スブールの聖ドリュオン (聖ドロゴ)
St. Druon/Dreux/Drugo/Drogo de Sebourg

カルヴァンの聖ドリュオン教会


 スブールの聖ドリュオン (St. Druon de Sebourg, 1105 - 1185) はベルギーに近い北フランスの町、今日のノール=パ・ド・カレー地域圏パ=ド=カレー県にあるカルヴァン (Carvin) またはエピノワ (Epinoy) のあたりで、裕福な家庭に生まれました。母親はドリュオンを産む際に産褥で亡くなり、父親も早くに亡くなりました。

 母親が亡くなったいきさつを子供の頃に知ったドリュオンは、自分が母を死なせたのだと思い込み、18才のときに全財産を処分して、第一回目のローマ巡礼に旅立ちました。羊飼いの仕事をしながら覚えた野外での生活術は、巡礼の旅で役立ちました。ドリュオンはその後も繰り返しローマ巡礼を行い、その回数は9回にも及びました。

 ドリュオンはスブール(Sebourg ノール=パ・ド・カレー地域圏ノール県)に移り、そこで6年間、羊飼いの仕事をしました。この頃、ドリュオンは野原で仕事をしているのと同じ時刻に教会のミサに出席しているという奇蹟のうわさが立ちました。

 ドリュオンが20代の頃、巡礼旅行の途中で病気になって体が変形し始めました。やがて聖人の体の変形は人が恐れるほどひどくなったので、ドリュオンの聖性を認めていたスブールの人々は、1141年頃、聖堂の横に小窓のついた板小屋を造り、聖人が姿を隠せるようにしました。聖人は小窓から食物と聖体を受け取るとき以外は町の人々と接することなく、亡くなるまでの40年以上の間、聖体と水以外はほとんど口にせず、その小屋で暮らしました。その間に一度、木造藁葺きの聖堂は火事で焼け落ちましたが、聖人の小屋は奇蹟的に無事でした。

 ドリュオンは1186年4月16日、スブールの人々から崇敬を受けつつ亡くなりました。聖人の遺体は遺族が引き取りに来ましたが、馬車に乗せて運ぶ途中でどんどん重くなり、スブールから出る境界線に達すると、どうがんばっても動かせなくなりました。その地点は17世紀まで「モン=ジョワ」(Mont-Joie) と呼ばれており、現在でも十字架が立っています。

 このような経緯でドリュオンの遺体はスブールに戻され、当地の聖堂に埋葬されました。ドリュオンは1213年に列聖されました。


 スブールの聖ドリュオンは心身の病気を抱える人、ろうあ者、孤児、容姿に自信が無い人、カフェの経営者、羊飼いの守護聖人です。祝日は4月16日です。



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