稀少品 エルンスト・レヴィヨン作 「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」 800シルバー製高級メダイ 21.9 x 14.1 mm


突出部分を含むサイズ 縦 21.9 x 横 14.1 mm

フランス  1910年頃



 「罪人の避け所」(le Refuge des pécheurs) として崇敬を集める聖母子像、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール(Notre-Dame des Victoires 勝利の聖母)のメダイ。1910年代を中心に活躍したフランスの彫刻家、エルンスト・レヴィヨン (Ernest Révillon) の作品です。





 「ノートル=ダム=デ=ヴィクトワール」はイタリア人彫刻家の作品と言われ、優しい表情の聖母が幼子イエズスの傍らに立っています。聖母は幼子イエズスを両腕で抱き、優しく寄り添っています。聖母のこの姿勢には、ふたつの意味を読み取ることができます。

 まず第一に、幼子を優しく抱き寄せる聖母の姿は、不安定な場所によじ登った幼児が転落しないように、幼児の体を支える母の愛を表しています。

 第二に、幼子を抱いて寄り添う聖母の姿は、キリストが罪びとを愛するのと同様に、聖母もまた罪びとを愛し、憐れみ、罪びとのために執り成し給うことを表しています。イエズスを十字架に懸けた罪人たちに対して、救い主イエズスとともに聖母が注ぐ慈愛の眼差しは、神とイエズスへの愛ゆえに、世の罪びとをも愛して、その「避け所」」(le refuge des pécheurs) となり給うことを表しているのです。

 「イエズスに対する母の愛」と「神とイエズスへの愛の反映としての、罪びとへの愛」は、マリアの汚れ無き御心 (l'Immaculé coeur de Marie) においてひとつに融け合っています。それゆえ聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は、「マリアの汚れ無き御心」の愛の形象化であるということができます。





 メダイ表(おもて)面の下端左側に、パリのメダイユ工房の名前 (VM Paris) が刻まれています。下端右側には 1910年代頃に最も活躍したフランスの彫刻家、エルンスト・レヴィヨン (Ernest Révillon) のサイン (Révillon) が刻まれています。


【下・参考画像】 ヴェルダンの戦いの勲章 レヴィヨンのメダイユの代表作です。




【下・参考画像】 パリの南50キロメートルのバルビゾン、エルンスト・レヴィヨン通りにあるサン=ポール礼拝堂。手前に見えるウェルキンゲトリクスの胸像はエルンスト・レヴィヨンの作品です。








 メダイ裏面には聖母を象徴する百合の花が刻まれています。百合が聖母の象徴とされるのは、旧約聖書の愛の歌「雅歌」にある次の聖句に由来します。

  Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias.   おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。(雅歌 2:2 新共同訳)

 百合は純潔、徳の高さを表すとともに、神による「選び」を象徴しています。キリスト教美術においては、受胎告知の際、ガブリエルからマリアに百合が手渡されます。


【ノートル=ダム=デ=ヴィクトワールにゆかりの聖人など】

 テオドール・ラティスボンヌ神父 (P. Théodore Ratisbonne, 1802 - 1884 註9) は、1840年からノートル=ダム・デ・ヴィクトワールにおいて信心会の会長補佐を務めました。同じ頃、後に尊者となるフランソワ=マリ=ポール・リーバーマン神父 (Ven. François-Marie-Paul Libermann) がノートル=ダム・デ・ヴィクトワールに創設した「マリアの聖心会」(la Société du Saint-Coeur de Marie) は、現在の「聖霊修道会」(La Congrégation du Saint-Esprit, Spititain) の源流となりました。

 また既述のように、パリ外国宣教会もノートル=ダム・デ・ヴィクトワールと深いつながりがあります。1861年2月2日にハノイで殉教することになるジャン=テオファン・ヴェナール師 (St Théophane Vénard, 1829 - 1861) は、神学校在学中の1847年にノートル=ダム・デ・ヴィクトワール大信心会に加入し、ヴェトナムに出発する前にはヴェトナムにおける司祭としての働きをノートル=ダム・デ・ヴィクトワールに委ねました。


 イギリス国教会の司祭から1845年にカトリックに改宗し、後に枢機卿となったジョン・ヘンリー・ニューマン師 (Mgr. John Henry Newman, 1801 - 1890) は、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワールを訪れて、自身の改宗を聖母に感謝しています。


 テレーズ・マルタン、後のリジューの聖テレーズ (Ste. Therese de Lisieux, 1873 - 1897) は14歳のときに家族とローマを訪れていますが、リジューからローマに向かう途中でノートル=ダム・デ・ヴィクトワールに立ち寄って、カルメル会に入る望みがかなうように祈っています。

 テレーズは愛読の「イミターティオ・クリスティー」("Imitatio Christi" 「キリストに倣いて」)に、「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」の聖母像のカードを挟んでいました。カルメル会に入会したいという望みを父ルイ・マルタンに伝えたとき、父は娘に小さな花を贈りましたが、テレーズはその花をカードに貼り付けていました。亡くなる数日前、テレーズはカードの裏に名前を書きましたが、これはテレーズの最後の署名となりました。

 テレーズはカルメル会修道院の病室で亡くなりましたが、「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」の像はここにも安置されており、地上におけるテレーズの最後の日々を見守りました。


 19世紀のフランスにおいて、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワールはこのように大きな役割を果たしましたが、それにもかかわらずこの聖母子像のメダイは不思議なほど少なく、めったに手に入りません。彫刻家のサインがあるものはなおさら珍しく、私自身初めて目にしました。





 
エルンスト・レヴィヨンがこのメダイを制作した1910年代は、第一次大戦期とその前後にあたります。このメダイが生まれたのは、未曾有の世界大戦によってフランスの国土が戦場となり、軍人軍属の戦死者のみならず、戦災死者、戦争寡婦、戦争孤児が国中に溢れた時代でした。

 本品は肉眼で見ると十分に良好なコンディションですが、実物の面積を 50倍に拡大した写真では突出部分が磨滅していることがわかります。本品の磨滅は、あたかもノートル=ダム・デ・ヴィクトワールが幼子を支えるように、頽(くずお)れそうになる心を優しく支え、切実な願いと希望、数知れない祈りを吸い込んだせいなのです。





本体価格 15,800円 販売終了 SOLD

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