ピエール=オーギュスト・コット Pierre-Auguste Cot, 1837 - 1883
ピエール=オーギュスト・コット カルト・ド・ヴィジットの写真から
ピエール=オーギュスト・コットはウィリアム・ブグロー及びアレクサンドル・カバネルの弟子であり、ふたりの師と並んで、十九世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する重要な画家です。
【ピエール=オーギュスト・コットの生涯】
(上)
"Le Printemps", 1873, Huile sur toile, 203.2 x 127 cm, the Metropolitan Museum of Art,
New York
ピエール=オーギュスト・コット(Pierre-Auguste Cot, 1837 - 1883)は、1837年2月17日、モンペリエの西五十数キロメートルにある小さな町ベダリユ(Bédarieux オクシタニー地域圏エロー県)で、父が機械工、母が主婦という一般家庭に生まれました。ピエール=オーギュスト少年は学校の先生からデッサンの天才を認められ、町から奨学金を支給されてトゥールーズ高等美術学校(l'école
supérieure des Beaux-Arts de Toulouse)に進みました。さらに 1858年には町から六百フランを支給されて、美術の勉強を続けるためにパリに移り住みました。
(上)
"L'Orage", 1880, Huile sur toile, 234.3 x 156.8 cm, the Metropolitan Museum of Art,
New York
1862年、ピエール=オーギュスト・コットはパリの美術コンクールで大賞を獲得し、当地の高等美術学校(l'école supérieure des
Beaux-Arts de Paris)に入学しました。パリ高等美術学校では
ウィリアム・ブグロー(Adolphe William Bouguereau, 1825 - 1905)と
アレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel, 1823 - 1889)に師事し、最高水準の絵画教育を受けました。1863年にはサロンに肖像画を初出展し、好評を得ました。1873年には「ル・プランタン」("Le
Printemps" 「春」)を、1880年には「ロラージュ」("L'Orage" 「嵐」)を描いています。この二つはニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されていて、コットの作品の中でも特によく知られています。1874年にはレジオン・ドヌール・シュヴァリエを受章しました。
1882年に描いた「聖トロフィン教会の出口で施しをするミレイユ」("Mireille donnant l'aumône à la
sortie de Sainte Trophine")はフランス共和国に買い上げられ、リュクサンブール美術館に展示された後、モンペリエのファーブル美術館(le
Musée Fabre, Montpellier)に移されました。
(上)
"Elisabeth de Hongrie soignant les malades", le Musée des Arts de Béziers
1883年にはオーストリア皇室から受注した大作「病者を看護するハンガリーの聖エリーザベト」(
"Elisabeth de Hongrie soignant les malades")に取り掛かりました。これは同年、コットが亡くなったことで未完に終わりましたが、コットの故郷ベダリユの美術館(Maison des Arts
de Bédarieux)に収蔵されました。この作品の下書きはベジエ美術館(le Musée des Arts de Béziers)に収蔵されています。
ピエール=オーギュスト・コットは 1883年7月2日に亡くなり、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されました。
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ピエール=オーギュスト・コット作 「ル・プランタン」(春) 天空に魂を遊ばせる恋人たちのフォトグラヴュール 156 x 256 mm フィラデルフィア、ジョージ・バリー 1882年
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