ラファエロ 「小椅子の聖母」 900シルバー製 手彫りのメダイ 24.5 x 15.4 mm
突出部分を含むサイズ 縦 24.5 x 横 15.4 mm
イタリア 1930年代
900シルバーでできた半完成品に、ラファエロ (Reffaello Sanzio, 1483 - 1520) の名作「小椅子の聖母」を手彫りしたと思われる稀少なメダイ。彫りは浅くとも聖母子の顔立ちは整っており、職人の優れた技量を証ししています。裏面にはやはり手彫りで「ローマ」(Roma) と刻まれています。また上部の環には900シルバーのホールマークが刻印されています。
盛期イタリアルネサンスの至宝、「小椅子の聖母」は、数々の美しい聖母像を描いたラファエロが、37歳の誕生日に世を去るよりも少し前、30歳代前半に制作した作品です。聖母と幼児イエスが向かい合うこの絵の構図では、聖母の頭から肩、腕にかけてのラインとイエスの肩から足先のラインが円形という板の形と完璧な調和を見せており、ラファエロの天才的な造形力が遺憾なく発揮されています。聖母子の右にいる幼児は洗礼者ヨハネで、らくだの毛衣を着て、キリスト受難の象徴である十字架を携えています。
(下) ラファエロ・サンツィオ 「小椅子の聖母」 1514 - 16年頃 板に油彩 直径71cm フィレンツェ、ピッティ美術館蔵
いずれも長命であったレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとは違って、ラファエロは短い生涯を燃やし尽くすように生きました。しかしあたかも神がそれぞれの天才に同じ量の仕事を与えられたかのように、ラファエロは結婚もせず、持てるすべての力を注いで人類の至宝ともいうべき数々の美しい絵画を生み出しています。ルネサンスの美術史家ヴァザーリは「この気高い芸術家が死んだとき絵画も死んだと言ってよい。彼が目を閉じたとき、絵画もまた盲いてしまったのだ」と書いています。
ヴァティカン宮殿「署名の間」をはじめ三つの≪ラファエロの部屋≫の装飾を見れば分かるように、ラファエロは豊かな教養を持った天才であって、ときに誤解されるように「思想性が無い画家」ではけっしてありません。しかしラファエロが思想性よりも純粋な美の追求を優先したことも事実で、あくまでも明るく美しい彼の絵には誰の心にも訴えかける魅力があります。
(下) クリスティアン・シューラー作 スティール・エングレーヴィング 「小椅子の聖母」 1875年
「小椅子の聖母」を描いた頃にカスティリオーネ伯にあてた手紙の中で、ラファエロは「美しい女性を描くにはもっと多くの美女を見なければなりませんが、美女は常に不足しているので、私は心の中のイデアを使って描いています。」と語っています。
当時のイタリアではネオ・プラトニズムが流行していました。プラトンの哲学において美のイデアとは現世の美を超越した完全な美であり、カンヴァスの上には実現しようのないものですが、ラファエロの魂は美のイデアを想起して憧れ、それに少しでも近付こうとしているのです。
ときには思想性を捨象してまでも純粋な美をひたすら追い求める彼の芸術は、憂鬱なミケランジェロの作品と比べると一見明るく現世肯定的であるように見えますが、これをプラトニズムの立場から見直すならば、ラファエロはひたすらイデア界に憧れ、イデア界の影に過ぎないこの世界を捨てて、イデア界にのみ生きようとしているのだと解釈することもできるでしょう。