モン=サン=ミシェル修道院の歴史  2-1. ノルマン人の侵入 (9世紀から10世紀)


 ネウストリア時代は比較的平和な時代でしたが、カール大帝 (Charlesmagne, 742 - 768 - 814) の死後、ガリアに対するノルマン人の侵入が活発化すると、モン=サン=ミシェル=オ=ペリル=ド=ラ=メールは信仰と学問の避難所としての役割を果たしました。戦乱の時代になってもモン=サン=ミシェルへの巡礼は続きました。847年にノルマン人がこの地に到達すると、修道士たちはモン=サン=ミシェルを離れましたが、この岩山は海辺の湿地にある地の利ゆえに、地元住民の避難所として機能し続けました。


 カロリング朝西フランク王国のシャルル3世 (Charles III, le Simple, 879 - 893 - 929) は、911年、サン=クレール=シュール=エプト条約 (le traite de Saint-Clair-sur-Epte) をノルマン人の首領ロロ (Rollo, c. 860 - 933) との間に結び、ロロをノルマンディー公として封じました。


 ロロの改宗


 これによってノルマンディーには再び平和が訪れただけでなく、条約締結に伴ってキリスト教の洗礼を受けたロロは、自分たちノルマン人が教会にもたらした被害を償うべく、様々な寄進を行いました。モン=サン=ミシェルも寄進先の一つで、現在ポントルソン(Pontorson マンシュ県)の一部となっている肥沃な地アルデヴォン (Ardevon) を寄進しています。また戦火を避けてモン=サン=ミシェルから逃げ出した修道士たちを、ロロは共住苦行の戒律の下に呼び戻し、以前と同等の聖職碌で保護を与えて、修道院を再興しました。




モン=サン=ミシェル修道院 概説のインデックスに戻る


フランスの教会と修道院 ローマ・カトリック インデックスに戻る

諸方の教会と修道院 ローマ・カトリック インデックスに移動する


キリスト教に関するレファレンス インデックスに移動する


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する

キリスト教関連品 その他の商品とレファレンス 一覧表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS