1930年代頃のフランスで制作されたシャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ(聖母のロザリオ)。カラフルな色彩のプラスティック製ビーズが使われており、一見おもちゃのようにも見えますが、金属部分に800シルバー(純度
800/1000の銀)を使用した高級品です。
直径1センチメートルと大粒のビーズは、中空のプラスティックを使用し、軽量に作られています。色は八色あって、次の通りです。
色名 | 色名の意味 | 解説 | ||||
améthyste (アメティスト) violet d'évêque (ヴィオレ・デヴェック) |
紫水晶の色、 司教の紫 |
アメティスト(アメシスト)の語源はギリシア語の形容詞「アメテュストス」(αμέθυστος 「酔わない」)です。これは酒に酔わないという意味のみならず、誤った思い込みに直結しがちな精神的陶酔に陥らないという意味でもあります。それゆえアメティストの紫色は、霊的指導者である司教の衣の色ともされました。 | ||||
azur (アジュール) | ラピス・ラズリの青 | ラピス・ラズリはフェルメールが愛用した高価な天然顔料ウルトラマリンの原料です。空の青は天国の象徴であり、聖母マリアの象徴、フランス王家の象徴、フランスの象徴でもあります。 | ||||
bleu paon (ブリュ・パン) | 孔雀の青 | 孔雀(くじゃく)が飾り羽を大きな円形に開いた様子は、常に輝く太陽を連想させます。それゆえ孔雀は永遠と不死の象徴です。西ヨーロッパでは不滅の霊魂を表す孔雀が生命の水を飲む図像がしばしば見られます。 | ||||
vert sapin (ヴェール・サパン)、 laurier (ローリエ) |
樅(もみ)の木の緑、月桂樹の緑 | クリスマス・ツリーに使われる樅の木は、いうまでもなく永遠の命の象徴です。ローリエ(月桂樹)も樅と同様に常緑樹であり、永遠の命を象徴するとともに、勝利と栄光をも表します。 | ||||
acajou (アカジュー) | マホガニー色 | 最高級家具の材料であるマホガニーの色。粒状インクルージョンを含む半透明の樹脂で、サン・ストーンのようなきらめきを見せてくれます。キャッツアイ効果はありませんが、神秘的な深みがシャトヤント・クリソベリルを思わせます。 キリスト教において、土の色である茶色は「ユミリテ」(humilité フランス語で「へりくだり」)を表します。「ユミリテ」の語源はラテン語の「フムス」(HUMUS 土地、地面)です。「創世記」2章7節によると、神は「土(アダマ)」の塵から人祖アダムを作り給いました。 |
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miel (ミエル) | 蜂蜜色 | 蜜は「出エジプト記」に記された「乳と蜜が流れる」約束の地の象徴です。「イザヤ書」においては霊的食物を(註1)、「雅歌」においては永遠の命を象徴します(註2)。偽ディオニシオス・アレオパギタは蜜を神秘的知識の象徴としています(註3)。 | ||||
rouge (ルージュ) | 赤 | キリスト教において、赤は愛を表す色です。すなわちイエスが受難の際に流し給うた血の赤は神の愛を表し、殉教者が流した血の赤は神への愛を表します。神への愛に燃える熾天使(セラフィム)は、図像において赤く描かれます。 | ||||
noir (ノワール) | 黒 | 古代人は植物の発芽を地中で死んだ種の再生と考えました。沃土の色、種が発芽を待つ地中の色である黒は、したがって、死の象徴であるとともに、再生の象徴でもあります。「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし」(註4)というキリストの言葉が思い起こされます。 |
註1 それゆえ、わたしの主が御自ら / あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み / その名をインマヌエルと呼ぶ。/
災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで / 彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。 「イザヤ書」 7章 14 - 15節 (新共同訳)
註2 花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ / 舌には蜂蜜と乳がひそむ。あなたの衣はレバノンの香り。 「雅歌」 4章 11節 (新共同訳)
わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。香り草やミルラを摘み / 蜜の滴るわたしの蜂の巣を吸い / わたしのぶどう酒と乳を飲もう。友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え。
「雅歌」 4章 11節 (新共同訳)
註3 偽ディオニシウス・アレオパギタ (Pseudo-Dionysius Areopagita) は5世紀頃の神学者です。
註4 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 「ヨハネによる福音書」 12章 24節 (新共同訳)
ビーズの色は以上の八色ですが、キリスト教において「八」という数は、「山上の垂訓」(「マタイによる福音書」5章3節から10節)で説かれる八つの幸福を象徴します。「山上の垂訓」を引用いたします。ギリシア語原文はネストレ=アーラント
27版、日本語は新共同訳によります。
3 Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν. | 「心の貧しい人々は、幸いである。 / 天の国はその人たちのものである。 | |||
4 μακάριοι οἱ πενθοῦντες, ὅτι αὐτοὶ παρακληθήσονται. | 悲しむ人々は、幸いである。 / その人たちは慰められる。 | |||
5 μακάριοι οἱ πραεῖς, ὅτι αὐτοὶ κληρονομήσουσιν τὴν γῆν. | 柔和な人々は、幸いである。 / その人たちは地を受け継ぐ。 | |||
6 μακάριοι οἱ πεινῶντες καὶ διψῶντες τὴν δικαιοσύνην, ὅτι αὐτοὶ χορτασθήσονται. | 義に飢え渇く人々は、幸いである。 / その人たちは満たされる。 | |||
7 μακάριοι οἱ ἐλεήμονες, ὅτι αὐτοὶ ἐλεηθήσονται. | 憐れみ深い人々は、幸いである。 / その人たちは憐れみを受ける。 | |||
8 μακάριοι οἱ καθαροὶ τῇ καρδίᾳ, ὅτι αὐτοὶ τὸν θεὸν ὄψονται. | 心の清い人々は、幸いである。 / その人たちは神を見る。 | |||
9 μακάριοι οἱ εἰρηνοποιοί, ὅτι αὐτοὶ υἱοὶ θεοῦ κληθήσονται. | 平和を実現する人々は、幸いである。 / その人たちは神の子と呼ばれる。 | |||
10 μακάριοι οἱ δεδιωγμένοι ἕνεκεν δικαιοσύνης, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν. | 義のために迫害される人々は、幸いである。 / 天の国はその人たちのものである。 | |||
11 μακάριοί ἐστε ὅταν ὀνειδίσωσιν ὑμᾶς καὶ διώξωσιν καὶ εἴπωσιν πᾶν πονηρὸν
καθ᾽ ὑμῶν [ψευδόμενοι] ἕνεκεν ἐμοῦ. 12 χαίρετε καὶ ἀγαλλιᾶσθε, ὅτι ὁ μισθὸς ὑμῶν πολὺς ἐν τοῖς οὐρανοῖς· οὕτως γὰρ ἐδίωξαν τοὺς προφήτας τοὺς πρὸ ὑμῶν. |
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 |
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τὸ εὐαγγέλιον κατὰ Ματθαῖον, V, 3 - 12 (Nestle-Aland 27) | 「マタイによる福音書」 5章 3節から 12節 (新共同訳) |
さらにユダヤ・キリスト教では天地創造の故事に基づいて「七」が完全数とされますが、「八」は完全数「七」の次に来る数であるゆえに、新生、再生、生まれ変わりを表します。西ヨーロッパでは中世初期まで全身を水中に沈める洗礼が行われていたために、礼拝堂とは別に洗礼堂が建てられました。洗礼堂の多くは八角形のプランに拠りますが、これは洗礼が死と再生の儀礼であるからです。
(下) フィレンツェ司教座聖堂サンタ・マリア・デル・フィオレに付属する洗礼堂 (il Battistero di San Giovanni Battista,
Firenze) の平面図。八角形の建物であることがよくわかります。
Charles A. Cummings, "A History of Architecture in Italy", 1901
また本品において、主の祈りと栄唱のビーズに「ミエル」(蜂蜜色)または「オール」(or 金色)が使われていることにも意味があります。「天にまします我らの父よ。皆の尊まれんことを。御国の来たらんことを。御心の天に行わるる如く、地にも行われんことを」と祈るとき、そこに願われているのはキリスト者にとっての「乳と蜜が流れる約束の地」、すなわち「キウィタース・デイー」(CIVITAS
DEI ラテン語で「神の国」)の到来です。それは黄金色の栄光に輝く国でもあります。したがって蜂蜜色のビーズ、あるいは金色の代用としての黄色いビーズは、神の栄光を象徴するとともに、神の国の到来を願う気持ちを表しています。
フランス語で「クール」(cœur 心臓)と呼ばれるセンター・メダルは、円盤状の800シルバー製で、受胎を告知された少女マリアの横顔を浮き彫りにしています。歳若き聖母はしっかりと目を開いて胸の前に手を合わせ、斜め上方をまっすぐに見つめています。天使から救世主の受胎を告知されるという想像を絶する事態にもかかわらず、少女はすべてを神に委ね、その心は平和に満たされているのです。
少女を囲むように、ラテン語で「サンクタ・マリア」(SANCTA MARIA 「聖マリア」 聖母マリアのこと)の文字が刻まれています。フランスにおいて800シルバーを示す「イノシシの頭」のホールマークが、左上の環に刻印されています。
クールの直径は突出部分を除いて 9.3ミリメートルとビーズよりも小さなサイズです。上の写真は実物の面積を 140倍に拡大しています。定規のひと目盛りは1ミリメートルです。非常に小さな作品ですが、少女マリアの整った横顔にはかすかな微笑みさえ読み取れます。緊張せず自然な形の手指にも、神と近しい少女の信仰心がよく表れています。
マリアの体と背景の境目は意図的にぼかされ、あたかも少女が聖性の微光に包まれているかのような柔らかく優しい表現となっています。絵画では色を混ぜれば簡単にぼかせますが、メダイユ彫刻には色彩がありません。それにもかかわらず、本品においては高低差
0.5 mm以下の凹凸で、ぼかしが実現されています。マリアの眼、鼻、口は均整がとれた形ですが、これらは縦 1.5 ミリメートル程の範囲内にすべて収まっています。美しい指は、幅
0.2ミリメートル程しかありません。本品のクールに浮き彫り彫刻を施したメダイユ彫刻家の芸術的才能と職人的技量は、作品が小さいだけにいっそう、想像を絶します。
彫刻家のサインは見当たりませんが、ゴドフロワ・デフリーゼ (Godefroid Devreese, 1861 - 1941) の作品に似ています。デフリーゼは 1900年代から 1920年代を中心に活躍したメダイユ彫刻家で、正統的アール・ヌーヴォー様式による数々の優美な作品で知られています。
クールの裏面には雲上(すなわち天上)にある十字架とオリーヴが刻まれています。宗教的なメダイの裏面に刻まれる植物種は、特に聖母のメダイの場合、「雅歌」2章2節に基づくユリ、あるいは無原罪の御宿りを象徴する薔薇であることがほとんどで、オリーヴを刻んだ本品はたいへん珍しい作例です。
箱舟からから鳩を放すノア。13世紀イタリアのモザイク画。
「創世記」 8章8節から12節には次のように記述されています。
ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーヴの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。 (「創世記」 8章 8 - 12節 新共同訳) |
それゆえオリーヴは、「神との平和」を表します。オリーヴが象徴するこの意味は、十字架と組み合わせることでいっそう強調されています。
またクール(センター・メダル)の表(おもて)面には天を仰いで祈る少女マリアが刻まれていますが、マリアは天使ガブリエルに受胎を告知された際、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカによる福音書 1: 38)と答えてこれを受け容れ、その信仰によって恩寵の器となりました。それゆえ天使祝詞を唱えるためのロザリオ、救い主の母であるマリア、十字架、オリーヴは、すべて「神との平和」を指し示しています。
本品に見られるこれらを組み合わせは、宗教的な意味においてこのうえなく調和的であるといえ、本品を数あるロザリオのなかでも特に意味深く象徴性に富む作例としています。
クルシフィクスは飾り気なくシンプルなラテン十字に別作のコルプス(磔刑像)を溶接しています。突出部分にも摩耗は見られず、制作当時のままの良好な保存状態です。
最初のビーズの手前に、ノートル=ダム・ド・ルルド(ルルドの聖母)の小メダイが取り付けられています。この小メダイは、エマイユの一種、「エマイユ・シュル・バス=タイユ」」(l'émail sur basse-taille) と呼ばれる技法により、聖母の色であるブリュ・マリアル(le
bleu marial マリアの青、マリアン・ブルー)のガラスが掛けられて、三次元的な奥行きと精神的な深みを感じさせる仕上がりとなっています。
メダイは八角形の800シルバー製で、突出部分を除くサイズは 10 x 8 ミリメートルです。お使いのモニタにもよりますが、下の写真は実物の面積を数十倍から百数十倍に拡大しています。定規のひと目盛りは1ミリメートルです。
表(おもて)面には少女マリアの横顔、裏面にはルルドの岩場に出現した聖母と、その前に跪(ひざまず)くベルナデット・スビルーを浮き彫りにしています。ベルナデットはヴェールを被って聖母の前に跪き、聖母を見上げて手を合わせています。
1858年3月25日、16回目の出現の際、ベルナデットに四度繰り返して名を問われた聖母は、胸の前に手を合わせて天を見上げ、「我は無原罪の御宿りなり」と答えました。聖母は薔薇の繁みに傷付くことなく裸足で立っていますが、これはエヴァの罪を受け継がない無原罪の御宿りの図像表現です。
(下) フレデリック・ヴェルノン (Charles-Frédéric Victor Vernon, 1858 - 1912) 作 「エヴァ」(1905年) 当店の商品です。
本品は数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、非常に良好な保存状態で、特筆すべき問題は何もありません。59個のビーズのロザリオを「聖母のシャプレ」(シャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ chapelet
de la Vierge)といいますが、本品は数ある「聖母のシャプレ」のなかでも最も優れた作例の一つです。八つの色が響き合うさまは目で見て美しいのみならず、シャプレ各部に深い精神性と象徴性を籠めて制作されています。軽量さと丈夫さのために、大粒のビーズにプラスティックを採用しつつ、金属部分には信心具の最高級素材である銀を使った本品は、二十世紀フランスにおけるロザリオの佳作です。