フランス ミニェの輝く十字架 1826年12月17日
apparition de la Sainte Croix à Migné (France)



(上) ミニェの奇蹟を描いた19世紀の小聖画。当店の商品です。


 1825年は聖年でしたが、その翌年の1826年、フランス西部の小村ミニェ(Migné ポワトゥー=シャラント地域圏ヴィエンヌ県)で教区司祭を務めるフランソワ・ボラン師 (P. François Borein) は、この機会にミシオンを行うことに決め、ポワチエのサン=ポルシェール教会 (Église Saint-Porchaire) の教区司祭パスキエ師 (P. Pasquier) と、ポワチエのコレージュ・ロワヤル付司祭マルソ師 (P. Marsault) をミニェに招きました。このミシオンの最終日に、村の上空に十字架が出現するという奇蹟が起こりました。


【奇蹟が起った当日の様子】

 ミシオンが始まったのは 1826年12月5日でした。ミシオンは通常であれば一週間ほどの日程ですが、今回のミシオンは良い手応えがあったので、日程は12月17日までに延長されました。

 最終日にはミニェから教区民が行列を作り、ミニェから1キロメートルほど離れたオザンス (Auxance) の城から大きな十字架(クロワ・ド・ミシオン)を運んできて、午後四時半頃に教会の墓地に立ちました。十字架が立つと、マルソ師はその前に立ち、2000余人の村人たちに向かって説教を始めました。

 マルソ師の話がコンスタンティヌス大帝に出現した奇蹟の十字架に及んだとき、村人たちの間にざわめきが起こり、騒ぎがだんだんと大きくなってゆきました。マルソ師はこれに負けないように声を大きくして話し、パスキエ師が村人に静粛を求めました。そのとき村人たちはパスキエ師に合図し、上空に現れた十字架を指し示しました。パスキエ師は「マルソ神父、コンスタンティヌスの十字架の話をやめて、空に現れたものを見てください!」と言い、上空の十字架に気付いたボラン師もマルソ師の腕を取って「マルソ神父、奇蹟です!」と叫びました。

 日が暮れて暗くなった上空には、高さ35メートルから50メートルほどのところに、柔らかい光を放つ完全な形の十字架が、基部を東、頂部を西に向け、地面に対して水平な状態で静止して浮かんでいました。十字架の長さは40ないし45メートルで、基部は当時建っていたミニェの旧聖堂の西側ファサードの真上あたり、頂部はミニェとオザンスの村境をオザンス側に越えた水車屋の真上あたりに達していました。

 十字架が浮かんでいたのは夜の5時頃から5時半頃までで、2000余人の村人全員に目撃されました。神父と村人たちは十字架の賛歌を歌ったあと、聖堂でミサが挙げられましたが、その頃に十字架は消え始め、ミサが終わる頃には十字架は消えていました。


【カトリック教会の反応】

 ミニェの奇蹟に対してはすぐに教会の調査が入り、12月22日にはボラン師、マルソ師、パスキエ師、ミニェの村長と助役を含む40人以上の人が尋問を受け、十字架の出現が事実であるとの証言に署名しました。同月31には二通目の報告書が県知事に送られました。

 ポワチエ司教のド・ブイエ師 (Mgr. Jean-Baptiste de Bouillé, 1759 - 1842) が教会法に基づいて命じた調査が1827年1月16日から2月7日まで行われた結果、この出来事が真正の奇蹟であると認められ、ド・ブイエ師はポワチエ司教区の全教会で12月16日にテ・デウムを歌うべきことを、1827年9月28日の書簡で布告しました。

 教皇レオ12世も1827年8月18日付の教皇書簡で、ミニェの出来事に関して公に宣告することを望まないながらも、これは紛れも無く奇蹟であると書いています。

 ミニェの奇蹟の25周年にあたる1851年、及び50周年にあたる1876年には、ポワチエ司教ピィ師 (Mgr. Louis-Édouard Pie, 1815 - 1880) の下で記念の式典とミサが行われました。1876年の時点で、およそ80名の目撃者が生存しており、その年齢は60歳から88歳と記録されています。

 ミニェの奇蹟を記念して、出現した十字架の真下には新聖堂が建てられました。新聖堂入り口の天井には1826年の奇蹟を記念する銘文が刻まれ、翼廊の窮嶐には表面を銅で仕上げた十字架が取り付けられています。



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