モン=サン=ミシェル修道院の歴史

5. モン=サン=ミシェルの修復と修道院の復興



 19世紀、革命で放棄されたモン=サン=ミシェル修道院は荒廃の極にありましたが、1874年に歴史的記念建造物 (monument historique) に指定され、ともにヴィオレ=ル=デュク (Eugene Emmanuel Viollet-le-Duc, 1814 - 1879) の弟子である建築家、エドゥアール=ジュール・コロワイェ (Edouard-Jules Corroyer, 1835 - 1904) とポール・グゥ (Paul Gout, 1852 - 1923) によって修復作業が進められました。

 1896年には海からの高さ170メートルの尖塔が建てられ、サタンを倒す大天使ミカエルの像が頂上に取り付けられました。大天使の像は、ピラミッド広場(パリ)にあるジャンヌ=ダルク騎馬像の作者としても有名な彫刻家エマニュエル・フレミエ (Emmanuel Frémiet, 1824 - 1910) の作品で、1770年から 1970年まで存続した打ち出し細工の老舗、アトリエ・モンデュイ (Les Ateliers Monduits) によって製作されたものです。

 フレミエの大天使ミカエル像


 1898年、修道院付属聖堂の床下を発掘していたポール・グゥは、忘れ去られていた地下聖堂ノートル=ダム=ス=テール(Notre-Dame-Sous-Terre 地下の聖母聖堂)を発見しました。この地下聖堂は1959年、イヴ=マリ・フロワドヴォー (Yves-Marie Froidevaux, 1907 - 1983) がプレスコンクリートの梁を増設した際に取り壊されました。


 アンドレ・マルロー (André Malraux, 1901 - 1976) がド・ゴール政権の文化相であった1966年に、モン=サン=ミシェル修道院創立1000年が祝われました。この年、各地のベネディクト会修道院から多数の修道士たちがモン=サン=ミシェルに派遣されました。

 岩山の所有者であるフランス共和国政府との合意に基づいて、このうち一部の修道士が翌年にも居残り、ベネディクト会修道院モン=サン=ミシェルが復興しました。復興後初代の修道院長にはル・ベック=エルアン(Le Bec-Hellouin オート=ノルマンディー地域圏ウール県)にあるベネディクト会修道院ノートル=ダム・デュ・ベック (L'abbaye Notre-Dame du Bec) 出身のブルーノ・ド・セヌヴィル (Bruno de Senneville) 師が就任しました。

 パリ、サン=ジェルヴェ教会

 2001年、パリにあるサン=ジュルヴェ教会 (L'église Saint-Gervais-Saint-Protais) からエルサレム修道会 (les Fraternités monastiques de Jérusalem 註1) の会員がモン=サン=ミシェルに移り住みました。この時以来、モン=サン=ミシェルはエルサレム修道会の修道院となって現在に至っています。



註1 エルサレム修道会 (les Fraternités monastiques de Jérusalem) はピエール=マリ・ デルフィユ神父 (Frère Pierre-Marie Delfieux) が1975年にパリのサン=ジェルヴェ教会で創始した修道会です。




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