マ・リリエの聖心の聖母、平和の聖母
Notre-Dame du Sacré-Cœur, dite "Notre-Dame de la Paix", Mas Rillier


 マ・リリエの「聖心の聖母」 ジョルジュ・セラによる彫刻 古い絵葉書から


 マ・リリエ (Mas Rillier) は、エモー・ブレサンの中心地ブルカンブレス(Bourg-en-Bresse)に近い小さな町、リヨン郊外のミリベル(Miribel ローヌ=アルプ=オーヴェルニュ地域圏アン県)に属する集落です。ここには「平和の聖母」(Notre-Dame de la Paix) とも呼ばれる「聖心の聖母」(Notre-Dame du Sacré-Cœur) 像があり、聖母の巡礼地となっています。


【マ=リリエにおける「聖心の聖母」像の建設】

 1932年2月8日、当時ベレー(Belley ローヌ=アルプ地域圏アン県)の司教であったベガン師 (Mgr. Virgile Joseph Béguin, 1872 - 1955) は、マ・リリエにおいて、聖心の聖母 (Notre-Dame du Sacré-Cœur) の信心会を創立しました。ペガン師はマ・リリエの主任司祭ピエール・トマ師 (Pierre Thomas, 1874 - 1952) に「聖心の聖母」像建設を持ちかけ、トマ師を中心に計画が進められることとなりました。

 マ・リリエの聖心の聖母、別名「平和の聖母」の意匠を任されたのは、ジョルジュ・セラ (Georges Serraz, 1883 - 1964) でした。ジョルジュ・セラはディジョン近郊イス=シュル=ティユ(Is-sur-Tille ブルゴーニュ地域圏コート=ドール県)出身で、彫刻のみならず絵画にも才能を発揮しました。聖母像の設計を行ったのは、建築家ルイ・モルタメ (Louis Mortamet, 1897 - 1956) です。ルイ・モルタメ はマ・リリエの聖母像に隣接するカリヨン(鐘楼)の設計者でもあります。マ・リリエのカリヨンは四基の鐘を持つ高さ 28メートルの大鐘楼で、聖母像と並行して 1938年から建設が進められ、1947年7月20日に落成しました。


(下) マ・リリエ全景。奥に「聖心の聖母」像、手前にカリヨンが見えます。古い絵葉書から。




 聖母像の建設は 1938年2月14日、高さ7メートル、直径8メートルの基礎を埋設することから始まり、同年10月9日、12,000人に見守られて、地上部分の定礎が行われました。工事が終わり、聖母像が祝別されたのは、隣接のカリヨンよりもひと足早い1941年7月5日のことでした。このときフランスはドイツとヴィシー政権の統治下にありました。国の主権と民族の誇りを蹂躙されたフランスの人々は、カトリック国であるフランスの救済を聖母マリアに願いました。


 


 「マ・リリエの聖心の聖母」は内部に 152段の階段があり、これを登ると頂上に出ることができます。台座を除く聖母像本体の高さは 32.6メートルで、本体の高さ 16メートルのノートル=ダム・ド・フランス、同じく 11.2メートルのノートル=ダム・ド・ラ・ガルドをはるかに凌ぐフランス最大の聖像です。


(下) 19世紀に建造された巨大な聖母子像の例。左はノートル=ダム・ド・フランス、右はノートル=ダム・ド・ラ・ガルド




【聖心の聖母のロザリオ】

 聖心の聖母のロザリオはフランスの保護を聖母に祈るためのロザリオで、マ・リリエの平和の聖母への祈りに使われるのはこのタイプのロザリオです。メダイに続く最初の部分に3個、クラウン(環状部分)に3連 32個、合計 35個のビーズでできており、クラウンの3つの連に青白赤のビーズを使用することも多くあります。



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