ポンマンの「希望の聖母」と、受難する救い主 神への愛を求めるメダイ 優れた細密彫刻による戦間期の作品 21.3 x 13.3 mm


突出部分を含むサイズ 縦 21.3 x 横 13.3 mm

フランス  1934年頃



 ポンマンの聖母は 1934年7月24日、パリ大司教ヴェルディエ師 (Jean Cardinal Verdier, 1864 - 1940) によって戴冠しました。本品は聖母の戴冠を記念して制作されたと思われるメダイで、一方の面にポンマンの聖母を、他方の面にキリストの十字架を、それぞれ精緻な浮き彫りで表現しています。

 メダイは楕円形で、一方の面には特徴的な形の帽子を被った「ポンマンの聖母」(仏 Notre-Dame de Pontmain)が浮き彫りにされています。聖母は星を散りばめた長衣を着ており、つま先が裾から覗いています。聖母のつま先は下を向いていて、地面に立っているようには見えません。聖母は、1871年1月17日、フランス北西部の小村ポンマンにおいて、夜空に浮かぶように出現したのです。本品では聖母の足元に雲が表されていますが、これは聖母が空中に浮かんでいることを示す定型的表現です。

 図像やメダイに表された「ポンマンの聖母」は、胸の前に十字架を掲げている場合がほとんどです。十字架は神が人間に与え給う最大の恩寵、すなわち無条件の「神の愛」を象徴します。本品の聖母は十字架を掲げていませんが、これは十字架を軽視した意匠ではありません。ポンマンの聖母が掲げていた十字架は、本品のもう一方の面全体を使って大きく浮き彫りにされています。

 救い主による救世は、「十字架上での刑死」という想像を絶する方法で成し遂げられました。本品に彫られた聖母は、「無原罪の御宿り」と同様に、掌を前に向け、広げた両腕を斜め下に伸ばしています。母が子を招くように罪びとを招き、天上から地上へと降(くだ)る神の恩寵を仲介する聖母の姿は、裏面に彫られたクルシフィクス(磔刑像)と補いあって、人知では測り知れない神の愛と恩寵を、いっそう強調的に表しています。





 本品に浮き彫りにされた聖母の周囲には、火が点いていない四本のろうそくが見えます。

 ポンマンに出現した聖母の姿は子供たちにしか見えなかったのですが、その場に集まって来た大人たちは、司祭を中心にして、次々に祈りを唱えました。子供たちによると、大人たちの祈りが続くにつれ、青い楕円と、火の点いていない四本のろうそくが、聖母の周囲に現れました。この後、聖母が赤い十字架を胸の前に掲げると、衣に輝く星のひとつが衣を離れて、聖母の周りにある四本のろうそくに火をつけ、聖母の頭の上に移動するという幻想的な光景が展開されます。

 したがってメダイの楕円形も、四本の蝋燭も、史実に基づく表現であることがわかります。しかしながら本品の意匠は単なる客観的な史実描写ではありません。ろうそくは祈りの象徴です。火は愛と明るさの象徴です。それゆえ聖母を取り囲む四本のろうそくは、このメダイを持つ人が聖母に捧げるべき祈りを象徴しています。ろうそくに火が点いていないのは、このメダイを持つ人が火を点ける役割を担うからです。ろうそくに点(とも)すべき火は、「神への愛」と、「神から与えられる《消えない明かり》」を象徴します。




(上) キリストの姿を取った六翼のセラフから聖痕を受けるアッシジの聖フランチェスコ。セラフの翼の赤色は火を表すとともに愛を象徴します。 Giotto, "San Francesco che riceve le stimmate", c. 1325, affresco, Santa Croce, Cappella Bardi, Firenze


 トマス・アクィナスが「スンマ・テオロギアエ(神学大全)」においてセラフィム(熾天使)を論じた箇所によると、火は三つの意味で「愛」を象徴します。すなわちまず第一に、火は「神へと向かう愛」を象徴します。なぜならば、地上で燃える火は常に上方へと向かいますが、それとちょうど同じように、地上にあって神を愛する人の心は、常に天上へと向かうからです。第二に、火は「人の魂を浄化する神の愛」を象徴します。なぜならば、火の熱は周囲の物に浸透し、焼き尽くして浄化しますが、それとちょうど同じように、神の愛は人の心に浸透して浄化するからです。第三に、火は「神に愛され、神を愛する人自身とその周囲を照らす《消えない明かり》」を象徴します。なぜならば、火は自身が明るく燃えるだけでなく、周囲をも明るく照らしますが、それとちょうど同じように、神に愛され神を愛する人の心は、その人自身を照らすとともに、周囲をも明るく照らすからです。

 セラフィムの本性について論じた箇所、すなわち「スンマ・テオロギアエ」第1部108問5項 「天使たちの位階には適切な名が付けられているか」 異論五に対する回答の前半において、トマスは上記のように語っています。該当箇所のラテン語原文を、日本語訳を添えて示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Ad quintum dicendum quod nomen Seraphim non imponitur tantum a caritate, sed a caritatis excessu, quem importat nomen ardoris vel incendii. Unde Dionysius, VII cap. Cael. Hier., exponit nomen Seraphim secundum proprietates ignis, in quo est excessus caliditatis.    第五の異論に対しては、次のように言われるべきである。セラフィムという名前は単なる愛ゆえに付けられたというよりも、愛の上昇ゆえに付けられているのである。熱さあるいは炎という名前は、その上昇を表すのである。ディオニシウスが「天上位階論」第七章において、熱の上昇を内に有するという火の属性に従って、セラフィムという名を解き明かしているのも、このことゆえである。
         
    In igne autem tria possumus considerare. Primo quidem, motum, qui est sursum, et qui est continuus. Per quod significatur quod indeclinabiliter moventur in Deum.
   ところで火に関しては三つの事柄を考察しうる。まず第一に、動き。火の動きは上方へと向かうものであり、また持続的である。この事実により、火が不可避的に神へと動かされることが示されている。
    Secundo vero, virtutem activam eius, quae est calidum. Quod quidem non simpliciter invenitur in igne, sed cum quadam acuitate, quia maxime est penetrativus in agendo, et pertingit usque ad minima; et iterum cum quodam superexcedenti fervore. Et per hoc significatur actio huiusmodi Angelorum, quam in subditos potenter exercent, eos in similem fervorem excitantes, et totaliter eos per incendium purgantes.    しかるに第二には、火が現実態において有する力、すなわち熱について考察される。熱は火のうちに単に内在するのみならず、外部のものに働きかける何らかの力を伴って見出される。というのは、火はその働きを為すときに、最高度に浸透的であり、最も小さなものどもにまで、一種の非常に強い熱を以って到達するからである。火が有するこのはたらきによって、この天使たち(セラフィム)が有するはたらきが示される。セラフィムはその力を及ぼしうる下位の対象に強力に働きかけ、それらを引き上げてセラフィムと同様の熱を帯びるようにし、炎によってそれらを完全に浄化するのである。
    Tertio consideratur in igne claritas eius. Et hoc significat quod huiusmodi Angeli in seipsis habent inextinguibilem lucem, et quod alios perfecte illuminant.    火に関して第三に考察されるのは、火が有する明るさである。このことが示すのは、セラフィムが自身のうちに消えることのない火を有しており、他の物どもを完全な仕方で照らすということである。






 本品に表現された四本のろうそくには、まだ火が点いていません。火を点ける役割は、メダイを持つ人に委ねられています。上の引用で示したように、「スンマ・テオロギアエ」において、トマスは火が愛に関して表す三つの意味を論じています。このうち第二の意味、すなわち「人の魂を浄化する神の愛」は、罪人を招く聖母の姿と、十字架に架かる救い主の姿によって十分に表現されています。残る二つの意味が、火を点(とも)されるべきろうそくに関わります。すなわちこのメダイを持つ人が、「神へと向かう愛」の火をろうそくに点すのを、聖母は待っておられるのです。またこのメダイを持つ人が、神からの愛に応えて神を愛するならば、その人自身のみならず、周りをも照らす《消えない明かり》が心に灯(とも)ることを、聖母は教えておられるのです。




(上) 石版による小聖画 「あなたの愛の火を、私たちのうちに灯してください」 123 x 73 mm ヴェルサイユ、サント・クレール修道院 フランス 1940年代頃 当店の商品です。


 カルメル会の聖人である十字架の聖ヨハネ (San Juan de la Cruz, 1542 - 1591) は、「ジャマ・デ・アモル・ビバ」("Llama de amor viva" 「愛の活ける炎」)という作品で、トマスと同様の思想に詩的表現を与えています。「ジャマ・デ・アモル・ビバ」の全文を、カスティリア語の原文に日本語訳を添えて示します。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌う歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。






 上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。聖母の顔は直径一ミリメートルほどの極小サイズですが、目鼻立ちが整っているばかりか、口許には微かなほほえみが浮かんでいます。罪びとを迎え、抱きとめようとする聖母の手には、優しく包み込む表情があります。衣の襞はあくまでも自然で、大型の彫刻作品に引けを取りません。衣に散りばめた星は 0.2ミリメートルほどのサイズですが、五芒星であることがわかります。





 もう一方の面にはクルシフィクスが浮き彫りにされています。このクルシフィクスはポンマンの聖母が胸の前に掲げたもので、ティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)の代わりに第二の横木を有する特異な形状です。第二の横木には「ジェジュ・クリ」(仏 JESUS-CHRIST イエス・キリスト)の文字があります。メダイの下半分には、クラシカルなカロリング体で、聖母出現の場所と日付(仏 Pontmain 17 janvier 1871 「ポンマン、1871年1月17日」)が書かれています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。イエスの顔は聖母の顔よりもさらに小さく、直径一ミリメートルに足りませんが、目鼻立ちが整っているばかりか、茨の冠までもが表現されています。筋肉や腰布の正確かつ自然な表現も、大型の彫刻作品に劣りません。

 メダイユ彫刻家は磔刑像のイエスを「クリストゥス・パティエーンス」(羅 CHRISTUS PATIENS)、すなわち息を引き取った姿で表現しています。しかるにキリストの右の手は、大きな釘で十字架に打ちつけられていながらも、祝福の形を取っています。何ということでしょうか。これ以上に苛烈な、あたかも焼灼するかの如き愛の表現を、私は知りません。




(上) フランスの古い小聖画。当店の商品です。


 ポンマンの聖母が出現し給うたとき、フランスは普仏戦争の戦場となっていました。プロシア軍はポンマンに近い都市ラヴァルを攻囲し、次いでポンマンに進軍しようとしていました。圧倒的な災厄に否応なく巻き込まれたポンマンの人々に、「それでも祈りなさい、子供たちよ。神はあなた方の祈りをすぐに聞き入れてくださいます」(仏 "Mais priez, mes enfants. Dieu vous exaucera en peu de temps.")、「わが息子は憐れんで心を動かします」(仏 "Mon fils se laisse toucher...")と語りかけ給うた聖母は、「ノートル=ダム・デスペランス」(Notre-Dame d'Espérance 希望の聖母)と呼ばれるようになりました。村から徴兵された若者たち全員が無事に帰還した後、ポンマンには聖母に捧げた大きな聖堂が建設されました。

 本品は 1934年、ポンマンの聖母が戴冠した際に制作されたものと思われます。1934年のフランスは、聖母が出現し給うたときと同様に、大きな災厄に見舞われようとしていました。この前年である 1933年、ドイツでは1月30日にヒトラー政権が誕生し、2月27日に国会議事堂放火事件が起こり、3月23日には全権委任法が成立しました。聖母戴冠の翌年である 1935年3月にドイツは再軍備を宣言し、9月にはニュルンベルク法が成立してカギ十字がドイツ国旗となるとともに、ユダヤ人に対する迫害が本格化します。その四年後には第二次世界大戦が始まり、フランスの国土は再び戦火に焼かれます。戦間期に作られた「希望の聖母」のメダイを見るとき、二十世紀の歴史を知る我々は心を痛めずにはいられません。





 本品は八十年以上前にフランスで制作された古い品物ですが、保存状態は極めて良好です。聖母とキリストの浮き彫りは細部まで良く残っています。立体的な浮き彫りの突出部分は磨滅しやすいですが、本品の浮き彫りは立体的であるにもかかわらず、突出部分にも磨滅がほとんど見られません。メダイユ彫刻家の優れた技量が生み出したままの姿で、時を超えて伝わったアンティーク美術品です。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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