エマイユ・パンと透かし細工による円盤状クルシフィクス 《銀と地中海珊瑚のローゼンクランツ 全長 52 cm》 使徒信条の十字架付 南ドイツ、シュヴェービッシュ・グミュント 1800年頃



環状部分の長さ   68 cm (34 cm x 2)

クルシフィクスを下にして吊り下げたときの、環状部分上端から下げ飾りの下端までの長さ  52 cm


主の祈りと栄唱の珠の直径 7 mm

天使祝詞の珠の直径 6 mm


クレドクロイツのサイズ 29 x 29 mm  最大の厚さ 8 mm


エマイユの直径 10 mm

突出部分を除く円盤状クルシフィクスの直径 26 mm  最大の厚さ 11 mm


突出部分を含む十字架型下げ飾りのサイズ 25 x 19 mm




 1800年頃に南ドイツ、シュヴェービッシュ・グミュントで制作された銀線細工のローゼンクランツ。ローゼンクランツ(独 Rosenkranz)とはドイツ語で「薔薇の花環」という意味で、ラテン語のロサーリウム(羅 ROSARIUM)すなわちロザリオのことです。本品はクルシフィクスのすぐ上にクレドクロイツ(独 Credokreuz 使徒信条の十字架)を有します。クレドクロイツがあり、センター・メダルを有さないローゼンクランツ(ロザリオ)は、ドイツのアンティーク品の特徴です。





 ローゼンクランツ(ロザリオ)の祈りの起点はクルシフィクスです。通常のクルシフィクスは十字架にコルプスが取り付けられていますが、本品のクルシフィクスは立体的なラテン十字ではなく円形のエマイユ・パン(仏 émail peint エマイユ画)で、周囲の銀線細工により直径 26ミリメートル、厚さ 11ミリメートルの円盤となっています。円盤状クルシフィクスの下部にギリシア十字の下げ飾りが付いています。





 円盤型のクルシフィクスは極めて珍しい作例ですが、フランス語クルシフィクスの語源であるラテン語クルシフィクスス(羅 CRUCIFIXUS)は十字架につけられた人、すなわちキリストの意であり、図像の三次元性を含意しません。したがって図像の材質、技法、形状、立体性の有無にかかわらず、十字架につけられたキリストが表現されていればクルシフィクスです。





 本品のエマイユ・パン(エマイユ画)は直径 10ミリメートルの銀板に磔刑像を描き、撚り紐状の銀線の環で筒状の覆輪に固定しています。八枚の花弁を思わせる銀線細工が覆輪の基部に取り付けられています。花弁は先端に向かうにつれエマイユ裏面の方向へ深皿状に湾曲し、もう片方の面と合わさって厚みのある円盤を為します。





 室温における金の熱伝導率は 318 W/mK と大きいですが、銀の熱伝導率は 429 W/mK と金の値を超え、極めて大きな値です。したがって繊細な銀線細工を作る際に一箇所を溶接してから隣の箇所に移ろうとすると、先ほど溶接した箇所の銀が容易に融けてしまいます。このような理由で繊細な銀線細工の制作には、金線細工よりもはるかに大きな困難が伴います。この困難を回避するため、繊細な銀線細工を模した板状の部材を銀板から打ち抜き、それを曲げて銀線細工風に仕上げたクルシフィクス、クレドクロス、ビーズのスペイサーが、十九世紀後半ば以降は多く見られるようになります。

 しかるに本品の銀線細工は型で打ち抜いた部材を一切使用せず、すべてを銀線の溶接で制作した真正の銀線細工です。このことは拡大写真を見ればお分かりいただけます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、1ミリメートルです。エマイユ部分の直径は 10ミリメートル、銀線の幅はおよそ 0.2ミリメートルです。エマイユ画と銀線細工の繊細さが分かります。





 イエス・キリストの名前はギリシア語でイエースース(IHΣOYΣ イエス)と言い、最初の三文字イオタ、エータ、シグマ(IHΣ)で略記されます。キリストを象徴する文字をクリストグラムと呼びます。イオタ、エータ、シグマ(IHΣ)はクリストグラムの一つです。イオタ、エータ、シグマ(IHΣ)はギリシア文字ですが、西ヨーロッパではシグマを異体字(S)に置き換えて、ラテン文字アイ、エイチ、エス(IHS)のように見える表記も行われます。

 本品のクルシフィクス裏面のエマイユ画は、アイ、エイチ、エス(IHS)に十字架を組み合わせたモノグラムを心臓の上に書き、その下に三本の釘を加えています。アイ、エイチ、エスはイオタ、エータ、シグマ(IHΣ)を西欧風に表現したものですから、この印を帯びた心臓はキリストの聖心に他なりません。聖心から発出する眩い光輝は、人智を絶する神とキリストの愛の可視的表現です。





 西ヨーロッパのキリスト教に最も大きな影響を及ぼした教父、ヒッポのアウグスティヌスによると、光は天から来る唯一の可視的なものであると考えました。すなわち光は神の可視化であるといえます。またスコラ学において愛をはじめとする神の属性は、神ご自身と区別されません。したがって聖心から発出する光輝は、愛なる神が光として可視化されたものです。それゆえ光を発出する聖心を三本の釘と組み合わせたエマイユ画は、自らを小さくし給うたロゴス、子なる神イエス・キリストが十字架に受難し給う様子を象徴的に表現しているのであって、もう一方の面のクルシフィクスと全く同じ意味を持っています。









 円盤状クルシフィクス上部から突出する環に、アラビア数字 "12" と一角獣の刻印があります。アラビア数字 "12" は純度十二ロート(12 Loth, 12/16)の銀を示すレプンツェ(独 Repunze 貴金属の検質印、ホールマーク)です。一角獣の刻印はシュヴェービッシュ・グミュントで検質されたことを示しますから、本品の制作地もシュヴェービッシュ・グミュントと判断できます。シュヴェービッシュ・グミュント(Schwäbisch Gmünd バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト県)はシュトゥットガルトから東に五十キロメートル弱離れたところにある人口六万人の小都市で、十六世紀以降、金銀細工が盛んなことで知られています。

 筆者(広川)の手許にある資料(Urs-Beat Frei und Fredy Bühler, „DER ROSENKRANZ - Andacht, Geschichte, Kunst“, Benteli Verlag Bern, Museum Bruder Klaus Sachseln, 2003)に、一連のゲベーツケッテ(独 Gebetskette)の写真が掲載されています。ゲベーツケッテとはドイツ語で「祈りの鎖」という意味で、一連の小ロザリオを指します。上掲書において当該の小型ロザリオはュヴェービッシュ・グミュントで 1800年頃に制作されたものとされていますが、同様の作りである本品の制作年代も同じ頃と考えられます。





 ドイツのアンティーク・ローゼンクランツには、クルシフィクスのすぐ上に、クレドクロイツが付いています。クレドクロイツ(独 Credokreuz)とは使徒信条の十字架という意味で、この十字架のところで使徒信条を唱えます。

 クレードー(羅 CREDO)は、「信じる」という意味のラテン語の動詞です。ラテン語を含む印欧語(インド=ヨーロッパ語)は、動詞の語尾が法、相、時制とアスペクト、人称、数に従って複雑に変化します。英語ではこの変化がいわば磨滅して単調になり、また複合形に頼るようになったので、動詞の曲用(語形変化)がほとんど無くなって、主語を明示する必要が生じました。フランス語の動詞の変化は英語に比べてずっと複雑ですが、語末の子音を発音しないゆえに耳で聞いて語形を判別できないので、やはり主語を明示します。しかるにスペイン語やイタリア語は動詞語尾の変化がよく保たれ、語尾の発音もはっきりとしているので、多くの場合、主語を言う必要がありません。ラテン語もこれと同じで、クレードーは主語が「私」であるときの現在形、詳しく正確に言えば直説法能動相現在一人称単数という形です。クレードーという語自体はあくまでも動詞で、「私」という代名詞を含みませんが、主語を付けて「私は信じる」「我信ず」と訳すことができます。

 使徒信条をクレードーというのは、冒頭にこの語があるからです。使徒信条(クレードー)の内容を、ラテン語と日本語で下に示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Credo in Deum, Patrem omnipotentem, Creatorem cæli et terræ,     我は神を信ず。神は全能の父にして、天と地の造り主なり。
     et in Iesum Christum, Filium Eius unicum, Dominum nostrum, qui conceptus est de Spiritu Sancto, natus ex Maria Virgine, passus sub Pontio Pilato, crucifixus, mortuus, et sepultus, descendit ad inferos, tertia die resurrexit a mortuis, ascendit ad cælos, sedet ad dexteram Patris omnipotentis, inde venturus est iudicare vivos et mortuos.     我はイエス・キリストを信ず。イエス・キリストは神の独り子にして我らが主なり。聖霊によって宿り、おとめマリアから生まれ、ポンティウス・ピラトゥスのもとで苦しみ、十字架に付けられ、死に、葬られ、黄泉に降(くだ)り、三日目に死者たちの中から復活し、天に昇り、全能なる御父の右に座し給う。生ける者どもと死せる者どもを裁くために、天から来給うべし。
     Credo in Spiritum Sanctum, sanctam Ecclesiam catholicam, sanctorum communionem, remissionem peccatorum, carnis resurrectionem, vitam æternam.     我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪びとの赦し、肉体の復活、永遠の生命を信ず。
     Amen.     アーメン。


 "CREDO" は語根を印欧基語まで遡れる古いラテン語です。もともとは商業用語で、与格と共に用い、「信用して貸す」「信託する」という意味ですが、やがて広義に「信用する」という意味を獲得しました。"CREDO IN acc." の形で用いるのは教会ラテン語で、ちょうど英語の "believe in acc." に相当します。





 クレドクロイツも透かし細工で、円盤状クルシフィクスと同様に、型抜きではなく真正の銀線細工で制作されています。交差部の中心に六弁の花が咲き、花の四方には円形飾りが取り付けられています。円形飾りに逸失がありますが、気になりません。







 天使祝詞のペルレン(独 Perlen 珠、ビーズ)は、直径約 10ミリメートルの円柱状にカットした珊瑚でできています。一つ一つのカットと研磨が手作業で行われているために、個々のペルレ(珠)が唯一無二の個性を有します。珊瑚は産地によって色が異なります。本品の珊瑚は地中海産です。

 十九世紀半ば以降に制作されたロザリオの場合、銀線細工を模して打ち抜いた型をカップ状に湾曲させ、二つの部品を合わせて主の祈りと栄唱の珠を作ります。しかるに本品の主の祈りと栄唱の珠はクルシフィクス及びクレドクロイツと同様の作り方で、型を使わず真正の銀線細工で作られています。これは近世以前に制作された銀製ロザリオの特徴であり、1800年頃という制作年代を裏付けています。主の祈りと栄唱の珠は両側に銀のスペイサーを介して珊瑚の珠に繋がっていますが、このスペイサーも型を使わず真正の銀線細工で作られています。





 本品は二百年以上前に南ドイツで制作された真正のアンティーク品です。たいへん古い品物ですが、保存状態は良好で、特筆すべき問題はありません。清らかな光を放つ銀色は、天使に「アヴェ、マリア」と呼びかけられた少女にふさわしい清らかな輝きを放ちます。軽やかな透かし細工は、マリアが被る花嫁のヴェールを思い起こさせます。





本体価格 118,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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