預言者ダニエル
羅 DANIEL PROPHETA 仏 Daniel le Prophète 独 Daniel der Seher




(上) Dalomon Koninck, "Daniel before Nebuchadnezzar", 1630 - 56, Oil on canvas, 1650 x 1650 mm, Kedleston Hall, Derbyshire


 旧約聖書には五巻の大預言書が収められており、最後の巻が「ダニエル書」です。ダニエルは「ダニエル書」全体の著者ではありませんが、バビロン捕囚時代(B.C. 587 - B.C. 538)に実在した人物と考えられます。


【史的ダニエル】

 ダニエルは「神は裁き給う」という意味で、旧約聖書にはこの名前を持つ数人の人物が登場します。その中で最もよく知られるのが「ダニエル書」の預言者です。「ダニエル書」の預言者ダニエルについて、現代の聖書学者の中には史的実在性を疑う人もいます。しかしながら少なくともキリスト教会の伝統において、ダニエルは実在の人物と考えられています。

 イエス・キリストは「マタイによる福音書」二十四章十五節において預言者ダニエルに言及しておられます。使徒パウロが書いた「コリントの信徒への手紙 一」六章二節から三節は、「ダニエル書」七章二十二節に基づきます。また教父たちの著作においても、預言者ダニエルの史的実在性は自明のこととされています。聖書の関連個所を、新共同訳によって引用します。

  「マタイによる福音書」 二十四章十五節から十六節
   預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
 
  「ダニエル書」 七章二十二節
   やがて、「日の老いたる者」が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたのである。
 
  「コリントの信徒への手紙 一」 六章二節から三節
   あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。


【聖書各巻の配列における「ダニエル書」の位置、およびマソラ本文に含まれない「ダニエル書」の内容】



(上) François Boucher, "Suzanne et les vieillards", 1740, huile sur toile, 730 x 912 mm, Musée Sainte-Croix, Poitiers


 旧約聖書の各巻は、その内容に従って、歴史書、預言書、知恵文学、詩歌に分類することができます。ユダヤ教の聖書では「ダニエル書」は歴史書と看做されて、「エステル記」と「エズラ記、ネヘミヤ記」の間に置かれます。しかるに七十人訳聖書はキリスト教の聖書と同じく、「ダニエル書」を大預言書の五巻目に配置しています。


 日本語の新共同訳をはじめ、現代のキリスト教会で使用される旧約聖書の最も重要な底本は、ドイツ聖書協会が 1968年から出版している「ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア」("BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA", BHS)です。「ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア」は最古のマソラ本であるレニングラード・コーデクスに基づいています。クムランの死海写本はマソラ本で、レニングラード・コーデクスはこれとほとんど一致しています(註1)。

 しかしながら紀元前三世紀ないし二世紀xv頃に成立した七十人訳、および紀元 150年頃に成立したテオドティオン訳(いずれもギリシア語)の「ダニエル書」には、マソラ本文に含まれない次のテキストが含まれます。

  アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌   「ダニエル書」 三章二十四節から九十節
  スザンナ   「ダニエル書」 十三章
  ベルと竜    「ダニエル書」 十四章

 カトリック教会はこれら三つの部分を第二正典とし、「ダニエル書」中、上表の右欄に示した部分に配置します。新共同訳聖書において、これらの部分は「ダニエル書補遺」という表記の下、正典(第一正典)の「ダニエル書」とは分けて、旧約聖書続編の部に配置されています。新共同訳が旧約聖書続編の底本としているのは、ゲッティンゲン研究所(Das Göttinger Septuaginta-Unternehmen, 1908 - 2015)の「ギリシア語旧約聖書」("Vetus Testamentum Graecum auctoritate Academiae Scientiarum Gottingensis editum", Göttingen 1931ff.)です。


【マソラ本「ダニエル書」の内容的区分、著者、成立年代】

 補遺(第二正典)の部分を含め、「ダニエル書」の一貫したテーマは、イスラエルの神こそが唯一まことの神であるということです。

 補遺を除く「ダニエル書」、すなわちカトリック教会の第一正典であり、プロテスタント教会の正典であるマソラ本「ダニエル書」は、成立年代及び内容の観点から、大きく二つの部分(二章から六章、七章から十二章と一章)に分けることができます。

 これら二つのうち、先に成立したのは「ダニエル書」二章から六章です。この部分は当初は互いに独立した説話であったと考えられる六つの物語で構成されています。それぞれの物語はバビロン捕囚時代(紀元前六世紀)に既に成立していたと考えられ、「ダニエル書」の古層を為します。

 次に成立したのはマソラ本「ダニエル書」の残りの部分、すなわち七章から十二章と、一章です。七章から十二章は四つの部分に分けることができますが、全体を通して紀元前二世紀のシリア王アンティオコス四世エピファネス(Ἀντίοχος ὁ Ἐπιφανής, B.C. c, 215 - B.C. 163 註2)が関心の中心となっており、その内容は紀元前 166年から 164年の出来事を黙示録的に記述しています。

 以上のことから、「ダニエル書」七章から十二章の黙示的内容は、この時代に逸名の人物によって書かれたと判断できます。バビロン捕囚時代に遡る部分(二章から六章)に、この人物が黙示的内容(七章から十二章)を続け、「ダニエル書」を完成したのです。一章も同じ作者によるもので、二章から十二章に歴史的位置づけを付与するため、最後に付加された部分と考えることができます(註3)。


【ネブカドネツァル王の同定】



(上) William Blake, "Nebuchadnezzar", 1795 - c. 1805, watercoloured engraving, 543 x 725 mm, Tate


 「ダニエル書」二、三、四章にはネブカドネツァル王が登場しますが、このネブカドネツァル王とは、実際にはナボニドス王のことであると考えられています。その根拠は次の通りです。

 「ダニエル書」四章には非常に奇怪な出来事が記述されています。ネブカドネツァル王はバビロンの繁栄ゆえに慢心していました。預言者ダニエルは王が見た予知夢を解釈し、罪を悔いて神の前に遜るように忠告します。神は十二か月の間、王の悔い改めと善行を待ち給いましたが、王の慢心は変わりませんでした。その結果、王は七つの時すなわち七年間に亙って理性を剥奪されました。バビロンから追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らって生きたのです。七年の終りに理性を半ば取り戻しかけた王が、神の全能をほめたたえる言葉を語ると、理性は完全に戻りました。ネブカドネツァルはふたたびバビロンの王となり、その威光は以前にも増して輝きました。

 いっぽう「ダニエル書」四章の源と思われる出来事の記録が、クムランの出土文書から発見されました。王ナボニドスが奇妙な病のゆえにバビロンを追われ、当時ユダヤ人の共同体があったテーマのオアシスで七年間を過ごしたこと、ユダヤ人呪術師が王を癒したことが、記録に残っていたのです。

 「ダニエル書」四章をクムラン文書の記録と比較すると、クムラン文書の出来事が「ダニエル書」に反映していることがわかります。「ダニエル書」の著者はおそらく物語を強く印象付けるために、ナボニドスを高名なネブカドネツァルに置き換え、王を癒した呪術師をダニエルとしたのでしょう。


【ベルシャツァル王の同定】



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 「ダニエル書」五章にはベルシャツァルという王が登場します。五章二節によると、ベルシャツァルはネブカドネツァルの子です。しかしながら歴史的事実に即して言えば、ベルシャツァルはナボニドスの息子です。「ダニエル書」四章に関係するクムラン文書が記録する通り、ナボニドスは七年のあいだバビロンを離れ、テーマに退いていました。その間にバビロンで父王の代理を務めたのが、ベルシャツァルです。




註1 死海写本の制作時期は紀元前後五十年から紀元十年頃であるが、その原本は紀元前 164年頃に成立したと考えられる。

註2 アンティオコス四世(Ἀντίοχος Δ', B.C. c, 215 - B.C. 163)はセレウコス朝シリアの王。エピファネス(ὁ Ἐπιφανής)はギリシア語で「(神の)顕現」という意味。アンテイオコス四世はユダヤ人を弾圧し、エルサレム神殿をゼウス神殿とした。正統派ユダヤ人はこれに反発し、マカバイ戦争が起こった。

註3 「ダニエル書」がアンティオコス四世時代の著者によることを最初に指摘したのは、ティルスのポルフュリオス(Πορφύριος, c. 233 - 301/305)であった。



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