中世以来の聖母マリアの大巡礼地、フランス中央高地のル・ピュイ=アン=ヴレには、有名な聖母子像がふたつあります。ひとつは司教座聖堂に安置されている17世紀の黒い聖母、ノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル・ピュイの聖母)。もうひとつはクリミア戦争(1853 - 1856年)でフランス軍が捕獲したロシア軍の大砲を融かして鋳造した高さ 16メートル、重さ 110トンのノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)。
本品の片面にはノートル=ダム・ド・フランスが浮き彫りにされ、フランス語で次の言葉が書かれています。
Notre-Dame de France, priez pour nous. ノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)よ、我らのために祈りたまえ。
もう片方の面には黒い聖母子像を安置するル・ピュイ=アン=ヴレ司教座聖堂の5層になった西側正面ファサードが浮き彫りにされ、その周囲にフランス語で次のように書かれています。
Basilique de Notre-Dame du Puy, 1860 ノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル・ピュイの聖母)のバシリカ 1860年
1860年という年号はスペースの関係で司教座聖堂を浮き彫りにした面に記されていますが、司教座聖堂に直接関係のある年号ではありません。この年の9月12日、ル・ロシェ・コルネイユの頂上からル・ピュイの町を祝福する聖母子像、ノートル=ダム・ド・フランスの祝別式が行われました。このメダイはその記念に鋳造されたもので、帝国主義の時代であった19世紀半ば、聖母に平和を求める民衆の祈りが籠められています。写真に写っていませんが、上部の孔に環を取り付けてお渡しいたします。