ノートル=ダム・デュ・ポールのバシリカ
La basilique Notre-Dame-du-Port, Clermont-Ferrand, Puy-de-Dôme, Auvergne





 ノートル=ダム=デュ=ポール (Notre-Dame-du-Port) は六角形のフランス国土の中心を少し南に下がったところ、オーヴェルニュ地域圏ピュイ=ド=ドーム県の首府であるクレルモン=フェラン (Clermont-Ferrand, Puy-de-Dôme, Auvergne 註1) にあるロマネスク様式のバシリカです。


【オーヴェルニュの「レ・マジュール」】

 クレルモン=フェランにはノートル=ダム=デュ=ポールのバシリカとは別に、司教座聖堂ノートル=ダム=ド=ラソンプシオン (La Cathédrale Notre-Dame-de-l'Assomption de Clermont) がありますが、中世初期の姿をそのまま留めているのは、司教座聖堂よりもむしろノートル=ダム=デュ=ポールのほうです。

 ガロ=ロマン期のクレルモン周辺は、住民の呼び名アルウェルネース (Arnerves) をもとに、アルウェルニス (Arvernis) またはアルウェルヌム (Arvernum) と呼ばれるキウィタース(civitas 註2)でした。このキウィタースにある五箇所の主要なロマネスク聖堂を「レ・マジュール」(les Majeures) と呼び、いずれも美しいロマネスク聖堂として高く評価されています。

 「レ・マジュール」に含まれる聖堂は次の通りで、いずれもピュイ=ド=ドーム県に位置します

・クレルモン=フェラン郡クレルモン=フェラン(旧クレルモン)にあるノートル=ダム=デュ=ポールのバシリカ (La basilique Notre-Dame-du-Port)
・クレルモン=フェラン郡オルシヴァル (Orcival) にあるノートル=ダム=ドルシヴァルのバシリカ (La basilique Notre-Dame-d'Orcival)
・クレルモン=フェラン郡サン=サチュルナン (Saint-Saturnin) にあるサン=サチュルナン聖堂 (L'église de Saint-Saturnin)
・イソワール郡サン=ネクテール (Saint-Nectaire) にあるノートル=ダム=デュ=モン=コルナドール聖堂 (L'église Notre-Dame-du-Mont-Cornadore)
・イソワール郡イソワール (Issoire) にある修道院付属聖堂サン・オストルモワーヌ (L'église abbatiale Saint-Austremoine)

 なおクレルモン=フェランの60キロメートル南、オート=ロワール県ブリウード郡ブリウード (Brioude) にあるサン=ジュリアンのバシリカ (La basilique Saint-Julien) を加えた六箇所を、「レ・マジュール」と呼ぶこともあります。



【ノートル=ダム=デュ=ポールの歴史と建築様式】

 伝承によると、ノートル=ダム=デュ=ポールは6世紀初めのクレルモン司教、聖アウィトゥス (St. Avit de Vienne / Sextus Alcimus Ecditius Avitus, c. 450 - c. 525) によって創建された聖堂です。コンク修道院長からクレルモン司教となったエチエンヌ2世(Etienne II, 在職 942 - 984年)の時代に聖堂参事会教会となり、フランス革命期まで続きました。



 創建時の建物は9世紀にノルマンが侵入した際に焼失しました。現在の建物はアルコーズ砂岩(註3)を使って12世紀に再建されたもので、黄金比を駆使した設計による均整のとれた美しさは高く評価されています。三廊式で、身廊の長さはベイ五つにナルテクスを合わせた六つ分。アプスを囲む周歩廊沿いに四つの放射状祭室、南北翼廊の東側にそれぞれひとつずつの祭室を有します。当時のクレルモン司教ポンス・ド・ポリニャク師 (Ponce de Polignac, + c. 1189) は、西側ファサードの建設資金に充てる浄財を募るため1185年に広く呼びかけを行い、寄付をした人のために聖堂参事会員がミサを挙げ、また贖宥が与えられるとしました。これが功を奏して、ポンス・ド・ポリニャク師の司教在任中に西側ファサードが完成しました。

 正面入り口のタンパンには栄光のキリストが彫られ、その周囲に二人のセラフィム(熾天使)四人の福音記者(テトラモルフ)が表されています。まぐさ石の左半分にはマギの礼拝、右半分にはキリストの洗礼が彫られています。



 ノートル=ダム=デュ=ポールの柱頭彫刻には、聖書の物語を表現したものと、善と悪の闘争を表現したものが見られます。また聖母被昇天を表した11世紀の柱頭彫刻があり、このテーマの彫刻の最も古い作例となっています。


 鐘楼は19世紀に付け加えられたものです。屋根は19世紀に瓦葺きから溶岩の板葺きに変更されましたが、その後ふたたび瓦葺きに変更され、元の状態に復元されています。

 2007 - 08年には地下聖堂を除く聖堂内部が修復され、石像の洗浄や壁画の修復、19世紀に改修された際のセメント目地材の除去が行われました。修復作業の間、聖母子像ノートル=ダム・デュ・ポールはクレルモン司教座聖堂に移されていましたが、2008年12月7日にバシリカに戻されました。


 ノートル=ダム=デュ=ポールは 1886年5月3日に小バシリカとされ、1998年にはサンティアゴ=デ=コンポステラへの巡礼路の一部としてユネスコの世界遺産に選ばれました。



【クレルモンの黒い聖母 ノートル=ダム・デュ・ポール】



 ノートル=ダム=デュ=ポールに安置されている同名の聖母子像はクルミ材でできた黒い聖母で、高さは 31センチメートルです。聖母は胸の前に幼子イエズスを抱き、母子は頬を寄せ合っています。この像は18世紀のコピーで、東方からもたらされたイコンをもとに製作されたと考えられています。

 フランス革命期の1793年、革命派がクレルモンに到着する前に、ジャンヌ・ジュネ (Jeanne Geneix) という名前の若い娘がノートル=ダム・デュ・ポールを聖堂から運び出し、知人の家族に預けました。ノートル=ダム・デュ・ポールは革命が終わるまでそのまま秘匿され、1801年のコンコルダート(政教条約)締結後に地下聖堂に戻されました。



【「ノートル=ダム・デュ・ポール」という名称の由来】

 ノートル=ダム・デュ・ポール (Notre-Dame du Port) の「ポール」(Port) はラテン語「ポルトゥス」(PORTUS) に由来します。「ポルトゥス」には「港」という意味のほかに「倉庫」「倉庫街」という意味があり(註4)、クレルモンの聖母の名前にある「ポール」は、この「倉庫」「倉庫街」という意味であると考えられています。

 すなわちノートル=ダム・デュ・ポールとは「市場の聖母」というほどの意味であり、聖堂の周囲で市が開催されていたために付いた名前であると考えられます。ノートル=ダム・デュ・ポールのバシリカは現在でも建物が密集する地域に建っています。






註1 クレルモン=フェラン(旧クレルモン)は多数のカトリックの聖人を輩出した地であり、ブレーズ・パスカル (Blaise Pascal, 1623 - 1662) の出身地でもあります。

 教皇ウルバヌス2世は 1095年のクレルモン教会会議において、第一回十字軍勧説の説教をしました。

 1262年には、後にフランス国王となるフィルップ3世 (Philippe III de France, 1245 - 1270 - 1285) とイザベル・ダラゴン (Isabelle d'Aragon, 1247 - 1271) がクレルモンで結婚しました。この結婚式には、父王ルイ9世(Louis IX, 1214 - 1226 - 1270 聖王ルイ Saint Louis de France)が立ち会いました。


註2 ガロ=ロマン期のガリア住民(ケルト人)は400ないし500の部族に分かれ、それらが「キヴィタース」と呼ばれる50ほどの連合体にわかれていました。後代の司教区や行政区の多くは、このキヴィタースにしたがって設けられています。


註3 アルコーズ砂岩 (arkose) とは、花崗岩をはじめとする火成岩あるいは変成岩が風化、堆積してできる砂岩で、フェルスパー(長石)を25パーセント以上含みます。


註4 PORTUS appellatus est conclusus locus, quo importantur merces et inde exportantur. Digesta Libri Pandectarum, 50, 16, 59



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