聖パンテレイモン (聖パンタレオン)
St. Panteleimon, St. Pantaléon



 聖パンテレイモン (St. Panteleimon) は小アジア北部のニコメデイア (Nicomedia) で、裕福な異教徒である父とキリスト教徒である母のあいだに生まれました。母の死後キリスト教から離れていましたが、後にニコデメイア司教の聖ヘルモラオス (St. Hermolaus) の導きによって改心したといわれています。

 聖パンテレイモンはマクシミリアヌス帝 (Marcus Aurelius Valerius Maximianus Herculius, c. 250 - c. 310) またはガレリウス帝 (Gaius Galerius Valerius Maximianus, 260 - 311) の侍医を勤めました。奇跡によって盲人の目を開き、また異教徒であった父を改心させ、父が亡くなるとその財産を貧者に施して賞賛を受けましたが、これらのことが同郷の医師たちの反感を買って、ディオクレティアヌス帝 (Gaius Aurelius Valerius Diocletianus, 244 - 311) による303年の大迫害で殉教したとされています。

 後世のハギオグラフィ(聖人伝)によると、聖パンテレイモンは最初火刑に処せられることになりましたが、キリストがヘルモラオスの姿を取って現れて聖人を守り、火は消えてしまいました。次に融けた鉛を満たした大鍋に入れられましたが、キリストが現れて聖人とともに大鍋に入り、鉛は瞬時に冷えてしまいました。次に大岩をくくりつけて海に投げ込まれましたが、岩は浮かびました。次に猛獣の檻に投げ込まれましたが、猛獣たちは聖人にじゃれついて甘え、聖人の祝福を受けるまで傍を離れませんでした。次に車輪にくくりつけられることになりましたが、縄が切れて車輪も壊れてしまいました。次に斬首されることになりましたが、剣が折れ曲がり、これを見た執行人がキリスト教徒になってしまいました。聖パンテレイモン自身が斬首を望んで、ようやく刑が執行されました。

 聖パンテレイモンは殉教するまでのあいだ、自分を処刑しようとしている人たちが赦されるように、神に祈り続けました。ギリシア語で「すべての人に同情的である」という意味のパンテレイモンという名前は、聖人が敵のために祈ったことを表しています。

 上記のハギオグラフィの内容は後世の創作ですが、ニコメデイアにおいてパンテレイモンという名前のキリスト教徒が殉教したのは歴史的事実であると考えられ、6世紀の作品「ヒエロニムスの殉教者伝」("Martyrologium Hieronymianum") にもパンテレイモンへの言及が見られます。

 ほとんどの伝統的図像において、聖パンテレイモンはひげが無く、巻き毛の頭髪が豊かな若者として、薬の箱を持った姿で表されます。東方教会、ローマ・カトリックとも、数多くの聖堂や修道院が聖パンテレイモンに捧げられています。また聖パンテレイモンは西ヨーロッパにおいてはしばしば聖パンタレオンと呼ばれています。

 聖パンテレイモンは医師や助産婦など医療に携わる人びとの守護聖人です。西ヨーロッパでは14世紀半ばに全人口の3割の命を奪ったとされる黒死病(ペスト)が流行し、これをきっかけに、聖パンテレイモンは病気を癒してくれる14人の聖人たち (holy helpers, saints auxiliaires) のひとりとして、より広く崇敬されるようになりました。

 聖パンテレイモンの聖遺物はサン・ドニやリヨンをはじめ各所に安置されています。また聖パンテレイモンの姿はシャルトルのステンド・グラスにも描かれています。

(下) シャルトル司教座聖堂のステンド・グラス 天国に運ばれる聖パンテレイモンの魂






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