ラ・バジリク・ノートル=ダム=デ=ザンファン 子供たちの聖母のバシリカ
La basilique Notre-Dame-des-Enfants, Chateauneuf-sur-Cher




【上】 バシリカ内にあるノートル=ダム・デ・ザンファン(子供たちの聖母)の礼拝堂


 シャトーヌフ=シュル=シェール (Chateauneuf-sur-Cher) は六角形のフランス国土のちょうど中心あたり、サントル地域圏シェール県に位置する人口1600人ほどの町です。

 シャトーヌフ=シュル=シェールは古い歴史を持つ町でいくつもの教会堂を擁しますが、とりわけ有名なのはネオゴシックの聖堂ラ・バジリク・ノートル=ダム=デ=ザンファン(La basilique Notre-Dame-des-Enfants 子供たちの聖母のバシリカ)です。ラ・バジリク・ノートル=ダム=デ=ザンファンは三廊式の大きな聖堂で、身廊の長さは80メートル、ベイの数は11、穹窿の高さは21メートルです。


【ラ・バジリク・ノートル=ダム=デ=ザンファンの歴史】

 1861年に教区司祭としてシャトーヌフ=シュル=シェールに赴任したデュクロ(Ducros)師は、1588年に建造された教区教会が老朽化して建て直しが必要であるのを見て、フランス全土の子供たちに、ひとり2スーの献金を呼びかけました。

 子供たちからは献金とともに多数の手紙が送られてきましたが、その中の一通にスミュール=アン=ブリオネ(Semur-en-Brionnais ブルゴーニュ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県)に住む10歳の女の子からの手紙があり、「ノートル=ダム・デ・ザンファン(子供たちの聖母)」に執り成しを願って祈ったと書いてありました。この女の子の手紙がきっかけで、子供を守りたまうノートル=ダム=デ=ザンファンへの信心が広まり、1866年にはノートル=ダム・デ・ザンファンの信心会 (la confrérie Notre-Dame des Enfants) が創設されました。この信心会は、1870年に大信心会 (l'archiconfrérie) に昇格しています。


 聖堂の定礎が行われたのは1869年で、1879年には内陣及びノートル=ダム・デ・ザンファンの礼拝堂の供用が開始されました。聖堂が最終的に完成したのは1886年です。また1896年には教皇レオ13世がこの聖堂を訪れました。献堂式が行われたのは1898年のことで、聖堂はこのときにバシリカに昇格しています。

 1923年8月26日にはノートル=ダム・デ・ザンファン(子供たちの聖母)の戴冠式が執り行われ、25,000人もの巡礼者が集まりました。戴冠式を司式したパリ大司教デュボワ師 (Msgr. Louis-Ernest Dubois, 1856 - 1929) は、1909年から1916年まで、シャトーヌフ=シュル=シェールのあるシェール県を管轄するブールジュ大司教であった人です。


 ラ・バジリク・ノートル=ダム=デ=ザンファンは、フランスで唯一、ノートル=ダム・デ・ザンファン(子供たちの聖母)に捧げられた聖堂であり、毎年5月の第一日曜日には青少年による巡礼が行われています。ノートル=ダム・デ・ザンファンは子供、家族、教育関係者の守護聖女です。

 この聖堂のオルガンは1889年のカヴァイユ=コル製で、現在でもコンサートが開かれています。




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