800シルバーの高級品 無原罪の御宿りとノートル=ダム・デ・ヴィクトワール ゴシック様式の特別なメダイ 直径 24.2 mm


突出部分を除く直径 24.2 mm  重量 4.5 g

フランス  1853年頃



 メダイユの素材として最も高級な銀を使い、19世紀中頃のフランスで制作されたゴシック様式のメダイ。フランスにおいて800シルバー(純度 800/1000の銀)を示す「蟹」のホールマークが、上部の環に刻印されています。

 メダイの一方の面には1830年にバック通に出現した「不思議のメダイの聖母」、もう一方の面には1836年にパリで集団的回心を惹き起した「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」を浮き彫りにしています。聖母の浮き彫りを除き、両面に施された装飾は同一のデザインで、いずれの面も同じ丁寧さで製作されています。



 不思議のメダイの聖母は無原罪の御宿りとして表され、球体上に蛇を踏みつけて立っています。両手の指輪からは恩寵の光が地上に降り注いでいます。背景の星は本来十二個のはずですが、一部は恩寵の光の背後に隠れているのでしょう。

 聖母は右脚に体重を掛けたコントラポストの優雅な姿勢を取っています。聖母の顔立ちは整い、美しく波打つ長い髪は肩よりも下に届いてます。胸のふくらみや、前方に出した左の太ももの丸みなどの女性らしい体つき、掌のくぼみと一本一本の指、流れるような衣の襞も、大型彫刻に劣らない自然さで表現されています。メダイの実物において、聖母の身長は10ミリメートル、顔や手のサイズは1ミリメートルほどしか無く、フランスのメダイユ彫刻家の優れた技量には言葉を失います。


 ロマネスク及びゴシックの聖堂彫刻に見られる紡錘形の身光「マンドーラ」(mandorla イタリア語で「アーモンド」)を思わせる枠が聖母を取り囲み、聖母に執り成しを求めるフランス語の祈りが、高さ1ミリメートル程の極小の文字で記されています。

 Ô Marie conçue sans péché, priez pour nous.  罪無くして宿りたまえるマリアよ、われらがために祈りたまえ。





 マンドーラ形あるいは紡錘形よりも外のデザインは、メダイの両面に共通しています。マンドーラの左右には愛らしい顔をしたアンジュロ (angelots)、すなわちバロック絵画風のケルビムがひとりずつ配されています。四つ葉形と正方形を組み合わせたゴシック様式の外枠がマンドーラを取り囲み、メダイの縁に内接しています。ゴシック様式の外枠の内側に沿って、アンティーク・ファイン・ジュエリーに施される彫金細工「ミル打ち」を模した微小な点による装飾が施されています。



 メダイのもう一方の面には、パリにある有名な聖母子像ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール(Notre-Dame des Victoires 勝利の聖母)が、裏面と同様の枠の中に浮き彫りにされています。





 「ノートル=ダム=デ=ヴィクトワール」はイタリア人彫刻家の作品と言われ、優しい表情の聖母が幼子イエズスの傍らに立っています。聖母は幼子イエズスを両腕で抱き、優しく寄り添っています。聖母のこの姿勢には、ふたつの意味を読み取ることができます。

 まず第一に、幼子を優しく抱き寄せる聖母の姿は、不安定な場所によじ登った幼児が転落しないように、幼児の体を支える母の愛を表しています。

 第二に、イエズス・キリストに寄り添う聖母の姿は、キリストが罪びとを愛するのと同様に、聖母もまた罪びとを愛し、憐れみ、罪びとのために執り成し給うことを表しています。イエズスを十字架に懸けた罪人たちに対して、救い主イエズスとともに聖母が注ぐ慈愛の眼差しは、神とイエズスへの愛ゆえに、世の罪びとをも愛して、「罪人の避け所」(le Refuge des pécheurs) となり給うことを表しているのです。

 「イエズスに対する母の愛」と「神とイエズスへの愛の反映としての、罪びとへの愛」は、マリアの汚れ無き御心 (l'Immaculé coeur de Marie) においてひとつに融け合っています。それゆえ聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は、「マリアの汚れ無き御心」の愛の形象化であるということができます。



 「不思議のメダイの聖母」は、1830年にパリのバック通に出現しました。また「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は、1836年、やはりパリで集団的回心を惹き起しました。1858年にルルドで聖母出現が報告されるまで、このふたつはフランス・キリスト教会において最も大きなできごとでした。それゆえ19世紀半ば頃のフランス製メダイには、「バック通の聖母」と「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」を表裏に組み合わせた作例が多く見られます。


 1865年4月12日、パリ外国宣教会のベルナール・プチジャン神父 (P. Bernard-Thadée Petitjean, 1829 - 1884) によって日本キリシタンが再発見され、世界に衝撃を与えました。神父は長崎の信徒たちを密かに指導しましたが、1867年、キリシタンたちの信仰が露見して、浦上四番崩れが起こります。

 東京国立博物館には、浦上四番崩れの際に浦上の村民たちから押収された多数のメダイやロザリオ、聖像が収蔵されています。聖像のなかには「無原罪の御宿り」や「幼子イエズス」「大天使ガブリエル」に混じって、「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」一点があります。この「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は石膏製で、高さ 94ミリメートルの小像です。キリスト教は禁制であったので、大きな像を所持することは不可能であったと思われます。東京国立博物館の「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は幼子イエズスの頭部が失われていますが、聖母はほぼ無疵で残っています。

 また同博物館には 23 x 16 ミリメートルのブロンズ製メダイ8個が収蔵されており、一方の面が「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」、もう一方の面が「バック通の聖母」となってます。これらのメダイは 1868年、浦上のキリスト教徒を捕縛した際の没収品で、プチジャン神父が日本キリシタンの勝利、すなわちキリスト教信仰の解禁を願って、浦上の信徒たちに贈ったものと思われます。


(下・参考画像) ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール 「マリアの至聖なる汚れ無き御心」大信心会の聖母 戴冠記念カニヴェ (ブアス=ルベル 図版番号896) 1853年 当店の販売済み商品




 19世紀のフランスにおいて、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワールは大きな役割を果たしましたが、それにもかかわらずこの聖母子像のメダイは不思議なほど少なく、めったに手に入りません。とりわけ本品は銀無垢メダイとしては厚みのある立派なサイズであり、高価であるゆえに制作点数がいっそう少ない稀少品であるといえます。


 19世紀のフランスでは薄い金属板を打刻して作られるメダイが多かったのですが、本品は「打刻」ではなく「鋳造」によって制作されています。それゆえ厚みや重量感があるだけではなく、浮き彫りの立体性、迫真性においても、本品は同時代のメダイに比べて格段に高い芸術性を誇ります。

 下の写真では本品を19世紀にフランスで制作された他の銀無垢メダイと比較しています。左が本品、右上はノートル=ダム・ドルシヴァルのメダイ、右下はノートル=ダム・ド・ルルドのメダイ




 上の三枚を重ねて撮影。


 「ノートル=ダム=デ=ヴィクトワール」像は、1853年7月9日、ペッチ枢機卿 (Mgr. Gioacchino Vincenzo Pecci, 1810 - 1903)、すなわち後の教皇レオ13世(Leo XIII 在位 1878 - 1903)により戴冠しました。本品は銀をふんだんに使った特別なメダイであるゆえに、おそらくこのときに制作された戴冠記念メダイであろうと考えられます。私の判断が正しければ、本品はいまから160年前、わが国で言えば幕末初期に制作されたことになります。1853年はルルドにおける聖母出現の五年前に当たります。

 大きな商品写真は実物の面積を40倍近くに拡大していますので、突出部分の磨滅が容易に判別できますが、実物を肉眼で見ると十分に良好な保存状態です。優れたアンティーク工芸品として、美しいキリスト教ジュエリーとして、19世紀フランス史の実物資料として、とりわけ貴重なメダイです。





本体価格 22,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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