ナチ強制収容所からの生還 記念カード

多色刷りタイポグラヴュア  120 x 73 mm

1945年


「ビラン修道士 ナチ強制収容所からの解放記念」と書かれたカード。





ビラン氏(本名 アルフレート・ウンタライナー Alfred Untereiner, 1906 -)はキリスト教学校修士会(ラ・サール会 Frere des Ecoles Chretiennes)の修道士です。

フランス、シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏マルヌ県の町エペルネ (Epernay) でラ・サール会が運営する学校の教員として働くかたわら、

ナチの強制収容所から脱走した囚人たち、収容所に送られそうな若者たちを助けるために、偽造書類を渡す、隠れ場所を提供する等の活動をしていましたが、

1943年 12月 15日、学校での授業中にゲシュタポ(ナチの秘密警察)に逮捕され、翌年 1月 27日にはブーヒェンヴァルト強制収容所に送られ、43652という番号を割り振られました。

次いで 1944年 3月 13日には V2ロケットを製造していたミッテルヴェルク社(Mittelwerk GmbH) の人員供給源であるドラ (Mittelbau-Dora) の強制収容所、

1944年 4月 4日にはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、1945年 4月 15日にイギリス軍によって解放されました。





カードの表(おもて)面最上部には、次の言葉がフランス語で書かれています。

En Souvenir de ma liberation des <bagnes nazis>, FRERE BIRIN (Ex 43,652)

Buchenwald - Dora - Bergen-Belsen, 1943 - 1945

ナチの強制労働から解放された記念に ビラン修道士 (収容者番号43652)

ブーヒェンヴァルト - ドラ - ベルゲン・ベルゼン 1943 - 1945年


その下には、囚われの網から解放されて夜明けの空に飛び立つ白い鳩が描かれています。


画面の下には、次の言葉がフランス語で書かれています。

Seigneur soyez beni! Le filet s'est rompu et nous avons ete delivres! (PSC XXIII 6, 7)

主をほめたたえよ。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。

(註) 上の言葉の後半は、詩篇 124:7の後半部分です。

詩篇 127:7 仕掛けられた網から逃れる鳥のようにわたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。





裏面には次の言葉がフランス語で書かれています。

Soyez fideles a votre traditionelle vocation! Jamais l'heure n'a ete plus grave pour vous en imposer les devoirs, jamais heure plus belle pour y repondre. Ne laissez pas passer l'heure, ne laissez pas s'etioler des dons que Dieu a adaptes a la mission qu'il vous confie, ne les gaspillez pas, ne les profanez pas au service de quelque autre ideal trompeur, inconsistant ou moins noble et moins digne de vous...

各人が従前の仕事を守ってください。これまでの歴史の中で、義務を与えることがいまほど大切であった時代、義務を果たすことがいまほど素晴らしいことであった時代はありません。この機会を逃してはなりません。神はあなたがたに使命を委ね給いました。その使命に全力を尽くす機会は、神が与えたもうた賜物です。それに疲れてしまうようであってはなりません。神が与えたもうたこの賜物を、無駄にしてはならないのです。他の偽りの理想に身を委ねて、神よりのこの賜物を汚すことがあってはなりません。偽りの理想は矛盾をはらむもの、高貴ならざるもの、あなたがたにふさわしからざるものなのですから。


Paroles prononcees par SA SAINTETE PIE XII a NOTRE-DAME DE PARIS (Juillet 1937) et rappelees textuellement par le SOUVERAIN PONTIFE dans sa lettre aux Cardinaux francais (Fevrier 1945).

ピウス 12世聖下により、1937年 7月にノートルダム・ド・パリで語られ、1945年 2月にフランス人枢機卿宛の手紙においてそのまま繰り返された言葉。



ピウス12世 (Pius XII 在位 1939 - 1958) が上の言葉を語ったのは 1937年で、当時はまだ教皇ではなく、パチェッリ枢機卿でした。

パチェッリ枢機卿は 1937年、教皇ピウス11世 (Pius XI 在位 1922 - 1939) のときの回勅「燃ゆるがごとき懸念を以って」 (Mit brennender Sorge) を書いたことでも知られています。
カトリックの回勅はラテン語で書かれますが、この回勅は異例なことにドイツ語で書かれ、ドイツ中のカトリック教会で読み上げられました。その内容は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった総統ヒトラーを高慢な狂気の偽預言者と批判し、ナチズムと反ユダヤ主義を厳しく断罪するものでした。





裏面の最下部には次の言葉が書かれています。


AUMONERIE GENERALE, 120, Rue du Cherche-Midi, Paris C. C. P. Paris 1790-44

司祭派遣本部 パリ、シェルシュ・ミディ通り 120番地 郵便振替 1790-44


以下はラテン語です。

IMPRIMATUR PARISIIS DIE 26a JULII 1945 A. LECLERC. V. G.

印刷許可 パリにて 1945年 7月 26日 司教総代理 A. ルクレルク


(参考価格 3,800円)


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