稀少・高級品 M. ゲトン作 ノートル=ダム・ド・フランス祝別記念の銀製メダイ 信仰と希望と愛 33.7 x 23.4 mm


突出部分を含むサイズ 縦 33.7 x 横 23.4 mm

フランス  1860年



 フランス中央部オーヴェルニュにある聖母マリアの巡礼地、ル・ピュイ=アン=ヴレ (Le Puy-en-Velay) の岩山に立つノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)が、1860年9月12日、聖母マリアの御名の祝日に祝別された際の記念メダイ。800シルバー(純度 800/1000のシルバー)を示すフランスのホールマーク(イノシシの頭)が、上部の環の基部に刻印されています。

 19世紀において、銀はメダイの素材として最も高価なものでしたから、通常はコストを抑えるために銀めっきとしてのみ使用され、たとえ銀無垢のメダイが製作されても、ごく薄く、小さなサイズに作られるのが普通でした。しかるにノートル=ダム・ド・フランスの祝別を記念したこのメダイは、銀無垢であるにもかかわらず500円硬貨ほどのサイズと重量があり、たいへん高級な品であることが分かります。下に示したのは、本品のサイズ・厚さ・重量を同時代の銀無垢メダイと比較した表です。

  サイズ   厚さ   重量
1 ルルドの聖母のメダイ   20.2 x 11.5 mm (突出部分を含む)   0.4 mm   0.4 g
2 モンセラートの聖母のメダイ   22.6 x 13.6 mm (突出部分を含む)   0.6 mm   0.9 g
3 聖アブドンと聖セナンのメダイ   17.0 x 12.2 mm (突出部分を含む)   0.4 mm   0.4 g
4 本品   33.7 x 23.4 mm (突出部分を含む)   1.5 mm   6.1 g







 メダイの一方の面には、中央部にマリアを象徴するMの文字が置かれ、次の祈りの言葉が書かれています。

  O Marie conçue sans péché, priez pour la France.  罪無くして宿りたまいしマリアよ、フランスのために祈りたまえ。





 「罪無くして宿りたまいしマリア」という表現は、まさにこのメダイが製作された時代に確立した無原罪の御宿りの教義を表しています。19世紀は聖母が相次いで出現した時代でしたが、1830年にパリにおいてカトリーヌ・ラブレの前に出現した聖母は、「罪無くして宿り給えるマリアよ、御身を頼みとする我等のために祈りたまえ」 (O Marie conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous) という言葉に取り囲まれていました。さらに 1858年にルルドにおいてベルナデット・スビルーに出現した聖母は、「私は無原罪の御宿りです」(Je suis l'Immaculée Conception. / ビゴール方言 Que soy era Immaculada Concepciou.) と自ら名乗りました。この「フランスの女王」、ノートル=ダム・ド・フランスの定礎が行われたのは 1854年12月8日で、教皇ピウス9世によって無原罪の御宿りがカトリック教会の教義とされたのと同じ日でした。

 「フランスのために祈りたまえ。」という祈りも、近代思想や戦乱によって既成の社会秩序が危機的状況を迎えた時代背景を表しています。このメダイが製作された19世紀半ばには、自由主義や汎神論、高等批評、共和主義、社会主義などの近代主義的思潮が隆盛を見、当時のカトリック教会は脅威を感じていました。また当時は帝国主義の時代であり、各地で戦争が行われていました。カトリック教会はこれら近代主義や戦争に対抗するため、ノートル=ダム・ド・フランスをはじめとする巨大な聖母像を、フランス各地に建設します。それらはヨハネの黙示録 12章において竜、すなわち教会の敵である悪魔を打ち負かす力強い聖母の姿でした。


(下) E. プレナ社で製作中のノートル=ダム・ド・フランス。台座を含めた高さ 22.7メートル、重量 110トン。




 メダイの記述に戻ります。マリアの "M" の下には、三輪の白百合が浮き彫りにされています。白百合は純潔の象徴であり、また下に記す「雅歌」2章2節の聖句に基づいて、聖母の象徴と考えられています。

  Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. (Nova Vulgata)  おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 (新共同訳)

 このメダイにおいて、ひとつの茎から三輪の花が咲いているのは三位一体なる神の象徴であり、この象徴的図像に百合の花を用いることにより、聖母マリアが「祝福の器」(vase de benediction) であることが表現されています。

 百合の花の下方には、1850年代から60年代にかけて最も活躍したフランスの高名な彫刻家、M. ゲトン (M. Gueyton) の名前が記されています。M. ゲトンはグラヴュール(エングレーヴィング 金属板インタリオによる版画)の作家でもあり、最初の万国博覧会として知られる 1855年のパリ万国博覧会 (Exposition Universelle des produits de l'Agriculture, de l'Industrie et des Beaux-Arts de Paris 1855) にも作品を出展しています。

 メダイの外周には「ノートル=ダム・ド・フランス」(Notre-Dame de France フランスの聖母)の文字を、ミル打ち状の点が囲んでいます。ミル打ちはアンティーク・ファイン・ジュエリーに見られる彫金の一種で、たいへん高級感があります。

 「ノートル=ダム・ド・フランス」の文字の下方には、5枚の花びらを有する花々が浮き彫りにされています。5枚の花びらはイエズス・キリストが受難の際に受けたもうた五つの傷、すなわち両手、両足、脇腹の傷の象徴であり、「神の愛」と「救い」の象徴でもあります。

 上部の環の基部に、800シルバーのホールマーク、及びフランスの銀製品工房の刻印があります。





 メダイのもう一方の面は、信仰 (FIDES) を象徴する十字架と、希望 (SPES) を象徴する錨、及び三輪の百合の花を中央に配します。「信仰」「希望」「愛」はキリスト教における枢要徳であり、通常の図像においては「十字架」「錨」「心臓(ハート)」によってそれぞれ表現されますから、このメダイにおいては三輪の百合が「心臓」に相当し、「愛」を表現していることがわかります。

 百合の花弁は6枚のはずですが、この面に描かれた三輪の百合は5枚の花びらを有しており、イエズス・キリストの受難において極まった「三位一体の神の愛」を表していることがわかります。枝分かれした百合全体の形が、十字架そのものの象徴でもあります。また聖母の象徴として親しまれる百合を、「愛=心臓」の代わりに用いることにより、この百合の図像は聖母の汚れ無き御心の愛、すなわち神とイエズスに対する愛という意味をも、重層的に表現しています。この面の周辺部には、次の言葉がラテン語で記されています。

  GALLIAE REGNUM, MARIAE REGNUM.  ガリアの国は、マリアの御国。

 既に述べたように、19世紀半ばのカトリック教会は、伝統的価値観や社会秩序の崩壊に対して強い危機感を抱いていました。「御国」(REGNUM) という語は、主の祈りの一節、「御国が来ますように」(ADVENIAT REGNUM TUUM) という祈りを思い起こさせます。「ガリアの国は、マリアの御国」という言葉には、平和を祈り求めるカトリック教会の祈りが込められています。


 本品は150年以上前に作られた物であるにもかかわらず、新品同様のコンディションであり、細部までよく残っています。この優れたメダイには、19世紀フランスの名匠M. ゲトンによる稀少な工芸品としての美術的価値、良質の銀を惜しまずに使って製作したアンティーク品としての宝飾的価値、図像に様々なメッセージを込めた信心具としての宗教的価値があります。しかしさらに、「無原罪の御宿り」にまつわる教義史的資料価値、カトリック思想と近代思想の戦いにまつわる思想史的資料価値、ノートル=ダム・ド・フランスが、ナポレオン三世の第二帝政下で戦われたクリミア戦争で、ロシアの大砲を捕獲し、それを融かして鋳造されたという事実による政治史的資料価値、帝国主義の時代における平和希求の、聖母像による具現化という社会史的資料価値のいずれにおいても、これ以上に優れた時代の証言者はありません。





本体価格 24,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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