スペインとスペイン系諸国民の守護聖女、サラゴサのヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル(柱の聖母)のプラケット(四角いメダイ)。1914年から 1918年頃までの間に制作された品物で、アール・ヌーヴォー様式による手彫りの彫金が施されています。信心具の素材で最も高級な銀を、めっきではなく無垢の状態で使用した贅沢な品物です。
プラケットの一方の面には、ジャスパー(瑪瑙)の柱ラ・サンタ・コルムナ(la Santa Columna)に立つヌエストラ=セニョラ・デル・ピラルが表されています。聖母は眩い光を放つ冠を被り、左腕に抱いた幼子イエスを「救いに至る道」として人々に示しています。
幼子は右手で聖母のヴェールをつかみ、左腕にはゴシキヒワを留まらせています。ゴシキヒワはあざみの種子を好んで食べるので、スペイン語では「カルド」(cardo あざみ)に由来して「カルデリナ」(cardelina あざみ鳥)と呼ばれています。あざみをはじめ、棘のある植物は、人の罪を象徴します。したがってあざみを食べて取り除くゴシキヒワは、贖い主イエス・キリストの象徴です。
聖母像は別作したものを銀板に鑞付け(ろうづけ 溶接)してあるため、他のプラケットに比べても、たいへん立体的に表現されています。聖母像の彫刻は極めて細密です。最も突出した部分である聖母子の頭部に磨滅が認められますが、マントの柄やラ・サンタ・コルムナのギリシア十字などの細部が良く残っていることから、元の彫刻あるいは彫金が如何に細密であったかがうかがえます。
サラゴサの聖母はラ・サンタ・コルムナの頂上に立っているため、ヌエストラ=セニョラ・デル・ピラルすなわち「柱の聖母」と呼ばれています。ここでいう「ピラル」(西 el pilar 柱)とは中世の建築用語で、ヴォールト(穹窿 きゅうりゅう)の重みを支える垂直の柱を指します。キリスト教の象徴体系において、完全な図形である円または球は、神の住まう天空を表します。高みにある半球形のヴォールトは、天の象徴です。これに対して聖堂下部の四角い床は、地を象徴します。それゆえピラル(柱)は「天を象徴するヴォールト」と「地を象徴する床」を結ぶ世界軸(アークシス・ムンディー)であるといえます。
それゆえサラゴサの「柱の聖母」(ヌエストラ・セニョラ・デル・ピラル)は、シャルトルの「柱の聖母」(ノートル=ダム・デュ・ピリエ)と同様に、神の母なる無原罪の御宿りが、天地を繋ぐ恩寵の器であることを示しています。
銀無垢製を示すコントラステ(西 contraste 貴金属の検質印)が、上部の環に刻印されています。本品のコントラステは「エル・レオン・ランパンテ」(西
el león rampante 後ろ足で立ったライオン)で、これはサラゴサで使われていた刻印です。「エル・レオン・ランパンテ」はサラゴサの旗にも使われているこの都市の紋章です。銀の純度は
916パーミル(916 milésimas, 916/1000)です。
スペインにおける銀のコントラステは、1934年の法律で全国的に統一され、流れ星と六角形に置き換えられました。「エル・レオン・ランパンテ」は 1860年頃からサラゴサで検質印に採用されていましたが、1934年以降は流れ星と六角形に変更されました。
二十世紀初頭のヨーロッパは貧富の差が極めて大きく、普通の人がめっきではない「銀無垢製品」を買うことはほとんどありませんでした。しかるにこのプラケットは銀無垢製品で、サイズも特に小さくはないことから、スペイン国民が比較的裕福であった時代に制作されたものであることがわかります。二十世紀前半のスペイン経済史でこれに該当する時期は、1914
- 1918年、及び 1925 - 1929年です。
本品は聖母像を取り巻くようにブリル(西 buril ビュラン、彫刻刀)の彫金が施されています。聖母像の両側の彫金装飾は、様式化されつつも写実性を残した植物文です。またふたつの植物と四囲の枠は、いずれも左右非対称であることから、本品の彫金が日本美術に強い影響を受けたアール・ヌーヴォー様式であることがわかります。
第一次大戦期に中立を守ったスペインは、連合国と同盟国の双方に物資を売ることで、経済的に大きな恩恵を受けました。スペイン国内の好景気は、第一次世界大戦が始まった
1914年から、スペイン風邪のパンデミックが勃発する 1918年まで続きます。
高価な銀無垢プラケットである本品は、スペイン国民が豊かであった時代に作られたと考えられます。また本品の彫金はアール・ヌーヴォー様式によります。したがって本品の制作時期は、1914年から
1918年までの間と考えて間違いないでしょう。
プラケットのもう一方の面にはスペイン語で「レクエルド・デ・ヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル」(Recuerdp de Nuestra-Señora del Pilar 柱の聖母巡礼記念)と刻まれています。「ヌエストラ=セニョラ」は "NA SA" と表記されていますが、これをきちんと書けば、"NA" の上と "SA" の上にティルデ(~)が付きます。ティルデは、それが付く語が略記されたものであることを示します。
裏面最上部には "YB" の文字があります。これはプラテリア(西 platería 銀細工工房)の刻印でしょう。
上の写真は男性店主の手に載せて撮影しています。女性が実物をご覧になると、一回り大きなサイズに感じられます。
本品は 1914年から 1918年頃までの間に、ヌエストラ=セニョラ・デル・ピラルのある都市、スペイン東部のサラゴサで作られた銀無垢プラケットです。拡大写真では突出部分の磨滅がよく判別できますが、実物は十分に綺麗な状態です。特筆すべき問題は何もありません。
写真では分かりにくいですが、実物には金属光沢があります。銀の硫化による黒ずみが気になる方は、練り歯磨きをブラシに付けて軽くこすれば、すぐにぴかぴかになります。