O. リュフォニー作 《ウィルゴー・インマクラータ 汚れなきおとめ》 ルルドの聖母の美麗大型メダイ 直径 30.7 mm フランス 1920 - 30年代


突出部分を除く直径 30,7 mm

フランス  1920 - 30年代



 ピレネー山中に出現し給うた無原罪の御宿リ、ノートル=ダム・ド・ルルド(仏 Notre-Dame de Lourdes ルルドの聖母)を、初々しい少女の姿に仮託した美しいメダイ。両面の浮き彫りは高名なメダイユ彫刻家リュフォニーの作品です。





 一方の面には少女時代のマリアの上半身を大きく浮き彫りにし、クラシカルな典礼体のラテン語で囲んでいます。ウィルゴー・インマクラータ(羅 VIRGO IMMACULATA)は、「汚れなきおとめ」という意味です。「汚れなき」という句は、カトリックでは「無原罪の」と訳されます。

 「創世記」三章において、人祖アダムとエヴァは神の命に背き、「善悪を知る木」の実を採って食べました。これは人が神に背いた最初の出来事で、「原罪」と呼ばれます。原罪の本質は神の恩寵の欠如とされます。しかるに聖母マリアはデイー・ゲニトリークス(羅 DEI GENITRIX 神の母)として恩寵に満たされています。すなわちマリアは全能の神の恵みによって原罪を免れ、原罪を受け継がずにアンナの胎内に宿った、とカトリックでは考えています。これがインマクラータ・コーンケプチオー(羅 IMMACULATA CONCEPTIO 無原罪の御宿り)の意味です。




(上) ビセンテ・フアン・マシプ 「無原罪の御宿り」 Vicente Juan Macip (1475 - 1550), "la Inmaculada Concepción", tempera sobre tabla


 インマクラータ(羅 IMMACULATA)は「マクラが無い」という意味です。マクラ(羅 MACULA)というラテン語の原意は単に「よごれ、染み」のことですが、キリスト教神学ではこれを敷衍して「罪」のことをも意味するようになりました。「雅歌」四章七節には「恋人よ、あなたはなにもかも美しく、傷はひとつもない。」(新共同訳)とあります。新共同訳が瑕と訳したヘブル語は、ヴルガタではマクラとラテン訳されていますが、この聖句をキリスト教の文脈で解釈し、聖母の無原罪性を謳っているとの主張も為されました。上の絵はバロック期のスペインの画家ビセンテ・フアン・マシプによる「無原罪の御宿り」で、聖母の右上に「雅歌」の句(羅 ET MACULA NON EST IN TE あなたに傷は無い)が描き込まれています。





 ルルドのメダイにインマクラータの語が彫られている理由は、ルルドに出現した聖母が少女ベルナデット・スビルーに名を問われて、現地の言葉で「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)と答え給うたからです。聖母の言葉は標準フランス語(イール=ド=フランス方言)に直されて、ルルドのメダイに彫られていることが多く、本品の裏面にも刻まれていますが、この面においてはより一般性があり且つ簡潔な「汚れなきおとめ」(無原罪のおとめ)の句が採用されています。

 ルルドに聖母が出現したのは 1858年のことでした。この四年前にあたる 1854年12月8日、教皇ピウス九世は無原罪の御宿りが教義であることを、ローマ司教の立場で正式に宣言します。無原罪の御宿りに関してはカトリック内部にも異論がありましたが、ピウス九世は宗教会議を経ずに独自の宣言を発出したのです。この出来事は東方教会とプロテスタント教会から激しい反発を招きましたが、カトリック教会内ではローマ司教座からの宣言は大きな権威があり、とりわけ 1870年の第一ヴァティカン公会議において教皇の不可謬性が採決されrた後には、この教義に対してカトリック内部からの異論は無くなりました。





 本品尾浮き彫りにおいて、神によって選ばれた少女は、簡素な衣に花嫁の薄絹のヴェールを被り、視線をまっすぐ前方に向けています。マリアの横顔は清冽な美を湛えていますが、それは神の摂理に全てを委ねた野の百合(マタイ 6: 25 - 34、ルカ 12: 22 - 34)の美であり、受胎を告知するガブリエルに対して「お言葉通りこの身に成りますように」(ルカ 1: 38)と答えた信仰の形象化に他なりません。

 ルルドの聖母はロザリオの聖母とも呼ばれます。ロザリオにおいては、受胎告知の際の天使祝詞が主な祈りの言葉となります。しっかりと目を見開いて前を見つめる少女マリアは、自らがエヴァの子孫でただ一人、無原罪の御宿リとして生まれてきたことの意味を神に問うているように見えます。静かに結んだ口元には、神の摂理に身を委ねる少女の激しい愛と無条件の信仰が表れています。





 浮き彫りの最下部、マリアの肩から少し下がったところに、メダイユ彫刻家 O. リュフォニーのサイン(O. Ruffony)が刻まれています。O. リュフォニーは十九世紀末から 1930年代初めにかけてフランスで活躍したメダイユ彫刻家で、美しい女性を浮き彫りにした作品群を残しています。筆者(広川)の意見では、いずれも美しいリュフォニー作品の中でも、少女マリアを彫った本品はおそらく最も優れた出来栄えです。

 マリアは胸の前に手を合わせていますが、そのすぐ前方にある "JB."のモングラムは、ソミュールのメダイユ工房ジ・バルム(la société J. Balme)の刻印です。ソミュール(Saumur ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ・エ・ロワール県)はフランス西部の町で、シャプレ(ロザリオ)やメダイユ等の信心具制作が盛んな場所です。上部に突出した環には、フランス(FRANCE)の文字が読み取れます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品は三十ミリメートル強の直径がある大型メダイですが、マリアの顔の各部や指先など、それぞれの細部は一ミリメートル未満のサイズです。少女マリアの顔立ちは美しく整っているだけでなく、卓越した信仰心が滲み出ています。胸の前に合わせた手も顔と同様に表情豊かで、深い宗教性の内に神と対話しています。

 ルルドのように大規模な巡礼地のメダイを産業的規模で製造するには、硬貨の製造と同じく、打刻の手法が用いられます。しかるに本品は高名なメダイユ彫刻家による小さくとも優れた芸術作品であり、打刻ではなく、手間のかかる鋳造によって制作されています。メダイユのマトリス(鋳型)を制作するには縮彫機の助けを借りますが、原型が優れていることはもちろんのこと、このように細かい浮き彫りを鋳造するフランスのメダイユ制作技術は、他の国の追随を許しません。





 メダイのもう一方の面には、マサビエルの岩場における聖母出現の場面が、見事な浮き彫りで再現されています。

 ルルドを貫流するポー川(le gave de Pau)の岸辺に、現地で話されるガスコーニュ語ビゴール方言でマサビエラ(massavielha 古い岩塊、の意)と呼ばれる高さ二十七メートルの岩場があります。この岩場は巨大な石灰岩の塊で、基部にポー川の浸食を受けて、高さ 3.80メートル、奥行 9.5メートル、幅 9.85メートルのグロット(仏 grotte 洞穴、岩に開いた大きな横穴)を生じています。洞穴に向かって立つと右上方に縦長の開口部があって、開口部の奥は下の洞穴に繋がっています。ベルナデット・スビルーが幻視した少女マリアは、この開口部に立っていました。若き聖母に指示されたベルナデットが、洞穴内の土を手で掘ったところ泉が湧き出して、多数の病人に奇跡的な治癒効果を発揮しました。


 ファビシュの聖母像


 ルルドのグロットの右上方、ベルナデットが聖母の姿を見た開口部には、聖母出現から六年が経った 1864年に、リヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)の手による聖母像が安置され、現在に至っています。ファビシュの聖母像は大理石製で、1853年 3月25日、十六回目の出現の際にベルナデットに名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えたときのマリアを表現しています。





 ファビシュは無原罪のマリアをロサ・ミスティカ、棘の無い神秘の薔薇として表現しており、聖母の両足の上には金色の薔薇の花が取り付けられています。ルルドの聖母は裸足で、茨の茂みに出現し給いました。茨(薔薇)の棘は罪を象徴します。したがって聖母が棘に傷つき給わないという事実は、聖母の罪の無さ、無原罪性を象徴的に表します。

 聖母の図像表現において、茨を踏む裸足は無原罪性を最も良く象徴する部位です。それゆえここに薔薇を咲かせたファビシュの聖母像は、神学的背景を巧みに可視化していると言えます。O. リュフォニーはファビシュの彫刻を写したわけではないので、本品メダイの聖母は台ではなく、自然に生えた茨の茂みに裸足で立っています。しかしながらリュフォニーはファビシュの優れたアイデアを踏襲し、聖母の両足に二輪の薔薇を咲かせています。





 マサビエル(岩場)のグロットに立つ聖母は、右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて、目を天に向けています。これは 1858年3月25日、聖母が十六回目に出現し給うたときの様子です。この日ベルナデットが四度続けて名を問うと、聖母は田舎の言葉(ガスコーニュ語ビゴール方言)で「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)と答え給いました。この言葉は標準フランス語(イール=ド=フランス方言)に直され、聖母の後光を縁取っています。

  Je suis l'Immaculée Conception.  わたしは無原罪の御宿りです。

 ベルナデットの手前に置かれているのは、最初の聖母出現の際にベルナデットが拾い集めていた焚き付け用の粗朶(そだ)です。聖母とベルナデットの距離は極端に縮小されています。メダイの左上には、後に建設されたルルドのバシリカが浮き彫りにされています。これらはルルドの聖母出現を分かりやすく表現するための様式的特徴であり、多くの図像に共通しています。

 メダイに大きく刻まれたルルド(LOURDES)の文字の左側、ベルナデットが集めた粗朶の束すぐ下に、リュフォニーの名前が刻まれています。ベルナデットの背後には、メダイユ工房ジ・バルムのモノグラムが見えます。





 この面の意匠は様式化が完了していますが、これは誰が彫っても同じになるという意味ではありません。無原罪の御宿りを名乗る際、聖母は視線を上方すなわち天に向けたと伝えられます。しかしながらリュフォニーはこの作品において、聖母の視線を地上に向けさせています。聖母がルルドに出現したのは、少女ベルナデットを含め、現代(1858年)の地上に生きる人々を気にかけ給うたからです。この少し前、ラ・サレットに出現した聖母は泣いておられましたが、リュフォニーは情愛深く穏やかな表情をルルドの聖母に与え、またベルナデットが証言した少女ではなく、大人の女性として表すことで、誰にでも親しみやすい「御母」の姿としています。

 細密性に関しても、この面の浮き彫りは見事です。上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。もう一方の面にある少女マリアの単身像も十分に細密で、顔の各部が一ミリメートルほどのサイズでしたが、この面に再現されたマサビエルでの出現は、人物の顔全体のサイズが一ミリメートル余りしかありません。流れるような衣文(えもん 衣の襞)や、ごつごつした岩肌、聖母の足元や岩の間に生える野草、ベルナデットが手首に掛けたロザリオの珠の一つひとつまでを再現するフランスのメダイユ制作技術には、ただ驚くしかありません。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。


 聖母やキリストの出現は、常に普通の人に対して行われます。人間界にメッセージを伝えるのであれば、国王や皇帝、大統領、教皇、大主教などに出現すれば良さそうなものなのに、超自然的出現は常に普通の人、とりわけ何の地位も力も持たない貧しい農夫や幼い子供たち、一介の少女に対して起こります。そもそもナザレの少女マリアの場合がそうでした。マリアはローマの属領でさえない地方、いわば文明圏外と見做されていた田舎の少女でした。ベルナデットも山村の少女で、家庭は貧しく、監獄として建てられた小屋に住んでいました。

 カトリック外に目を向けても、事情はまったく変わりません。近年に起こった最も有名な出来事は、聖公会(イギリス国教会)の信徒ドロシー・ケリン(Dorothy Kerin, 1889/90 - 1963)の例です。ドロシーは少女時代に病を重ね、ある日ついに最期のときを迎えました。数時間以内に亡くなることが確実な危篤状態に陥ったのです。しかしながら、死亡診断書を書くために翌朝ドロシー宅を訪れた医師は、事態が全く呑み込めませんでした。何年のあいだ寝たきりであったドロシーは、ベッドから起き上がって普通に歩くばかりか、階段を駆け上がったのです。その日の朝のドロシーは、それでも骨と皮のように痩せていましたが、翌日にはまったく健康な少女の体格となっていました。このときドロシーは自身が回復しただけでなく、他の人々を癒す能力をも授かっています。

 現在のルルドは一見したところ観光地のようにも見えますが、実際には聖母の出現という宗教的事件が起こった場所です。聖母の出現が歴史的真実であることは、数々の客観的資料によって、さらにその後起こった数々の出来事によって、疑う余地なく裏付けられています。聖母出現から百五十年あまりの時間が経ったいま、我々は本品メダイを単なる美術品あるいは装飾品と見做しがちですが、本品の浮き彫りは超自然的なメッセージを可視的に記録したものでもあります。







 本品はいずれの面の浮き彫りもたいへん美しく、ルルドの聖母を刻んだ数あるメダイのなかでも、美術工芸品の水準に達する作品のひとつです。宗教芸術家の仕事は、言葉で表現することが不可能な精神的内容を形象化し、観る者に直観させることです。歳若きマリアの信仰という目に見えない価値を、少女の表情のうちに可視化した本品の浮き彫りは、O. リュフォニーが有する優れた芸術的感覚、及び職人的技量の賚(たまもの)です。

 本品は九十年ないし百年ほど前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。商品写真は大きく拡大していますので、突出部分の摩滅が判別可能ですが、実物を肉眼で見ると制作当時のままの状態であることがお分かりいただけます。特筆すべき問題は何もありません。

 アンティークアナスタシアの商品は、現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払い(一括、分割)のほか、金利手数料無料の現金分割払いでもお求めいただけます。お気軽にご相談くださいませ。





本体価格 33,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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