グアダルペ修道院史 II. 聖ヘロニモ会修道院の時代  el monasterio jeronimiano de Guadalupe

 II - 1. 聖ヘロニモ会への移行 1389 - 1394年  capítulo II, artículo 1: 1389 - 1394



(上) グアダルペの聖母のカマリン(西 camarín)


 グアダルペ修道院が「プリオラト・セクラル」(西 priorato secular)であった時代に最後の院長を務めたのは、フアン・セラノ師(Juan Serrano, + 1402)でした。1389年、フアン・セラノ師がセゴビア司教に任命されると、カスティジャ国王フアン一世(Juan I de Castilla, 1358 - 1379 - 1390)はグアダルペ修道院を聖ヘロニモ会(La Orden de San Jerónimo, Ordo Sancti Hieronymi, O.S.H.)に譲りましたが、この改革は国王による宗教政策の一環として行われた施策でした。

 十四世紀末頃のカスティジャにおいて、グアダルペ修道院は最もよく知られたマリアの巡礼地で、非常に多くの巡礼者が訪れました。巡礼者のなかには俗悪な人物も混じっていたので、やがてグアダルペの村は風紀が乱れ、修道院でも規律の緩みが見られるようになりました。「プリオラト・セクラル」時代の最後の修道院長フアン・セラノ師は、カスティジャ国王の統治に最も忠実に協力した人物のひとりであり、政治の仕事に多忙を極めて修道院に目が行き届かなかったことも、規律の乱れに繋がりました。このような事情を背景に、国王フアン一世と修道院長フアン・セラノ師は、グアダルペ修道院を修道会に任せることにより、規律を回復しようと考えました。フアン一世はメルセス会(Orden de la Merced. Ordo Beatæ Mariæ Virginis de Redemptione Captivorum)によってカスティジャ国内の教会改革を行おうとしており、グアダルペ修道院をメルセス会に管轄させれば同会の地位を引き上げることにもなると考えましたが、最終的には聖ヘロニモ会がグアダルペ修道院を運営することに決まりました。聖ヘロニモ会(La Orden de San Jerónimo, Ordo Sancti Hieronymi O.S.H.) はカセレス出身の修道士フェルナンド・ジャネス・デ・フィゲロア(Fr. Fernando Yáñez de Figueroa, c. 1332 - 1412)が創設し、1373年、グレゴリウス十一世(Gregorius XI, c. 1336 - 1370 - 1378)によって認可された観想修道会です。

 1389年8月15日、フアン一世はコジャド・エルモソ(Collado Hermoso 現カスティジャ=レオン州セゴビア県)のサンタ・マリア・デ・ラ・シエラ修道院(Monasterio de Santa María de la Sierra)において勅令を発し、グアダルペの教会を聖ヘロニモ会に帰属させること、これまで築いてきた修道院の全資産及びグアダルペ村に対する全ての権利をデ・フィゲロア師と共に移って来る修道士たちに委ねることを宣言しました。グアダルペはトレド司教区に属していましたが、時のトレド大司教ペドロ・テノリオ師(Pedro Tenorio, c.1328 - 1399)は、1389年9月1日、アルカラ・デ・エナレス(Alcalá de Henares 現マドリ州マドリ県)において、フアン一世の勅令を完全に承認する教書を発し、フアン・セラノ師がグアダルペ修道院を聖ヘロニモ会に委ねることに同意しました。国王の決定は同年9月20日にグアダルペ村に伝えられました。

 聖ヘロニモ会の最初の修道院であるサン・バルトロメ修道院(el monasterio de San Bartolomé de Lupiana)は、グアダルペから北東に約二百二十キロメートル離れたルピアナ(Lupiana カスティジャ=ラ・マンチャ州グアダラハラ県)にありました。1389年10月22日、サン・バルトロメ修道院の修道士三十二名がグアダルペに到着し、翌23日、グアダルペの教会、及び教会に付属するすべての資産と権利について、フアン・セラノ師から引き渡しを受けて、聖ヘロニモ会グアダルペ修道院が誕生しました。同月28日には村長、判官、執達吏をはじめ、グアダルペ村の主だった人々が新しい修道院長フェルナンド・ジャネス・デ・フィゲロア師の手に接吻して、その権威を認めました。その二日後に聖ヘロニモ会は修道院資産の目録を受領し、グアダルペ修道院の聖ヘロニモ会への移行が完了しました。アヴィニヨンの対立教皇ベネディクトゥス十三世(Benedictus XIII, 1328 - 1394 - 1423)は、1394年、教書「ヒース・クアエ・プロー・ウティリターテ」("HIS QUAE PRO UTILITATE")で、新聖堂の建設を承認しました。




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