聖母マリアの大巡礼地、ル・ピュイ=アン=ヴレにあるふたつの有名な聖母子像、ノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル・ピュイの聖母)と、ノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)のメダイ。柄つきの吊り輪がメダイの面に対して直角に曲げられているのは、19世紀中頃までのフランスのメダイに見られる特徴です。
本品の片面には司教座聖堂に安置されている17世紀の黒い聖母、ノートル=ダム・デュ・ピュイが浮き彫りにされ、その周囲にフランス語で次の言葉が書かれています。
Notre-Dame du Puy, priez pour nous. ノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル・ピュイの聖母)よ、我らのために祈りたまえ。
もう片面にはクリミア戦争でフランス軍が捕獲したロシア軍の大砲を融かして鋳造された19世紀の巨大な聖母、ノートル=ダム・ド・フランスが浮き彫りにされ、その周囲にフランス語で次の言葉が書かれています。
Notre-Dame de France, priez pour nous. ノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)よ、我らのために祈りたまえ。
ル・ピュイ=アン=ヴレは中世には大巡礼地でしたが、近世になって巡礼は衰微しました。聖母マリアの巡礼地として往時の勢いを取り戻したのは 19世紀半ばで、1856年2月11日、教皇ピウス9世によって司教座聖堂ノートル=ダム=ド=ラノンシアシオンが小バシリカとされ、さらに
1856年6月8日、教皇ピウス9世の代理であるル・ピュイ司教によってノートル=ダム・デュ・ピュイが 戴冠されたこと、さらに 1859年にノートル=ダム・ド・フランスの像も建てられたことがきっかけでした。
帝国主義と戦争の時代であった19世紀半ばに聖母崇敬が再興したのは、平和を求める民衆の願いの現れです。そういった意味で、このメダイは、19世紀という時代にいかにも相応しい信心の記念となっています。