「神の花嫁」として選ばれた若きマリアのメダイ。20世紀前半のフランスで活躍した彫刻家、フィルマン・ピエール・ラセール (Firmin Pierre
Lasserre, 1870 - 1943) によるマリアの横顔の小メダイを、アール・ヌーヴォー様式の枠に嵌め込んでいます。
キリスト教の伝統的図像において、マグダラのマリア以外の聖女は、大抵の場合、ヴェールで髪を被っています。
聖母マリアが単独で描かれる場合、ヴェールを被った図像には「神の花嫁としての聖母」像と、「悲しみの聖母」像の二通りがあります。イエズス・キリストが33歳で受難し給うたことを考えれば、「悲しみの聖母」像は年老いたマリアが描かれるべきでしょうが、実際の図像において聖母は若々しく描かれることが多くあります。
したがってマリアの容姿だけでは、「神の花嫁としての聖母」像と、「悲しみの聖母」像の判別は困難ですが、両者はヴェールが異なります。すなわち「悲しみの聖母」が飾り気なく重々しいヴェールを目深(まぶか)にかぶるのに対して、「神の花嫁としての聖母」は、透き通るような薄絹で出来た軽やかなヴェールを被っています。
(下・参考画像) 「悲しみの聖母」 1708年に屋久島に上陸したシドッチ神父の所持品 東京国立博物館蔵
(下・参考画像) 「受胎告知の聖母」 Fra Filippo Lippi, "l'Annunciazione" (details), 1450, olio e tempera su tavola, 173 x 117 cm, Galleria Doria
Pamphili, Roma
本品の浮き彫りは、メダイユ彫刻家の優れた技量によって、マリアのヴェールが透き通るように軽やかな薄絹で出来ていることがわかります。したがって本品のマリアは「悲しみの聖母」ではなく、「神の花嫁たるマリア」あるいは「受胎告知の聖母」です。
受胎告知という大きな出来事のあと、マリアは目を閉じて、ひとり想いに耽っています。アブラハムやヨブにも勝り、救い主の母となるべく神の眼に適(かな)ったマリアの信仰に揺るぎは無いはずですが、天使が家の中に突然入ってきて、「喜びなさい、女よ、あなたから救い主が生まれます」と告げられたわけですから、10代半ばのマリアの心はさまざまな想いが巡っていることでしょう。
マリアの横顔を刻んだ円形メダイは直径 13ミリメートルで、右下にフィルマン・ピエール・ラセールのモノグラム (FL) が刻まれています。円形メダイは流水文のように自由な曲線を描く植物モティーフの枠に嵌められています。この優美な枠は、日本美術の強い影響の下、19世紀末のヨーロッパを席捲した「アール・ヌーヴォー」の様式に拠ります。
(下・参考画像) Alphonse Mucha, "Danse", 1898
本品の材質は銀で、フランスにおいて800シルバー(純度 800/1000の銀)を示す「蟹」のホールマークが、上部の環に刻印されています。シルバーはメダイの素材として最も高級なもので、ふつうはブロンズ製メダイのめっきに使われますが、本品は銀を惜しみなく使った銀無垢メダイです。
このメダイはおよそ百年前のフランスで制作された古い物ですが、摩耗はまったくと言ってよいほど見られず、細部まで完全な状態で残っています。真正のアンティーク品ならではの均一なパティナ(古色)に被われ、美しい趣(おもむき)のある品となっています。
なおブラシに練り歯磨きを付けて軽くこすることにより、メダイ全体の黒ずみ、あるいは選択した部分の黒ずみを簡単に除去することが可能です。この作業には特殊な薬品や道具は不要で、ご家庭でも行うことができます。