フランスの美麗大型メダイ 《ファティマのロザリオの聖母 直径 30.9 mm》 地上に注ぐ愛のまなざし 天地を繋ぐ世界軸の聖母 逸名彫刻家による名品 フランス 二十世紀中頃


突出部分を除く直径 30.9 mm  最大の厚さ 3.8 mm

重量 11.2 g



 ファティマ(Fátima)はポルトガル中部サンタレン県の町です。この町では 1917年5月13日から始まって10月までの毎月13日に、三人の羊飼いの子供たちに対して聖母が出現しました。1930年代に入ると、カトリック教会はファティマの事件が真正の聖母出現であると承認しました。本品はファティマの聖母を主題に、フランス北西部ソミュールのメダイユ工房ジャン・バルムがニ十世紀中頃に制作した作品で、突出部分を除く直径はおよそ三十一ミリメートルとかなり大きなサイズです。 11.2グラムの重量は五百円硬貨の 1.5倍、百円硬貨の二枚分強に相当します。





 一方の面には大胆かつ精緻な浮き彫りにより、世界軸として働き給うファティマの聖母の半身像が表現されています。愛のまなざしを地上に注ぐファティマの聖母は、ロザリオを持つ手を胸の前に合わせ、地上に生きる人々のために執り成しの祈りを捧げています。聖母像の浮き彫りは上品な艶消し仕上げで、柔らかな光を反射しています。ファティマのロザリオの聖母(葡 Nossa Senhora do Rosário da Fátima)の文字が、聖母の浮き彫りを囲んでいます。

 浮き彫りと聖母の称号を刻んだ部分が艶消し仕上げであるのとは対照的に、メダイユの縁は鏡面仕上げで、本品メダイユの円い形状が強調されています。環状の縁、あるいはメダイそのものの円い形は、聖なるものの完全性と永遠性を象徴しています。





 本品の浮き彫りの特徴は、頂上に十字架の付いた冠を被る聖母の半身を、円形画面の天地いっぱいに造形していることです。上述したように円形は完全性と永遠性の象徴であり、それゆえ神のいます天上界の象徴でもあります。

 聖母は地上に生きた生身の女性であり、神の本性に与らない被造物、ひとりの人間に過ぎません。それにも関わらず本品の聖母はメダイユの天地いっぱいに表され、冠の頂部にある十字架によって、輝く円環と接しています。ロザリオの聖母のかかる姿は、救世主の御母が神と人とをつなぐアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)であることを、感覚的に納得させる構図と言えます。





 聖母像の冠には様々な形のものがありますが、ファティマの聖母のために作られた二つの冠はいずれも女王の冠を模ります。これは 1646年、当時のポルトガル王ジョアン四世(João IV o Restaurador, 1604 - 1656)により、聖母がポルトガルの女王とされたためです。

 1933年以来サラザールの独裁体制下にあったポルトガルは、第二次世界大戦時も中立を保ちました。ポルトガルの女性たちはこの国が戦争に巻き込まれず、夫や恋人、息子たちが戦場に駆り出されなかったことを感謝し、ジュエリーをはじめとする貴金属製品を聖母に捧げました。集まった貴金属製品はポルトの貴金属工房レイタン・エ・イルマン(Leitão & Irmão)に渡され、十二人の貴金属職人による数か月間の作業を経て二つの冠が制作されました。二つのうちの一方は金と宝石の冠、もう一方はヴェルメイユ(仏 vermeil 銀に金めっき)の冠です。二つの冠はいずれも 1942年に制作され、1946年5月13日、ファティマにおける聖母出現二十九周年の記念日に、同所において戴冠式が挙行されました。





 本品メダイユの浮き彫りにおいて聖母が被るのは、毎月十三日に聖母像に被せられる金の冠です。この冠は 313個の真珠と 2679個の宝石で飾られ、1.2キログラムの重量があります。十三日以外の日にはヴェルメイユの冠が聖母像に被せられます。

 本品メダイが制作されたのは 1960年代ですが、これより後の 1981年5月13日、ヴァティカンにおいて教皇ヨハネ=パウロ二世の暗殺未遂事件が発生し、教皇は狙撃されて重傷を負いました。このとき教皇を傷つけた銃弾が 1984年にファティマの聖母に捧げられ、女王冠のグロブス・クルーキゲルの下部に、下向きに嵌め込まれました。

 グロブス・クルーキゲル(羅 GLOBUS CRUCIGER)はラテン語で「十字架付きの球体」という意味で、被造的世界全体を象る球に十字架を伴います。グロブス・クルーキゲルはキリストこそが被造的全世界(全宇宙)の支配者であることを象徴しています。ファティマの聖母の冠最上部に突出しているのが、グロブス・クルーキゲルです。





 ルルドの聖母と同様に、ファティマの聖母もロザリオの祈りを求めました。本品メダイの浮き彫りにおいても、ポルトガルの女王なる聖母はロザリオを持つ手を胸の前に合わせ、キリスト者の鑑(かがみ 手本)として祈りの範を示しつつ、罪びとの執り成しを神に祈っておられます。

 ロザリオの源流は、クリュニー会の労働修士が日々唱えた百五十回の主祷文です。クリュニー会は地上の修道院内に天国を再現しようとしましたが、労働修士たちが始めた一日百五十回の主祷文は、祈りに専念する修道士たち、修道女たちが唱える「詩編」百五十編に並行し、地上の天国であるクリュニー会全体に、次いで他の修道会と社会全体に広まりました。

 シトー会の神学者クレルヴォーの聖ベルナール(Bernard de Clairvaux, 1090 - 1153)は、われらの尊き御母、という意味の「ノートル=ダム」(仏 Notre-Dame われらの貴婦人)という称号を考案しました。シトー会におけるマリアの母性重視は祈り方にも反映し、百五十回唱えられる主祷文を天使の挨拶、すなわち天使祝詞の冒頭「めでたし 聖寵充ち満てるマリア。主、御身とともにまします」を以て置き換え、ときにはこれに「御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエスも祝せられ給う」を続けました。一日百五十回の主祈文は、十三世紀末までに百五十回の天使の挨拶(天使祝詞の前半)に置き換わり、この回数を数えるためにロザリオが考案されました。





 本品において、聖母の姿は円形枠内の天地いっぱいに大きく表現されています。すでに述べたように、この意匠は聖母の世界軸性、すなわち聖母が被造的世界の天地を貫き、神と人とをつなぐアークシス・ムンディー(羅 AXIS MUNDI 世界軸)であることを表しています。

 ラテン語アークシス(羅 AXIS)はギリシア語アクソーン(希 ἄξων)と同語源で、車軸、掛け金の軸、地軸など、回転する物の中心軸を指します。アークシス・ムンディー(世界軸)は聖地と同じものを指しますが、「聖地」が単に「聖なる世界に繋がる特別な地」という意味であるのに対し、「世界軸」という語には存在の序列、すなわち人の住む地上界が、聖なる世界に依存しているという観念が強く反映されています。


 聖母がなぜ神と人とを繋ぐ世界軸であるのかというと、それは聖母が受胎告知の際、自由意思によって救いを受け容れたからです。ファティマの聖母が幻視する子供たちに求めたことは、ロザリオを祈ることでした。ルルドの聖母もベルナデットに同じことを求めています。しかるにロザリオで唱える天使祝詞の前半は天使ガブリエルが少女マリアに語りかけた挨拶であって、これは救いの道をマリアに示した言葉に他なりません。マリアはこれを受け入れることにより、神と人を繋ぐ世界軸となりました。ロザリオの祈りを勧め、自らもロザリオを手に立つ聖母の姿は、救いの道イエスに通じる美しき門であるといえます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品はメダイの中でも大型であるとはいえ、聖母の顔の高さは四ミリメートル弱であり、通常の浮き彫り彫刻と比べればはるかに小さなサイズです。それにもかかわらず聖母の顔立ちは美しく整い、宗教的慈愛は悲母(優しい母)の笑みとなって可視化されています。王冠の細部やヴェールの刺繍、ロザリオのをはじめ、あらゆる細部を正確に再現した細密彫刻の見事さは、メダイユの国フランスで制作された作品ならではの出来栄えです。





 裏面にはファティマの子供たちに聖母が出現し給うた時の様子が表されています。胸の前に手を合わせ、愛のまなざしを注ぐ聖母の足元には、羊を飼う三人の子どもたちが跪き、手を合わせて聖母を見上げています。群像を取り巻くように、「ファティマの聖母よ、我らのために祈り給え」(葡 Nossa Senhora do Rosário da Fátima, rogai por nos.)の文字がポルトガル語で刻まれています。

 六頭の羊、灌木、地面の草も再現されていますが、子供たちは大きめに、聖母出現に重大な関わりのない羊は小さめに彫られており、本品の浮き彫りは細密でありながらも、出現の光景の写実的再現を目指すのではなく、むしろ「信仰」という不可視の価値に形を与えていることがわかります。

 通常の聖画において、ファティマの聖母は灌木の上に立っています。本品の浮き彫りにおいても聖母の足元には灌木がありますが、この灌木は雲のようにも百合の花のようにも見えます。雲の上に立つ姿は聖母が天上界にあることの表現ですし、百合はあらゆる意味において聖母を卓越的に象徴します。ファティマの聖母は灌木の上に幻視されたと伝えられますが、彫刻家が独自の感性で構成した本品メダイユの浮き彫りは、様式化された信心具がしばしば陥る無反省なキッチュ(独 kitsch)を免れ、芸術作品としての品格を保っています。





 我々が自分の考えを伝えたいとき、社会的地位ができるだけ高い人、影響力のある立場の人に話をするのが効果的と考えます。しかしながら神がなさることは人にはうかがい知れず、ときに人の考えとは正反対の方向へ向かいます。メシアが旧姓を達成し給うた方法は、その最たるものでした。

 神がその意思を世界中に伝えたいと望み給うとき、やはり人の考えと正反対のことをなさいます。神は高位聖職者や政治的指導者ではなく、名も無き平民の子供たちを選び給い、そのような子供たちに対してキリストや聖母の出現が起こるのです。大人の心は頑(かたく)なで、神の声に聴き従うことができませんし、そもそも神の声が耳に届くことさえないと思われます。これに対して子供たちには神の声が良く聞こえます。子供たちの純粋な心は、我執(がしゅう)も計算も無く、素直に神に聴き従います。それゆえ神は大人にではなく、常に子供に語りかけ給います。まさにイエスが「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と語られた通りです。

 子供たちが飼うは、キリスト者の象徴です。神は名も無き子供たちを、世界を導く霊的な羊飼いとして選び、聖母を遣わし給いました。本品の浮き彫りにはわれわれ自身の姿も彫られています。俗人も聖職者も、われわれ大人はみな子供たちと共に浮き彫りにされた羊であり、羊飼いの子供たちに導かれるべき存在です。




(上) Paolo Veronese,."Battaglia di Lepanto", 1572/3, olio su tela, 169 x 137 cm, Gallerie dell'Accademia, Venezia


 本品のいずれの面においても、ファティマの聖母は右手首にロザリオを掛けています。ファティマの子供たちが幻視した聖母がどのような姿であったのか、余人にはわかりません。また本品メダイは二十世紀半ばの作品ですので、聖母の手首のロザリオは現代のものと同じく五連のロザリオとして表されています。しかしながら昔の聖画に描かれる聖母は、ときに十五連のロザリオを手首にかけています。


 十三世紀末に興ったオスマン帝国は 1453年にコンスタンティノープルを攻略して東ローマ帝国を滅ぼし、十六世紀に最盛期を迎えました。当時のオスマン帝国は地中海やバルカン半島をはじめ、全方位に拡張を続ける最強の帝国でした。強大なオスマン帝国を前にして、ヨーロッパのキリスト教世界は危機感を強めました。

 オスマン帝国は 1570年にキプロスを奪い、さらに全地中海の制海権を狙いました。ローマ教皇領、スペイン王国をはじめとするキリスト教諸国の艦隊は、1571年10月7日、レパント沖のイオニア海でこれを迎え撃ち、大きな勝利を収めました。オスマン帝国はレパントの海戦に大敗しても衰退したわけではありませんが、全地中海の制海権を握る野望は諦めざるを得ませんでした。

 レパントの海戦を前に、教皇ピウス五世(Pius V, 1504 - 1566 - 1572)はカトリック信徒に対し、聖母の執り成しを得るためにロザリオを祈ることを求めました。海戦の勝利を受けて、教皇グレグリウス十三世(Gregoruis XIII, 1502 - 1572 - 1585)は十月の第一主日をロザリオの聖母の祝日と定めました。後になって、ロザリオの聖母の祝日はレパントの海戦と同じ十月七日に固定されました。





 当初、ロザリオは天使祝詞十回を一連とし、連と連の間に一回の主の祈りを挟み、これを十五回同じように繰り返して祈られていました。しかるにピウス五世は、これまで同質的に繰り返されていた十五連を三つの玄義に分けました。すなわち最初の五連は喜びの玄義で、イエスの誕生と子供時代を黙想します。次の五連は苦しみの玄義で、イエスの受難を黙想します。最後の五連は栄えの玄義で、イエスの復活とその後の出来事を黙想します。三つの玄義を通じて連の祈り方は同じであり、主の祈りを一回唱えた後に天使祝詞を十回唱え、栄唱で締めくくります。天使祝詞を繰り返すことで、祈る人の心は聖母の御心と重なり合い、救い主イエスへと導かれます。





 この浮彫に表されているように、ファティマの聖母は灌木の上に出現しました。灌木のような柱状の物の上に聖母が出現したり、聖母像が柱上に安置されたりする例は、ファティマの聖母だけではありません。サラゴサのヌエストラ=セニョラ・デル・ピラル(Nuestra-Señora del Pilar 柱の聖母)はエブロ川の岸辺において、ジャスパーの柱上に出現しました。シャルトル司教座聖堂ノートル=ダム・デュ・ピリエ(Notre-Dame du Pilier 柱の聖母)は、その名の通り、周歩廊北東側礼拝堂の石柱上に安置されています。木の洞(うろ)から見つかったと伝承される聖母像も多くあります。

 聖母が樹木や柱の上に出現し給うとき、その樹木や柱はアークシス・ムンディー(世界軸)が文字通りの細長い「軸」として、視覚的に明瞭な形で形象化されたものと考えられます。世界軸上におられ、自身が世界軸とも成り給うた聖母は、救い主を産み給うた後も天と地を繋ぐ特別な存在であり続け、神の愛を地上に伝える「恩寵の器」として働き給います。視線を斜め下に向けた本品の聖母は、灌木の上に出現し給うた聖母が子供たちを見下ろす姿でもありますが、足元の雲が表すように、天上界から地上に愛のまなざしを注ぎ、罪ある地上の人々を執り成すために神に祈りを捧げる慈母の姿をも表しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。人物の顔の高さは一ミリメートル強ですが、目鼻立ちが整っているのみならず、内面の精神までもが人物の表情に形象化されています。聖母の衣の刺繍や子供たちの衣文(えもん 衣服の襞)、羊毛や草地の質感も手に取るように再現されています。「我はロザリオの聖母なり」(葡 Nossa Senhora do Rosário)という極小の文字が、聖母の光背に刻まれています。


 ルーマニア生まれの宗教学者で、シカゴ大学神学部教授であったミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade 1907 - 1986)は、1957年の著書「聖なるものと俗なるもの ― 宗教的なるものの本質について」(„Das Heilige und das Profane - Vom Wesen des Religiösen“, Rowohlts Deutsche Enzyklopädie, Nr. 31, Hamburg, 1957)において、宗教的人間は神の顕現(独 eine Theophanie)が起こる聖地を支点にして、ウニヴェルズム(独 das Universum 世界)をコスモス化(独 die Kosmisierung)すると論じています。すなわち聖地こそがウニヴェルズムに意味を与えるのです。このような働きを為す聖地を、エリアーデは世界軸(羅 AXIS MUNDI)とも固定点(独 ein feste Punkt)とも呼んでいます。

 聖母はルルドやファティマをはじめ、さまざまな場所に出現し給いました。ファティマはウニヴェルズム(世界)に意味を与える世界軸(固定点)の一つです。さらに言えば、天上から地上に愛のまなざしを注ぎ、世界のあらゆる場所から立ち昇る祈りに応えて罪びとを執り成し給う聖母自身が、世界軸あるいは固定点であるといえます。なぜならば宗教的人間は聖母の執り成しを常に願い、聖母を通して自身の存在を聖化しようとするからです。

 人が生きる世界は、固定点において、至高の存在と関連付けられます。エリアーデはこれを「世界の聖化」(独 die Sakralisierung der Welt)と呼びます。聖化された世界に生きる人は、日々の生活と人生において進むべき方向を示されます。聖化された世界においてこそ、人は真に生きる(すなわち、生きるべき生を自覚して生きる)可能性を得るのです。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらにひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は数十年前に制作された真正のヴィンテージ品ですが、未販売のままフランスのメダイユ販売店に残っていました。それゆえ古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。保管中に他の物品と擦れ合ったらしく、拡大写真では突出部分のわずかな摩滅が判別できますが、肉眼で見る本品は全く綺麗で、制作当時の状態をそのまま留めています。特筆すべき問題は何もありません。下記は本体価格です。





本体価格 24,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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