カニヴェの歴史 第四部 19世紀のフランス社会とカニヴェ
usages des canivets français du XIXe siecle



人々の願いを運んだ19世紀のカニヴェ

 昔のヨーロッパの家庭では、家の中に「コアン・ド・デュ」(coin de Dieu 神の隅・コーナー)と呼ばれる一角を設けて、十字架や聖像、誕生や結婚や埋葬に関わる記念品などを置いていました。カニヴェも額装されてコアン・ド・デュに置かれることが多くありました。


(下) 額装されたカニヴェ。額も19世紀当時のものです。




 19世紀のフランスで、カニヴェは贈り物として愛され、「…より」(souvenir de …) という書き込みが裏面によく見られます。洗礼や初聖体の記念、友情の印、試験の合格祈願など、贈られる目的や機会はさまざまです。当時人々の生活を髣髴させる手書きメッセージを読むのも、カニヴェ蒐集の楽しみのひとつといえましょう。

 カニヴェの裏面にメッセージが書き込まれた例をいくつか紹介します。



実例 4 クロモリトグラフ 「素晴らしき日、遂に来たれり!」(パリ、L. ドプテ社 図版番号 356 1886年) “Enfin! Le grand jour est arrivé”, 105 x 66 mm, L. Dopter, Paris 当店の商品です。




 カトリック家庭の子供は、12歳頃に初めて聖体を拝領します。19世紀のフランスにおいて、初聖体 (la Première Communion) は人生の大きな節目であり、親類一同や近隣の人々皆に祝福される大切な行事でした。

 このカニヴェはブルゴーニュにある人口四千人ほどの小さな町、イス=シュル=ティル (Is-sur-Tille) に住むひとりの少女が初聖体を拝領した際の記念品で、「マルト・バディエはイス=シュル=ティルの教会で1886年6月13日に初聖体を拝領した」との書き込みがあります。



実例 5 鋼版インタリオ 「マリアを信心して味わう清らかなる天上の香り」(パリ、シャルル・ルタイユ社 図版番号 7 1864年) “Fruits de la dévotion à Marie, Goût de la Céleste Pureté”, 118 x 74 mm, Charles Letaille, Paris 当店の商品です。




 このカニヴェに描かれているのは、十字架と白百合を手にした戴冠の聖母と、聖母の前に跪く若い女性の姿です。純白のドレスとヴェールを身に付けた女性は、左手を胸にあて、十字架を見上げて、聖母が持つ純潔の象徴、白百合に右手を伸ばしています。聖母は微笑みを浮かべて女性を見守り、マントを広げて女性を迎え、保護しています。

 聖画の下には「清らかなる天上の香り」という題名、及び「わが子よ。この美しき百合を受け取るべし。この百合、祈りと禁欲によりて、汝が心のうちに生い立たん」との言葉が刻まれ、裏面には貞潔を勧める聖母の言葉が書かれています。

 裏面の周囲に、インクを使った手書きの文字で、次のように書き込まれています。「マドモワゼル・マリ・ルイーズ・ベルへ。1864年5月21日、エミリー・シュデヴィルより」

 想像するに、このカニヴェは、純潔を守ることを誓い合ったふたりの女性のあいだで交換された友情の印であったのではないでしょうか。



実例 6 鋼版インタリオ 「イエズスとひとつに結ばれたる人生」(パリ、シャルル・ルタイユ社 図版番号 5 1850年代頃) “Vie d'union à Jesus”, Ch. Letaille, 97 x 67 mm, Charles Letaille, Paris 当店の商品です。




 最初期に属するシャルル・ルタイユのカニヴェ。オー・フォルトを併用しつつもグラヴュールを多用し、中世スコラ哲学の美しく精緻な体系を連想させます。

 カニヴェ裏面には「イエズスとひとつに結ばれたる人生」という韻文が刷られており、最上部に黒いインクで「取りて読め」(Prends et lis.) との書き込みがあります。アウグスティヌスが聖書を読んで回心するきっかけとなった「取りて読め (TOLLE ET LEGE.)」という子供の声 (“CONFESSIONES”, viii 7) を思い起こさせます。

 裏面の下部には「愛するきょうだいミシェルに」(Dilectissimo fratri Michel.) とのラテン語の書き込みがあり、署名と年号が添えられています。署名の “C” はクリスチアン (Christian) の略記です。姓ははっきりと読み取ることができません。年号は 1842でしょうか。



実例 7 クロモリトグラフ 薔薇による聖母マリアのイニシアル “M”(版元不詳 1892年) “M de Marie” , 116 x 75 mm, éditeur inconnu 当店の商品です。




 切り絵細工を施した台紙にクロモリトグラフ(多色石版画)を貼り付けた聖母のカニヴェ。聖母マリアの頭文字「M」を、聖母の象徴である薔薇の花綱で表します。「M」を構成する最も大きな薔薇の花の直径は約2.5ミリメートルです。

 カニヴェの裏面は白紙で、1892年の年号とともに、「我が愛する兄弟ドルナリスから、受験の記念に贈られたもの」との覚書が鉛筆で書き込まれています。兄弟が試験に合格するようにと願う贈り手の気持ちが伝わる、微笑ましい書き込みです。




結語 18世紀のカニヴェと19世紀のカニヴェ 祈りの形象化としての本質的連続性

 以上、フランスのカニヴェを18世紀のものと19世紀のものに分けて、それぞれの特質を紹介いたしました。

 18世紀のカニヴェはすべて修道女や信心会会員の手仕事による一点ものです。水彩によって描かれた聖画は稚拙で、切り紙細工のパターンもしばしば均整を欠き、美術工芸品としての完成度が高いものではありません。

 しかしながら18世紀のカニヴェは修道女たちの祈りそのものであり、いわば裸の魂による天上の描写であるということができます。このような深い精神性に照らして考えれば、技術的な未熟さは評価を妨げる要因とはなりません。

 いっぽう19世紀のカニヴェはすべてプロの芸術家による版画であり、美術品としての高い完成度を誇ります。型による切り紙細工も美しく、非の打ちどころがありません。

 一点ものであった18世紀のカニヴェと違って、19世紀のカニヴェは多くの部数を製作することが可能であったために、社会に広く普及しました。しかしながらこの事実は、19世紀のカニヴェが無個性な大量生産品であったということを意味しません。社会に広く普及したからこそ、19世紀のカニヴェは市井の人々の祈りを吸い込んで、あるいは人生の出来事の記念となり、あるいは愛と友情の贈り物となりました。19世紀のカニヴェはやはりひとつひとつの魂が神にささげた祈りの形象化であって、この点で18世紀のカニヴェと何ら異なるものではありません。


 18世紀のカニヴェは俗塵を離れた修道院のものであり、19世紀のカニヴェは市井の人々が生きる一般社会のものでした。18世紀のカニヴェと19世紀のカニヴェは、「持ち場」は異なっても、「祈りを形にして神と人に伝える」という同じ役割を、それぞれの領域で果たしました。

 優れた書物や芸術作品は時代を超えて人の心に働きかけます。それと同様に、アンティーク・カニヴェが語る祈りのメッセージは現代人の心にも響きます。その事実は、人間精神の美しく優れた領域がアンティーク・カニヴェを産み出したということの証しであり、また現代人が200年前、300年前と変わらず神を求めていることの証しでもあります。




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