、理想的なコントロール(対照試料)となります。


 上の写真二枚を撮った時の空


 可視領域の太陽光線は日没直後も少ないですが、夕方の大気中には人間の活動によって発生する直径の大きな煤塵が大量に浮遊しています。大気がきれいであれば、紫外線はレイリー散乱によって豊富に地上に届くはずですが、都会で夕方に空を見上げても、紫や藍色の色合いを夜明け前ほど強く感じません。ただし空気が非常に綺麗な場所であれば、夕方であっても夜明け前と同様の紫外線量となり、ウランガラスの蛍光を観察できるはずです。



註1 ウランを含むガラスは黄緑色とは限らず、青いもの、ピンクのものも存在します。

註2 ウランガラスは非晶質ですから、どの方向から見ても同じ色であり、宝石学で通常言われる多色性(英 pleochroism 仏 pleochroïsme)は当然のことながら有しません。「ヴェール・ディクロイド」「ヴェール・ディクロイック」というフランス語名が示すのは、宝石学でいう「二色性」(英 dichroism 仏 dichroïsme) ではなく、自然光の可視光線領域による黄緑色と、自然光に含まれる紫外線による鮮緑色の蛍光の「二色」が見えることを指しています。

 鉱物の色が光の波長によって大きく異なって見える場合、宝石学ではその性質を「カラー・チェンジ」(仏 la particularité de changer de couleur)と呼んでいます。ウランガラスが有する特性を宝石学用語で表すならば、「多色性」ではなく、広義の「カラー・チェンジ」に含まれます。

註3 閃ウラン鉱 からの金属ウラン精製は、バカラ社の仕事をしていたフランスの化学者ウジェーヌ・メルキョル・ペリゴ (Eugène Melchior Péligot, 1811 - 1890) により、1841年に成し遂げられました。



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