稀少な名品 ノートル=ダム・ド・ボーラン 「金の聖心の聖母」と五人の子どもたち 優れた細密彫刻のメダイ 16.8 x 11.7 mm


突出部分を含むサイズ 縦 16.8 x 横 11.7 mm

フランス  1940 - 50年代



 1932年11月29日から 1933年1月3日まで、ベルギーにある人口 8,500人ほどの町ボーラン (Beauraing) において、5人の子供たちに聖母マリアが出現しました。ボーランにおける聖母出現はルルドやパリ(バック通り)ほど知られておらず、メダイは稀少ですが、なかでも本品の彫刻は非常に細密で、たいへん優れた出来栄えです。





 メダイの一方の面には聖母の半身像を浮き彫りにし、「ノートル=ダム・ド・ボーラン」(Notre-Dame de Beauraing フランス語で「ボーランの聖母」の意)の文字を刻みます。聖母は子供たちを見守ように微笑みを浮かべています。ヴェールは肩にかかる長さで、頭からは幾条もの細い光線が発出しています。胸には金色の心臓(聖心)が輝いています。金色に輝く心臓は、出現が終わりに近づいた1932年12月29日に両腕の間に見えたもので、ボーランの聖母が「金の御心のおとめ」(Vierge/Notre-Dame au Cœur d'Or) とも呼ばれる由来となっています。





 上の拡大写真は実物の面積を70倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。目を閉じて微笑む聖母の顔は高さ 2ミリメートルに過ぎません。聖母は目鼻立ちが整っているのみならず、すべての子どもたちと罪びとたちに対する愛、わが子イエズスに留まらない母の愛を、優しい表情のうちに表しています。





 一方の面には本品は「聖母の聖心寄宿学校」の山査子(サンザシ)の木に出現した聖母と、聖母を見守る五人の子供たちを浮き彫りにし、下部に「ボーラン」(Beauraing) と記しています。長い衣と長いヴェールを身に着けた聖母は空中に浮かび、子供たちを招くように両腕を広げています。聖母の足下にある雲は、ボーラン聖母が空中に出現したことを表します。





 上の写真は実物の面積を75倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母と子供たちのみならず、山査子の枝振りや繁った葉の様子、寄宿学校の柵までもが、非常に細かい�ミニアチュール彫刻によって実物どおりに再現されていることがわかります。


(上・参考画像) ボーランの寄宿学校 古い絵葉書から




 下の写真は実物の面積を 850倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。子供たち、すなわち15歳の少女フェルナンド・ヴォワザン (Fernande Voisin)、13歳の妹ジルベルト (Gilberte)、11歳の弟アルベール (Albert) 、14歳の少女アンドレ・ドジャンブル (Andrée Degeimbre)、アンドレの9歳の妹ジルベルト (Gilberte) は、敬虔な面持ちで聖母に視線を注いで跪き、思わず手を合わせています。子供たちの頭部や合わせた手の大きさは 1ミリメートルに満ちませんが、一人ひとりの姿は大型の彫刻作品と変わらない丁寧さで浮き彫りにされています。背景にある山査子の葉叢(はむら 葉の集まり)も、写実的な立体性を以て表現されています。





 ボーランの聖母の出現後にあたる 1933年から1935年までは、イエズスの愛を記念する「購いの聖年」とされました。しかしながら聖年が始まった 1933年にはヒトラー内閣が成立し、1935年3月16日にヒトラーはドイツの再軍備を宣言します。同年9月15日にはニュルンベルクにおけるナチ党大会でニュルンベルク法 (die Nürnberger Gesetze) が制定されてナチのハーケンクロイツ(鉤十字旗)が正式のドイツ国旗となり、ユダヤ人に対する本格的な迫害と絶滅政策が始まります。

 第二次世界大戦当時、ボーランがあるベルギーは中立国でしたが、1940年5月10日、ドイツ軍はベルギーに侵攻しました。激しい戦闘の末、5月28日、ベルギー軍は数千名の戦死者を出して降伏し、ドイツはベルギーを通ってフランスに攻め込みます。イエズス・キリストと聖母の願いである愛による世界支配とは正反対の、憎しみによる世界支配が間もなく実現し、未曾有の規模の大戦が始まる前夜に、聖母はボーランに現れ給うたのです。


 ボーランに出現した聖母は「無原罪のおとめ」(la Vierge Immaculée) と名乗り、子供たちに「良い子でいなさい。よく祈りなさい。」と言いました。1933年1月3日、最後の出現の際、聖母はフェルナンドに「私の息子を愛していますか」と尋ね、フェルナンドが「はい」と答えると、聖母は「私を愛していますか」と尋ねました。フェルナンドがふたたび「はい」と答えると、聖母は「私のために自身を捧げなさい」と言い、姿が見えなくなりました。

 1945年8月15日、聖母被昇天の大祝日に、日本がポツダム宣言を受け容れて無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。1945年に五人の子どもたちは 21歳から 27歳の若者となります。新しい時代を作る世代の子どもたちが、神の御心に耳を澄ませて、神と人を愛する大人になることを、聖母は望み給うたのです。





 聖母出現を記念して制作されたメダイのなかでも、「不思議のメダイ」や「ルルドの聖母のメダイ」は多くの種類があり、品数も豊富ですが、「ボーランの聖母のメダイ」は非常に稀少で、めったに見つかりません。なかでも本品の浮き彫りは常人に想像できないほどの細密さで制作されており、小さなサイズの信心具ながらも、メダイユ芸術の大国であるフランスならではの優れた工芸品に仕上がっています。

 本品は数十年前に制作された真正のヴィンテージ品にもかかわらず、突出部分にも磨滅はほとんど無く、きわめて良好な保存状態です。小さめのサイズは常に愛用しても邪魔にならず、どのような服装にもよく合います。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




ボーランの聖母のメダイ 商品種別表示インデックスに戻る

各地に出現した聖母のメダイ 一覧表示インデックスに戻る


各地に出現した聖母のメダイ 商品種別表示インデックスに移動する

聖母マリアのメダイ 商品種別インデックスに移動する


メダイ 商品種別インデックスに移動する


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS