昔話と伝説 das Märchen und die Sage



(上) ヘンゼルとグレーテル ヘルマン・カウルバッハによるウッド・エングレーヴィング 1873年


【口承文学の四つのジャンル】

 口承文学は四つの分野、すなわち昔話、笑い話、伝説、聖人伝に大別することができます。それぞれのジャンルに属する例と、各ジャンルが反映する精神的態度は、次のように整理できると考えられています。

     口承文学の種類    例    口承文学に反映された精神的態度
             
     昔話    白雪姫、灰被り姫など    あるべき善世界への憧れ
     笑い話    ティル・オイレンシュピーゲル    抑圧に対する抵抗と自立
     伝説    ローエングリン    善ならざる現世への諦め
     聖人伝    聖クリストフォロス伝    抑圧に対する忍従


 本稿では四つの口承文学から昔話と伝説を取り上げて比較し、それぞれの特徴と本質を探ります。


【グリムのメルヒェンが有する普遍性】



(上) ヤーコプ・グリム(Jacob Ludwig Karl Grimm, 1785 - 1863)とヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Carl Grimm, 1786 - 1859)の肖像 ふたりの弟である版画家ルートヴィヒ・エーミール・グリム(Ludwig Emil Grimm, 1790 - 1863)が、1843年に制作した銅版画


 研究が最も進んでいる昔話は、グリム兄弟(Brüder Grimm)が十九世紀に集めて記録した「グリム童話」(Kinder-und-Hausmärchen)です。昔話が有する顕著な特性は、時間と空間の両方において普遍的ともいえる分布を示すことです。極めて「ドイツ的」であると思われがちなグリム童話にも、この特性ははっきりと現れています。

 グリム兄弟の時代、ドイツ人は統一された国民国家を持ちませんでした。グリムは消え去ろうとするメルヒェンを蒐集保存することで、ドイツのフォルク(独 das Volk 民衆、民族)がアイデンティティを保つ一助にしようと試みました。

 「グリム童話集」は1812年(第一巻)と1815年(第二巻)に初版が出ましたが、グリム兄弟は版を重ねるごとに加筆して内容を膨らませてゆきました(註1)。最終版は 1857年の第七版で、現在一般に普及しているのはこの第七版です。グリムは後の版になっても話の筋を変えていませんが、物語に生彩を加えるために大量の加筆をしています。


 グリム童話はドイツ人であるグリム兄弟がドイツで蒐集した物語ですから、少なくともその意味では、グリム童話はドイツのものと言えます。しかしながらそもそもグリムに昔話を語り聞かせたのはフランス系の人々であったことが、最近の研究で明らかになりました。

 詳しく言えば、ヴィルヘルム・グリムは 1812年の「グリム童話集」第一巻に、本の原資料となる昔話を語ってくれた人々の名前を覚え書きしています。この人々はほとんどが若い女性で、なかでも「マリー」が最も重要な語り手であることがわかります(註2)。最近の研究により、この「マリー」はマリー・ハッセンプフルーク(Marie Magdalene Elisabeth Hassenpflug, 1788 - 1856)を指すこと、この女性の母はフランスから来たユグノーで、マリーも家ではフランス語を話していたことが判明しました。

 また 1815年の「グリム童話集」第二巻の前書きには、この巻における最も重要な語り手として、フィーメンニン(Viehmännin フィーマン夫人)、すなわちドロテーア・フィーマン(Dorothea Viehmann, 1755 - 1815)という老婦人への謝辞が書かれています。ところが1960年代の研究で明らかになったところによると、フィーメンニンは旧姓をピエルソン(Pierson)というフランス系のユグノーで、フランス語の話者でもありました。

 要するにグリム兄弟の当初の意図に関わらず、グリム兄弟が蒐集し編纂したメルヒェンがドイツ民族に固有の遺産ではないことは明らかです。また関連分野の研究によって、世界中に、また過去のあらゆる時代に類話が存在することがわかっています。グリム童話は他のあらゆる地域と時代の昔話や伝説と密接な関係を有します。それゆえグリム童話に関する研究成果は、世界のあらゆる地域、あらゆる時代の昔話と伝説にも通用します。


【昔話と伝説の違い】

 グリム兄弟は「メルヒェン」(独 das Märchen 昔話)と「ザーゲ」(独 die Sage 伝説)をはっきりと区別しています。1816年と 1818年に二巻に分けて刊行された「ドイツ伝説集」(Deutsche Sagen, 2 Bände, 1816, 1818)の前書き「伝説の本質」(独 Wesen der Sage)には、次のように書かれています。日本語訳は筆者(広川)によります。


   Brüder Grimm, Deutsche Sagen, Band 1, (1. Auflage, 1816)    グリム兄弟 「ドイツ伝説集」 第一巻 (第一版 1816年)
   Vorrede. I. Wesen der Sage    前書き I. 伝説の本質
      Jedes hat seinen eigenen Kreis. Das Märchen ist poetischer, die Sage historischer; jenes stehet beinahe nur in sich selber fest, in seiner angeborenen Blüte und Vollendung; die Sage, von einer geringern Mannichfaltigkeit der Farbe, hat noch das Besondere, daß sie an etwas Bekanntem und Bewußtem hafte, an einem Ort oder einem durch die Geschichte gesicherten Namen.       昔話(メルヒェン)とザーゲ(伝説)のそれぞれに、固有の領域がある。昔話は詩的であり、伝説は歴史的である。前者(昔話)はほとんど自身の中だけでしっかりと存立し(註3)、生まれながらにして持っている花を咲かせて完成に至る。しかるに伝説について見れば、その彩(いろどり)が昔話よりも地味である(註4)ことに加えて、知っている人や物に結びつき、あるいは特定の場所や、歴史によって確証された名前に結びつくという特徴を有する。


 グリムは昔話と伝説の形式にこのような相違を見出したわけですが、これに劣らず重要と思えるのは、それぞれが反映する心性、精神的態度です。

 ヨハネス・アンドレアス・ヨレス(Johannes Andreas Jolles, 1874 - 1946)の仕事を引き継いだグリム童話研究の第一人者、クルト・ランケ(Kurt Ranke, 1908 - 1985)は、昔話と伝説がそれぞれに反映する人間の心性に注目しました。伝説における人間は環境を変える力を持ちません。伝説に登場する人間は、超自然的な者たち(小人や魔物など)が定めた掟に背くと、決して幸せな結果になりません。これに対して昔話の主人公は、超自然的な力の助けを借りて幸せな結果に至ります。この違いに注目したクルト・ランケは、伝説には「人生の運命は変えられない」と考えて《諦める心性》が、昔話には「神話的な高みから人生の困難を克服しよう」と考えて《憧れる心性》が、それぞれ反映されていると考えました。

 クリスタ・ビュルガー(Christa Bürger, 1935 - )は 1973年から 1998年までフランクフルト大学に勤めたドイツ語学・ドイツ文学の研究者で、エルンスト・ブロッホ(Ernst Bloch, 1885 - 1977)の影響を受けた人です。クリスタ・ビュルガーは、昔話の登場人物が途中でさまざまな困難に遭いながらも、最後は必ず幸せをつかむ点に注目し、現世をより良き世界に変革しようとする民衆の意志を昔話のうちに見出しています。

 なお伝説に登場する人物と超自然的な者たち(小人や魔物など)は、通常であれば交流することの無い別々の世界に属しています。それゆえ伝説の登場人物は超自然的存在者の出現に驚き、恐れおののきます。これに対して昔話では、人間は全くの平常心で超自然的存在者と交流します。動植物や物品が口をきいても、神々や仙女が出現しても、臆する様子がありません。チューリヒ大学でヨーロッパ口承文学の教授を務めたマックス・リューティ(Max Lüthi, 1909 - 1991)は、昔話に描かれる世界のこのような「一次元性」を、昔話の本質的特徴であると指摘しています。

 さらに昔話の登場人物は首を切断される、四肢がばらばらになる等の残酷な死に方をしても、まるで人形を壊すかのようで、一滴の血も流れません。登場人物は生身の体も魂も持たず、まるで紙に描いた絵のようです。マックス・リューティはこれを「平面性」と呼んで、昔話が有する本質的特徴の一つに挙げました。

 また昔話では、意地悪な継母や義母等によって、同じような試練が繰り返し与えられます。不可能と思われた一度目の試練を主人公がうまく潜り抜けたときに、継母や義母は主人公が試練をどうやって潜り抜けたのか追及すればよさそうなものなのに、そのような対応もせずに繰り返し試練を与え、そのたびにうまく切り抜けられてしまいます。最初の試練と二度目の試練の間に内的関連性は存在せず、二度目の試練と三度目の試練にも内的関連性は存在せず、毎回同じような試練と解決が羅列的に繰り返されるのです。マックス・リューティはこれを「孤立性」と呼び、やはり昔話が有する本質的特徴として指摘しました。




註1 グリム兄弟はクレメンス・ブレンターノ(Clemens Brentano, 1778 - 1842)の求めに応じ、 1810年10月に四十八話の草稿を送っています。ブレンターノが受け取った草稿は、後にエーレンベルク修道院で見つかったので、「エーレンベルク草稿」と呼ばれています。1810年の「エーレンベルク草稿」と 1812年の初版本を比べると、既にこの段階で大幅な加筆が行われていたことがわかります。「エーレンベルク草稿」はジュネーヴ近郊コロニーのビブリオテカ・ボドメリアナ(die Bibliotheca Bodmeriana ボドマー文書館)に収蔵されています。

註2 「グリム童話集」に収められた各話は "KHM" に続く数字で同定されます。"KHM" は「グリム童話集」の正式な書名「キンダー・ウント・ハウスメルヒェン」(Kinder-und-Hausmärchen 「子供と家庭のメルヒェン」)から三文字を取ったもので、後ろの数字は 1857年の第七版における番号を示します。

 マリー・ハッセンプフルークは三人姉妹の長姉で、少なくとも次の十一話を話しています。

  Brüderchen und Schwesterchen (KHM 11), Rotkäppchen (KHM 26), Das Mädchen ohne Hände (KHM 31), Der Räuberbräutigam (KHM 40), Daumerlings Wanderschaft (KHM 45), Dornröschen (KHM 50), Die Wassernixe (KHM 79), Der goldene Schlüssel (KHM 200), Vogel Phönix (KHM 75a), Der Schmied und der Teufel (KHM 81a), Der Froschprinz (KHM 99a)

 マリーよりも三歳年下の妹ジャネット(Johanna/Jeanette Hassenpflug, 1791 - 1860)は、次の九話を話しています。

  Die drei Spinnerinnen (KHM 14), Rotkäppchen (KHM 26), Tischchen deck dich, Goldesel und Knüppel aus dem Sack (KHM 36), Herr Korbes (KHM 41), Die zwölf Jäger (KHM 67), Der gestiefelte Kater (KHM 33a), Hurleburlebutz (KHM 66a), Der Okerlo (KHM 70a), Prinzessin Mäusehaut (KHM 71a)

 末の妹アマーリエ(Amalie Hassenpflug, 1800 - 1871)は、少なくとも次の二話を話しています。

 Die drei Männlein im Walde (KHM 13), Der Herr Gevatter (KHM 42)

註3  jenes stehet beinahe nur in sich selber fest  直訳 ほとんど自らにおいてのみ、自身の力でしっかりと存立している

 「昔話の世界は外部に依拠せず、外部との間に如何なる関係も持たず、自身の中だけで完結的に存在している」という意味。

註4  die Sage, von einer geringern Mannichfaltigkeit der Farbe,...  直訳 伝説は[昔話よりも]軽微な多色性を有し、…




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