モン=サン=ミシェル修道院の歴史

3-2. フランス王権下のモン=サン=ミシェル修道院 百年戦争前半期




(上) Auguste Rodin, Les Bourgeois de Calais, 1885 カレーは六角形のフランス国土の頂点にあり、ドーヴァー海峡に面する港町です。ロダンのこの作品は、エドワード3世による1年間の封鎖後、6人のカレー市民代表が半裸で市門を出て降伏した1347年の出来事を表しています。


 1337年、カペー朝の後を継いだヴァロワ朝のフィリップ6世に対し、プランタジネット朝イングランドのエドワード3世がフランス王位継承権を求めて異議を唱え、百年戦争(1337 - 1453年)が始まりました。グレート・ブリテン島に近いノルマンディーはプランタジネット朝イングランドが最初に攻めた地域であり、早くも1346年にはエドワード3世が上陸しています。

 その頃教皇庁から要求される送金額が増えていたので、モン=サン=ミシェルの財政はすでに悪化していましたが、1348年から翌年にかけてフランスで流行したペストがさらなる打撃となりました。そこに起こったのが百年戦争で、イングランドに有していたいくつかの分院から得られる収入も途絶えてしまいました。その後1414年に、モン=サン=ミシェルをはじめとするノルマンディーの修道院がイングランドに有する所領は、正式に没収されることになります。モン=サン=ミシェルには 1337年の時点で 42人の修道士がいましたが、1390年には二十余名に減っています。また落雷による火災も1300年、1350年、1374年の三回、発生しています。

 モン=サン=ミシェルには多くの巡礼者が集まり、その献金がこの時期の収入の根幹をなしていました。巡礼のおかげで、モン=サン=ミシェルの財政的苦境はフランスの他の修道院に比べれば軽かったと言えます。特に国王をはじめとする貴顕からの献金は大きな金額でした。


 トンブレーヌ(右)と、モン=サン=ミシェル


 14世紀のモン=サン=ミシェル修道院はさまざまな困難に直面しましたが、修道院長に関しては優れた人材に恵まれました。14世紀の修道院長たち、すなわちギヨーム・デュ・シャトー (Guillaume de Chateau, 在位 1299 - 1314)、ジャン・ド・ラ・ポルト (Jean de La Porte, 在位 1314 - 1334)、ニコラ・ル・ヴィトリエ (Nicolas le Vitrier, 在位 1334 - 1360)、ジョフロワ・ド・セルヴォン (Geoffroy de Servon, 在位 1360 - 1386)、ピエール・ル・ロワ (Pierre Le Roy, 在位 1386 - 1411) は、いずれも聖徳と知性に優れた逸材であり、優れた指導力を発揮しました。

 修道院長ニコラ・ル・ヴィトリエは王太子シャルル(後のシャルル6世)からモン=サン=ミシェル守備隊長に任命されましたが、この職務を実際に果たしたのはベルトラン・デュ・ゲクラン (Bertrand du Guesclin, 1320 - 1380) でした。1356年、イングランドはトンブレーヌを確保し、続いてモン=サン=ミシェル修道院の攻囲を開始しましたが、ベルトランの活躍によってこれを撃退することができました。

 修道院長ピエール・ル・ロワはラ・メルヴェイユの北西角にある文書庫を拡張し、修道院の入り口を守るために堡塁を設けました。また教区裁判所に接して、守備隊が使うペリーヌ塔 (la tour Perrine) を建設させました。ピエール・ル・ロワは法律に明るく、シャルル6世の相談役を務めました。またシスマを終わらせるために1409年に開かれたピサ教会会議にも出席し、新教皇アレクサンデル5世 (Alexander V, 1339 - 1409 - 1410) と、ヨハネス23世 (Johannes XXIII, c. 1370 - 1410 - 1415 - 1419) の相談役を務めました。

 ピエール・ル・ロワは、1411年、ボローニャで没しました。教皇ヨハネス23世は、秘書としてピエールに同行していたロベール・ジョリヴェ (Robert Jolivet, 在位 1411 - 1444) を、次代のモン=サン=ミシェル修道院長に任じました。




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