淡い金色のクルシフィクスとクール(仏 cœur センター・メダル)、無色透明のガラス製ビーズを使用したシャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ(聖母のロザリオ)。十九世紀後半から二十世紀初頭のフランスで制作された美しい品物です。このように美麗なシャプレは、多くの場合、初聖体を受ける子供のために購入されましたが、本品は全長
57 センチメートル、ビーズの直径 9 ミリメートル、重量 76.7 グラムと大きなサイズで、大人にも十分にお使いいただけます。
クルシフィクスの十字架は華やかな透かし細工を有するラテン十字で、交差部に大型の花弁状光背を配し、別作のコルプス(キリスト像)を溶接しています。装飾的な十字架は交差部から外側に向けて幅が広がり、末端にアカンサス(唐草)の装飾を有します。十字架の模様は、裏面にも同等の丁寧さで同じ意匠が施されています。
本品はクルシフィクスを下にして吊り下げるとセンター・メダルが倒立しますが、これは十九世紀のフランスで制作されたロザリオの特徴です。本品のセンター・メダルは、マリアの頭文字エム(M)を模(かたど)っています。フランス語ではセンター・メダルをクール(仏
cœur)と呼びます。クールとは心臓、ハートのことです。しかるに心臓は愛と生命の象徴です。したがってエム(M)でマリアを象る本品のクールは、聖母マリアの愛と生命を象徴しています。
(上) Fra Filippo Lippi (1406 - 1469), Madonna and Child Enthroned with Two Angels, 1437, tempera and gold on wood, Metropolitan Museum of Art, New York
「出エジプト記」二十五章及び「詩編」八十編によると、イスラエルの幕屋の至聖所にはケルビム像を取り付けた「贖いの座」があって、神が顕現し給う所となっていました。また「列王記
上」六章二十三節から三十五節、及び八章六節から七節によると、ソロモン神殿の至聖所では、ケルビムが契約の箱を守っていました。幕屋及びソロモン神殿において、ケルビムは地上における神の座でした。「詩編」八十編二節には次のように書かれています。
イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ。御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください 。(新共同訳)
ネオカイサレアの司教、聖グレゴリウス・タウマトゥルグス(Γρηγόριος ὁ Θαυματουργός, Γρηγόριος Νεοκαισαρείας,
c. 213 - c. 270)はキリスト教の立場に立って、叙上の聖句冒頭の「イスラエル」を新しきイスラエル、すなわちエクレシア(キリスト教会、キリスト教徒全体)の意味に解しました。この解釈に従えば、「イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方」とはキリストを指していることになります。これを上の聖句に当てはめると、キリストはケルビムの上に座していることになります。
一方、幼子イエスは聖母の膝の上に座しています。オリンポスの司教、聖メトディウス (Μεθόδιος Όλύμπου, + 311) は、聖母を幼子イエスの「おとめなる玉座」と呼びました。ここに至って、「おとめなる玉座」なる聖母の膝と「ケルビムの座」の間にアナロギア(希
ἀναλογία 類比)が成立します。
「箴言」八章から九章ではまことの知恵について述べられていますが、キリスト教の立場に立つと、この知恵はキリストを指していると考えられます。なぜならば「ヨハネによる福音書」一章一節において、キリストは「ロゴス」(希 λόγος)と呼ばれているからです。このような根拠に基づき、知恵そのものである幼子イエスを膝の上に抱く聖母は「まことの知恵」の玉座、「セーデス・サピエンティアエ」(羅 SEDES SAPIENTIAE 知恵の座、上智の座)です。この比喩において、聖母はケルビムに比せられます。
上の絵はフィリッポ・リッピによるテンペラ板絵で、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。聖母子の右後ろ(向かって左後ろ)にいる天使は、ヴルガタ訳「集会書」二十四章二十六節の聖句「われを欲する汝等は皆、われに来(きた)りて、われの産み出すものにて満たされよ」(羅
VENITE AD ME OMNES QUI CONCUPISCITIS ME ET A GENERATIONIBUS MEIS IMPLEMINI)を手にしています。「集会書」二十四章の「我」とは「知恵」(SAPIENTIA)
すなわちイエスのことであり、この作品において聖母は知恵の座として表現されています。なお新共同訳聖書において、この箇所は「シラ書」二十四章十九節に当たります。
「集会書」(シラ書)二十四章は、《知恵》(羅 SAPIENTIA)による自身への讃歌となっています。しかるに「集会書」のキリスト教的解釈によると、この《知恵》とはイエス・キリストのことに他なりません。それゆえフラ・フィリッポ・リッピの上掲の作品において、聖母は膝にイエスを乗せてイエスの座となっているゆえに、上智の座(羅
SEDES SAPIENTIAE)であると言うことができます。
エム(M)を模る本品のクールがマリアの象徴であるのは既に指摘した通りですが、このクールには童形のケルブが重ねられています。これはマリアとケルブの等価性を表す意匠であり、上智の座としてのマリアを象徴しています。
十字架と同様に、本品のクールにもアカンサス(唐草)があしらわれています。アカンサスとはハアザミのことで、葉の縁、及び花の下にある苞(ほう)が棘状に尖っています。アカンサス(ἂκανθος アカントス)という名称はギリシア語で「棘のある花」という意味で、アカンタ(ἂκανθα 棘)とアントス(ἂνθοϛ 花)に由来します。
コリント式柱頭を見てもわかるように、アカンサスの意匠は古代ギリシア以来使われ続けていますが、キリスト教文化の象徴体系において、植物の棘(アカンタ)は苦しみや死を表します。「創世記」三章において原罪を犯したアダムに神が言われた言葉を、七十人訳と新共同訳によって引用いたします。新共同訳が「茨」と訳している語は、ギリシア語(七十人訳)では「アカンタ」(引用文中では複数対格形アカンタス ἀκάνθας)となっています。
17 |
τῷ δὲ Αδαμ εἶπεν Ὅτι ἤκουσας τῆς φωνῆς τῆς γυναικός σου καὶ ἔφαγες
ἀπὸ τοῦ ξύλου, οὗ ἐνετειλάμην σοι τούτου μόνου μὴ φαγεῖν ἀπ αὐτοῦ, ἐπικατάρατος
ἡ γῆ ἐν τοῖς ἔργοις σου· ἐν λύπαις φάγῃ αὐτὴν πάσας τὰς ἡμέρας τῆς ζωῆς σου·
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神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。 | ||
18 | ἀκάνθας καὶ τριβόλους ἀνατελεῖ σοι, καὶ φάγῃ τὸν χόρτον τοῦ ἀγροῦ. | お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。 | ||
19 | ἐν ἱδρῶτι τοῦ προσώπου σου φάγῃ τὸν ἄρτον σου ἕως τοῦ ἀποστρέψαι σε εἰς τὴν γῆν, ἐξ ἧς ἐλήμφθης· ὅτι γῆ εἶ καὶ εἰς γῆν ἀπελεύσῃ. (Saptuaginta) | お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」 (新共同訳) |
上の引用箇所からわかるように、本品の十字架にあしらわれたアカンサスは、アダムとエヴァの原罪ゆえにイエス・キリストが受け給うた苦しみと死を表します。一方クールにあしらわれたアカンサスは、ひとり子イエスを喪った聖母の悲しみ、あるいはマーテル・ドローローサとしての聖母を象徴しています。本品のビーズは屈折率の高いクリスタル・ガラス(鉛ガラス)に宝石のようなカットを施したものですが、そのきらきらと輝く様子は、汚れなき聖母が十字架の下で流し給うた涙を思い起こさせます。
ビーズは直径九ミリメートルのクリスタル・ガラス(鉛ガラス)製で、多数のファセット(小面)を有します。ソーダ石灰ガラス(窓ガラスやガラス瓶に使われる普通のガラス)に比べると、クリスタル・ガラスは硬度が低く、カットに適します。また屈折率が高いため、カットを施すことにより、きらきらと美しく輝きます。
量産されたロザリオの場合、ソーダ石灰ガラスを型に流し込んでカット・クリスタル風に成型します。しかしながら本品のビーズは真正のクリスタル・ガラス(鉛ガラス)製で、ひとつひとつのビーズが丁寧にファセット・カットされています。本品のビーズはサイズが大きいうえに、クリスタル・ガラスはソーダ石灰ガラスよりも比重が大きいので、ロザリオ全体は
76.7 グラムの重量があります。これは五百円硬貨十一枚分に相当し、手に取るとかなりの重みを感じます。
無色透明のカット・クリスタル製ビーズは、喜びの玄義、苦しみの玄義、栄光の玄義のそれぞれにおいて流された聖母の涙を思わせます。
ロザリオにおいて最も多く繰り返される天使祝詞(アヴェ、マリア)の前半は、「ルカによる福音書」一章に記録された受胎告知の際、天使ガブリエルが少女マリアに語った言葉に基づきます。アヴェ(AVE)はギリシア語の間投詞カイレ(Χαῖρε)のラテン語訳で、この「カイレ」は「ゼファニア書」三章十四節、及び「ゼカリア書」九章九節を典拠とします。きらきらと輝く本品のビーズは聖母が流し給うた喜びの涙、苦しみの涙、栄光の涙でありますが、最も卓越的な意味においては、救い主の降誕を喜ぶ喜びの涙です。すなわち預言者ゼファニアとゼカリアはそれぞれの小預言書においてメシア(救い主)の出現を予告し、次のように語っています。
七十人訳 | 新共同訳 | |||
「ゼファニア書」 3章14節 | ||||
Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών, κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· εὐφραίνου καὶ κατατέρπου ἐξ ὅλης τῆς καρδίας σου, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ. | 娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。 | |||
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.「ゼカリア書」 9章9節 | ||||
Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών· κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· ἰδοὺ ὁ βασιλεὺς σου ἔρχεταί σοι, δίκαιος καὶ σῴζων αὐτός, πραΰς καὶ ἐπιβεβηκὼς ἐπὶ ὑποζύγιον καὶ πῶλον νέον. | 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。 |
これらの箇所において七十人訳が「カイレ・スポドラ」(希 Χαῖρε σφόδρα 大いに喜べ)と希訳しているヘブル語テキストを、新共同訳は「喜び叫べ」「大いに踊れ」と和訳しています。
五連のシャプレ(ロザリオ)を使ってロザリオの祈りを完了しようとすれば、現在では四周する必要があります。本品が作られたのは百年以上前ですが、当時でも三周する必要がありました。各玄義の祈りを完了するたびにクールを通って次の玄義に移るシャプレの構造は、心臓が有する重要な役割を示唆します。上述したように、かつて心臓は単なるポンプではなく、生命の座、愛の座と考えられました。宇宙をマクロコスモス、人体をミクロコスモスと考えるならば、心臓は太陽に相当する生命とエネルギーの源と看做されていました。
本品のクールは聖母の心臓であり、聖母の生命と愛を象ります。すなわち本品のクールは聖母の汚れなき御心と等価であって、生命のすべてを挙げて神とキリストに捧げる愛を形象化しています。聖母はキリスト者の鑑(かがみ 手本)ですから、マリアの心臓を明示的にクールとした本品シャプレは、ロザリオの祈りが神とキリストへに捧げる愛に他ならないことを可視化しています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は単なる信心具を超えて、美術工芸品の水準に到達しています。百年以上前のフランスで制作された古い品物であるにもかかわらず、本品の保存状態はたいへん良好で、特筆すべき問題は何もありません。チェーンの強度に問題は無く、コルプスは十字架にしっかりと付いています。
本品は金めっきの層がいくぶん薄くなり、上品なシャンパン・ゴールドを呈しています。シャプレ(ロザリオ)の金属製クルシフィクス、クール、チェーンは銀色であることが多く、特に無色透明のビーズのシャプレはほぼ全てが銀色です。筆者(広川)は長年に亙ってフランス製アンティーク・シャプレを扱っていますが、無色透明のビーズと金色を組み合わせた本品は、筆者がこれまでに目にしたなかで唯一の例です。