「わたしの愛にとどまりなさい」 神の子羊と十字架 葡萄 聖霊 七つの封印 天使 ヨハネ伝と黙示録に基づく「信仰」と「終末」の彫刻 35.5 x 27 cm 奥行 5 cm


額全体のサイズ 縦 35.5 x 横 27 cm 奥行 5 cm

彫刻のみのサイズ 縦 21.5 x 横 12 cm 奥行 3.5 cm


フランス  1860 - 80年代



 七つの封印で閉じられた書物の上、十字架に横たわるアグヌス・デイ(神の子羊)を中心に、葡萄、鳩の姿の聖霊、十字架とふたりの天使を立体的に表した彫刻。彫刻の中心となる「アグヌス・デイ」及び「十字架」はイエス・キリストとその受難を象徴しますが、これを葡萄、聖霊、七つの封印で閉じられた書物、天使と組み合わせることにより、イエスの受難を《悔悛》と《普段の信仰生活》、及び「ヨハネの黙示録」に見られる《終末》の記述に結び付け、彫刻の鑑賞者に悔い改めを迫る「目で見る説教」となっています。





 アグヌス・デイ(神の子羊)は「屠(ほふ)られたような」姿(「ヨハネの黙示録」 5章 6節)で目を閉じ、十字架上に脚を折り曲げて伏しています。子羊のこの様子は、十字架上に絶命した救い主の姿を象徴しています。

 旧約聖書に記述された出来事は、キリスト教では新約時代の出来事の前表とされます。「出エジプト記」12章において、一歳の雄の羊あるいは山羊を屠(ほふ)り、種なしパン(酵母を入れないパン)とともに食べる「過ぎ越しの祭」が定められていますが、「過ぎ越しの子羊」はイエス・キリストの前表です。受難の直前に弟子たちと摂られた過ぎ越しの食事、いわゆる「最後の晩餐」において、イエスはパンと葡萄酒を弟子たちに分け与え、「これはわたしの体である」「これはわたしの契約の血である」と言い給いました。(マタイ 26: 26 - 29、マルコ 14: 22 - 25、ルカ 22: 15 - 23) これはイエスが、ご自分が「過ぎ越しの子羊」であることを示し給うたのだと考えられています。

 旧約時代の預言者たちはメシア(救世主)について盛んに預言しましたが、それらの預言はイエス・キリストにおいて成就したと考えられています。「イザヤ書」 52章13節から53章の終わりにかけて、主の僕が苦しむ姿が描写されており、53章 6節から 8節には次のように書かれています。

     わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。(「イザヤ書」 53章 6 - 8節 新共同訳)


 ルカは「使徒言行録」 8章でこの箇所を引用し、次のように書いています。

     「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」(「使徒言行録」 8章 32, 33節)






 神の子羊の下には、の形の聖霊が彫られています。イエスは最後の晩餐の席で、ご自分が昇天された後、弟子たちには「真理の霊」すなわち聖霊が与えられる、と語っておられます。「ヨハネによる福音書」 14章 15節から 17節を、新共同訳により引用いたします。下線は筆者(広川)によります。

     あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。


 「真理の霊」すなわち聖霊については、「ヨハネによる福音書」 15章 26節及び 16章 13節でも言及されています。なお聖霊が鳩の形で表されるのは、イエスが受洗された際の記述に基づきます。「ヨハネによる福音書」 1章 29 - 34節を新共同訳により引用します。下線は筆者(広川)によります。

     その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。






 鳩の周囲には葡萄の枝と葉と実が一面に彫られています。最後の晩餐の席で、イエスはご自身を「まことの葡萄の木」、弟子たちを「葡萄の枝」に譬えて、「わたしにつながっていなさい」「わたしの愛にとどまりなさい」と語っておられます。「ヨハネによる福音書」 15章 1 - 10節を新共同訳により引用します。

     わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。


 それゆえ「聖霊の鳩」と「葡萄」は、イエスが最後の晩餐の席で話された「わたしを愛しなさい」「わたしにつながっていなさい」という教えを表していることがわかります。






 「屠られたような子羊」の下には、「七つの封印で閉じられた書物」があります。この描写は「ヨハネの黙示録」 5章に基づきます。「ヨハネの黙示録」 5章全体(1節から14節)を、新共同訳により引用します。

     またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。また、一人の力強い天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。
 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
 わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。そして、彼らは新しい歌をうたった。
 「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」
 また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。 天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
 また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。」四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。


 「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえ」と呼ばれているのは、エッサイの子孫であるイエス・キリストのことです。「ヨハネの黙示録」のこの箇所において、イエス・キリストは屠られたような小羊で表され、父なる神の玉座と四つの生き物の間、イスラエルの長老たちの間に立っています。小羊は七つの封印で閉じられた書物を神の右手から受け取ります。「ヨハネの黙示録」 5章に続く 6章から 8章にかけて、小羊は次々に封印を開き、世界の終末に関するさまざまな幻視がヨハネの眼の前で展開します。

 現在のような方式で製本された書物は中世に出現しました。「ヨハネの黙示録」は古代の著作ですから、ここに出てくる書物は巻物であって、中世以降の書物とは体裁が異なりますが、いずれも書物であることに変わりはありません。「神の子羊」とともに描かれる黙示録の書物は、巻物よりもむしろ近代的な体裁で表される場合が多く、本品もそのような作例のひとつとなっています。





 彫刻の最上部には十字架が立ち、その左右に二人の天使がすわっています。「ヨハネの黙示録」において、神は最後まで悔い改めなかった人々を、疫病とさまざまな天変地異で滅ぼし給います。この裁きの日に、天使たちは神の命令に従って、数々の恐ろしい災厄を地上にもたらします。

 しかしながら本品の天使は優しい表情をしており、「最後の審判」の日に災厄をもたらす天使ではなく、人の歩みを神へと導く守護天使であることがわかります。微笑みを浮かべつつこちらを見つめるふたりの天使の姿は、イエスの愛にとどまり、「まことの葡萄の木」に繋がろうとする人の信仰生活を、守護天使が聖霊と共に守ってくれることを教えています。





 本品は「アグヌス・デイ」(神の子羊)を中心に、「信仰生活」と「終末」に関する教えを、さまざまな象徴によって示しています。美術表現の主な典拠は「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの黙示録」で、聖書やキリスト教についてある程度の知識がある人が見れば、この作品が伝えようとしている内容は自ずから分かるようになっています。キリスト教美術が歴史の中で果たした役割は、目に一丁字無い民衆に、「目で見る説教」「目で見る聖書」を提供することでした。そのような意味で、本品はキリスト教美術の原点に立ち返った作品ということができます。





 この彫刻作品はベルベットを張った楕円形の板に固定され、ドーム状の楕円形ガラスと木製の額縁で保護されています。ベルベット張りの板、ドーム状ガラス、楕円形の木製額縁はいずれも19世紀のオリジナルですが、百年以上の歳月を経ながら一度も破損することなく、制作当時のままの状態で今日まで伝えられています。本品は第一に優れた芸術性を有する本格的彫刻として、第二に完全な状態で伝わる美しいアンティーク品として、第三に「悔悛」と「信仰」がフランス社会に強く影響した第二帝政期から第三共和政期の時代精神を伝える実物資料として、いずれの点でも貴重な作例となっています。





本体価格 158,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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