スペインとスペイン系の諸国民の守護聖女、サラゴサのヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル(柱の聖母)のペンダントあるいはメダイ。コントラステ(西 contraste 貴金属の検質印、ホールマーク)はありませんが、銀製と思われます。
本品の全体的な構造は、厚みのある紡錘形の台座を取り巻くように十四個の半球を打ち出し、その上に別作のプレートを鑞付け(ろうづけ 溶接)して、ペンダント本体としています。ペンダント本体は最大
3.2ミリメートルの厚みがありますが、高価な銀を効率よく使うために中空の構造となっており、厚さにかかわらずごく軽量です。日々愛用しても疲れません。
台座の上部には大きなバチ環(ばちかん 正面から見ると逆三角形の環)を取り付けています。バチ環は丸みを帯びた優しい形で、彫金が施されています。開口部は
9 x 4ミリメートルと余裕のあるサイズで、金具が大きいチェーンでも容易に通すことができます。
台座に鑞付けしたプレートは、イタリア語で「マンドルラ」(伊 mandorla アーモンド)と呼ばれる紡錘形を模(かたど)ります。マンドルラはロマネスク様式及びゴシック様式による聖母子像の光背によく使われる形です。
マンドルラのプレートには、サラゴサにある有名な聖母子像「ヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル」(西 Nuestra Señora del Pilar 柱の聖母)が刻まれています。聖母は左腕に抱いた幼子イエスに優しい眼差しを向けています。幼子イエスは右手で聖母の衣を掴み、左手には小鳥を留まらせています。
(下) 聖母子像ヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル。高さ 38センチメートルの木像。
聖母子像は紀元40年に聖母が出現して以来場所を変えていないといわれるジャスパーの柱、ラ・サンタ・コルムナ(西 la Santa Columna 聖なる柱)の上に立っています。ラ・サンタ・コルムナはブロンズと銀でできたカバーで覆われており、ギリシア十字が付いています。
(下・参考画像) ゴヤによるヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル聖堂のフレスコ画(部分)
柱の聖母の下半身から柱頭にかけての部分は、ふだん円錐台形のマントに覆われていますが、このメダイでは全身が露出しています。
メダイにエマイユが施される場合、半透明ガラスを使用して、浮き彫りの奥行きを強調する「エマイユ・シュル・バス=タイユ」(仏 l'émail sur basse-taille)とすることが多いですが、本品は完全に不透明なガラスによる「エマイユ・シャンルヴェ」(仏
l'émail champlevé)です。ジャスパーの柱上に立つ聖母子は、漆黒のエマイユを背景に、清らかな銀の光を放っています。
銀と黒色エマイユの組み合わせはニエロ細工(西 nielado)を模しています。ニエロ細工の黒色は硫化した金属によりますが、本品はガラスによるエマイユですので、ニエロよりも艶があります。金属の硫化物によるニエロと、ガラスによるエマイユのどちらが美しいかは見る人の好みによりますが、ジュエリーとしての華やかさの点で、エマイユはニエロに勝ります。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。聖母子の頭部は直径一ミリメートルほどのサイズですが、目鼻口がきちんと作られています。融解したガラスをこれほど小さなくぼみに入れるには、非常に熟練した技術を要します。手足の部分や衣の襞にもガラスは巧みに入れられており、エマイユ職人の優れた腕前がうかがえます。
上の写真は店主(男性)の手に載せて撮影しています。女性が実物をご覧になると、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
1934年以降のスペインでは、銀製品(750シルバーの製品)に流星のコントラステ(ホールマーク)が刻印されます。しかしながら本品にはこの刻印がありません。したがって本品の制作年代は
1934年よりも前であり、おそらく 1920年代から 30年代前半頃と思われます。
本品は八十年以上前に作られた真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。金属部分は五つの部品を組み合わせて作られていますが、鑞付けの剥がれ等の破損は一個所もありません。ガラスエマイユにも傷みはまったく無く、制作当時のままの美しさを保っています。可愛らしいサイズと軽さは、日々ご愛用いただくジュエリーに適しています。