稀少品 リュドヴィク・ペナン、ジャン=バティスト・ポンセ作 「聖なる師父ベネディクトゥスの十字架」 ゴシック式大型メダイ 直径 32.4 mm


突出部分を除く直径 32.4ミリメートル  最大の厚さ 3.8ミリメートル

重量 14.1グラム


フランス  十九世紀末から二十世紀初頭



 西ヨーロッパの修道制度の創始者として、中世以降のキリスト教史に大きな足跡を残した聖人、ヌルシアのベネディクトゥス (St. Benedictus de Nursia, c. 480 – c. 547) のメダイ。十九世紀フランスを代表するカトリックのメダイユ彫刻家、リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)の意匠に基づき、ブロンズを用いて鋳造した大型の作品で、32.4ミリメートルの直径、3.8ミリメートルの厚さを有します。本品の重量 14.1グラムは五百円硬貨二枚分強に相当し、手に取ると心地よい重みを感じます。





 表(おもて)面には、カドリロブ(四つ葉型)と正方形を合わせたゴシック様式の枠内に、マンドルラ型(紡錘形)の内枠で龕(がん)を模(かたど)り、聖ベネディクトゥスの全身像を浮き彫りにしています。剃髪し修道衣を着た修道院長聖ベネディクトゥスは、右手に長い十字架、左手に聖ベネディクトゥス会則を持ち、前方をしっかりと見据えて立っています。聖人の向かって左には、修道院長のミトラ(司教帽)と牧杖が刻まれています。紡錘形の枠にはラテン語で「聖なる師父ベネディクトの十字架」(羅 CRUX SANCTI PATRIS BENEDICTI)と書かれています。

 足許の向かって右側には、毒入りのパンを咥えたカラスが刻まれています。伝説によると、聖人を妬む者が聖人のパンに毒を入れましたが、烏がそれを咥えて遠くに捨てたことで、聖人は難を逃れました。

 その右側には十字と杯、杯から這い出す毒蛇が彫られています。伝説によると、聖ベネディクトゥスに敵対する者が聖人の飲み物に毒を入れたのですが、聖人が十字を切ると、杯が粉々に砕けたと伝えられています。


 修道院長聖ベネディクトゥスは堂々たる体躯の威厳ある人物として表され、両足をしっかりと踏みしめて立っています。その立ち姿はマンドルラ型内枠の縦いっぱいに彫られているため、あたかも天地を繋ぐように見えます。

 聖ベネディクトゥスは六世紀、すなわち千数百年前に生きた人であり、どのような容姿の人物であったのかが分かる肖像画等は残っていません。実際のところは小柄な人物であったかもしれませんし、厳しい戒律にしたがって生きた修道士ですから、きっと痩せていたことでしょう。それにもかかわらず聖ベネディクトゥスは、その後の西ヨーロッパ史に深い影響を及ぼした精神的巨人であるゆえに、この作品において堂々とした人物に描かれています。これはメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナンによる創意であり、このメダイが信心具としての定型を守りつつも、本来目に見えない「信仰の強さ」や「精神的偉大さ」の可視化、形象化として、芸術の名にじゅうぶん値する作品であることを示しています。





 メダイの最下部、カドリロブと正方形を組み合わせたゴシック枠の外側に、リュドヴィク・ペナンの名前(PENIN)に加えて、ジャン=バティスト・ポンセの名前(PONCET)が見られます。

 リュドヴィク・ペナンは十九世紀前半以来四世代にわたってメダイユ彫刻家を輩出したリヨンのペナン家の一員で、正統的で重厚な作風により知られています。弱冠三十四歳であった1864年、当時の教皇ピウス九世により、カトリック教会の公式メダイユ彫刻家(仏 graveur pontifical)に任じられましたが、惜しくもその四年後に亡くなりました。

 早逝の芸術家リュドヴィク・ペナンは1870年代からアール・ヌーヴォーに至る時代を知らずに亡くなったわけですが、リュドヴィク・ペナンの作品は、三歳年上の同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)の手によっていわば「現代化」され、1870年代以降においても愛され続けました。ジャン=バティスト・ポンセは画家でもあり、メダイユ彫刻家でもある人で、ペナンに比べて都会風に洗練された典雅な作風が特徴です。ペナンの没後にポンセが手を加えて「現代化」した作品は、信心具としてのメダイによく見られ、"PENIN PONCET", "P P LYON" 等、ふたりの名前が併記されています。本品にも二人の名前が併記されています。

 ただし本品は、意匠の点でもサイズの点でも、当店で以前扱ったことがあるリュドヴィク・ペナン単独のサインが入った作品と全く同じです。本品は鋳造によって制作された本格的な作りのメダイユですが、もしかするとリュドヴィク・ペナン存命中の鋳型が破損または逸失して、ジャン=バティスト・ポンセが寸分違わない鋳型を作り直したのかもしれません。





 メダイ裏面に書かれた文字が何を表すのか、長い間謎でしたが、1415年の写本が1647年にバイエルンのメッテン修道院で発見され、その意味が明らかになりました。まず、十字架上のイニシアル9文字が表すのは次の言葉です。

  CRUX SACRA SIT MIHI LUX. NUNQUAM DRACO SIT MIHI DUX.  聖なる十字架が我が光であるように。竜(悪魔)が我が導き手となることが決して無きように。

 メダイの上部のギリシア文字「イオタ・エータ・シグマ」(IHS)は、ギリシア語「イエースース」(イエス)を表します。周囲のイニシアルが表すのは次の言葉です。

  VADE RETRO SATANA. NUNQUAM SUADE MIHI VANA. SUNT MALA QUAE LIBAS. IPSE VENENA BIBAS.  退けサタン。虚しき事で我を誘うな。汝が我に与うるは悪しき物なり。汝自身が毒を飲め。

 十字架の背景にある四文字のイニシアル C. S. P. B. は「聖なる師父ベネディクトの十字架」(CRUX SANCTI PATRIS BENEDICTI)を表します。メダイユの下部に彫刻家ふたりの署名(PENIN, PONCET)があります。





 メダイユの制作方法には、「打刻」と「鋳造」の二通りがあります。「打刻」は貨幣のように大量の製造が必要である場合の方法で、19世紀フランスのブロンズ製メダイは、大抵の場合、打刻によって作られています。「打刻」はスクリュー・プレスを使って効率的に作業を進めることができますが、浮き彫りの立体性は得られません。

 これに対して「鋳造」によるメダイユの場合、「打刻」のメダイユよりもいっそう芸術的完成度が高い鋳型を彫刻する必要があります。また融けた金属を鋳型に流し込み、冷えるのを待って取り出したメダイユは、やすりがけや彫金、薬品による表面処理等の工程を経て、ようやく完成に到ります。したがって「鋳造」によるメダイユ制作にはたいへんな手間がかかりますが、芸術的完成度が高い作品を制作することが可能です。

 上の写真はルルドの聖母のメダイ(24.4 x 15.6ミリメートル、重量 1.6グラム)を本品の上に載せて撮影しています。このルルドのメダイは本品とほぼ同時期のフランスで、打刻によって制作された品物です。その下にある重厚なメダイユが本品(直径 32.4ミリメートル、重量 14.1グラム)で、鋳造により制作されています。二点を比較すると、上のメダイが純然たる信心具であるのに対して、本品はれっきとしたメダイユ芸術の作品であることがよくわかります。





 本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、聖人の表情をはじめとする細部まで、制作当時のままの状態でよく残っています。保存状態は全体的にきわめて良好で、特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何ひとつありません。ポンセの名前を入れつつも、十九世紀半ばにリュドヴィク・ペナンが制作したままの状態を伝えるメダイユであり、十九世紀のフランスを後世に伝える美しい作品です。





本体価格 32,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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