リュドヴィク・ペナン作 忘恩と反逆のフランスに回心を求めるイエズス ゴシック様式による美術品レベルのメダイユ 直径 32.6 mm


突出部分を除く直径 32.6 mm  最大の厚さ 3.5 mm  重量 12.0 g

フランス  1860年代



 いまからおよそ百五十年前、19世紀半ばのフランスで、高名なメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナンにより制作されたブロンズ製大型メダイユ。わが国で「メダイ」として知られている小さなメダイユと同様に信心具としての側面を持ちつつも、本格的な美術品レベルの芸術的完成度を誇る名品です。





 一方の面には、多数の小さな十字架を背景に、人智を絶した神の愛によって罪人を赦し招くイエズス・キリストの上半身を、立体的な浮き彫りで表しています。イエズスは左手で聖心を示し、右手を前に差し伸べて罪人を招いていますが、その両手には痛々しい釘の傷があります。イエズスの胸で愛の炎を噴き上げ、強烈な光輝を発する聖心は、十字架を突き立てられ、茨の冠に取り巻かれ、槍で刺し貫かれています。両手と聖心の痛々しい傷は、聖心から吹き上がる炎、発出する光とともに、神の愛の視覚化に他なりません。





 本品において、リュドヴィク・ペナンは図像学的伝統を踏襲し、定型的な姿勢を取る「聖心を示すイエズス」像を制作していますが、イエズスの表情はこの作品独自のものです。すなわち聖心を示すイエズスは、神々しい威厳を感じさせる表情の作品や、ひたすら柔和な表情の作品など、彫刻家によってさまざまな表現が為されていますが、リュドヴィク・ペナンがこのメダイユに彫ったイエズスは、愛に溢れつつも悲しげな表情をしています。

 イエズスが悲しみ、落胆し、ときには涙を流されたことは福音書にも記録されています。「ルカによる福音書」17章11節から19節には次のような記述があります。引用は新共同訳によります。

 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」



 「重い皮膚病」は古い訳であれば「らい病」と訳されていますが、これはハンセン氏病を含む多様な疾患のことです。聖書の「重い皮膚病」「らい病」とは外見的な症状のみを意味する用語法ですので、なかには伝染しない病気も含まれていたはずですが、医学が未発達であった古代においては、重篤な症状が皮膚に現れる病気は非常に恐れられ、「重い皮膚病」の患者は社会から厳しく隔離、排除されました。「レビ記」13章は病気の診断基準と患者に対する措置、同14章は清めの儀式について記述しています。上の引用箇所にある「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」とのイエズスの言葉は、「レビ記」の規定に基づく検査のことを言っています。

 「重い皮膚病」に限らず、当時は宗教的な「罪」がさまざまな病気となって現れると考えられていました。福音書にはイエズスがさまざまな病気を癒し給うたことが記録されていますが、それらは単なる病気治療ではなくて、イエズスが「罪を赦す権威」を持つことを示していたのです。


(下・参考画像) 「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」 クラウバーによる1740年頃のコッパー・エングレーヴィング 152 x 92 mm アウグスブルク 当店の商品です。




 「ルカによる福音書」によると、10人の皮膚病患者が、イエズスが通られることを知って駆けつけました。重い皮膚病にかかると一般人の間に住むことができませんでしたから、この10人は村から離れたところで共同生活をしていたのでしょう。10人のうちの一人はサマリア人で、あとの9人はおそらく全員がユダヤ人でした。イエズスはこの10人を癒し給いましたが、神を賛美しながらイエズスに感謝したのはサマリア人だけでした。神の選民であるはずのユダヤ人は、イエズスによって罪を赦されて救いを得たにもかかわらず、その恩を忘れて感謝しなかったのです。

 イエズスは9人の忘恩に怒って罪の赦しを取り消すことはなさいませんでした。ただ、神への感謝を忘れた選民たちに、ひどく落胆されました。イエズスがこのときどのような表情をされたか、ルカは記録していませんが、きっと深い悲しみを表情に表し給うたことでしょう。イエズスはこの出来事が起こる少し前、「ルカによる福音書」13章34節において、次のように嘆いておられます。

 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。



(下・参考画像) 小聖画「街を見て嘆くキリスト」 111 x 71 mm フランス 1925年  同時代(1920年代)のフランスの街並みが描かれています。当店の商品。





 リュドヴィク・ペナンが本品に刻んだイエズス像がその表情に愛と悲しみを浮かべている理由を知る鍵となるのは、このメダイユの制作年代です。


 リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) は 19世紀前半以来四世代にわたってメダイユ彫刻家を輩出したリヨンのペナン家の一員です。豊かな才能を認められ、弱冠34歳であった1864年、当時の教皇ピウス9世により、カトリック教会の公式メダイユ彫刻家 (graveur pontifical) に任じられましたが、惜しくもその4年後に亡くなってしまいました。

 早逝の芸術家リュドヴィク・ペナンは1870年代からアール・ヌーヴォーに至る時代を知らずに亡くなったわけですが、リュドヴィク・ペナンの作品は、三歳年上の同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) の手によっていわば「現代化」され、1870年代以降においても愛され続けました。ジャン=バティスト・ポンセは画家でもあり、メダイユ彫刻家でもある人で、ペナンに比べて都会風に洗練された典雅な作風が特徴です。ペナンの没後にポンセが手を加えて「現代化」した作品は、信心具としてのメダイによく見られ、"PENIN PONCET", "P P LYON" 等、ふたりの名前が併記されています。





 このメダイのイエズス像は、カドリロブ(quadrilobe 四つ葉形)と正方形を組み合わせたゴシックの枠に囲まれていますが、この枠のすぐ外、メダイの下端近くにフランス語で「リヨンのL. ペナン」(L. PENIN à Lyon) とのみ記されています。それゆえ本品はリュドヴィク・ペナンの生前、1860年代頃に制作された物であることが分かります。

 1860年代のフランス・キリスト教界における大きな出来事として、1864年9月18日、教皇ピウス9世により、マルグリット=マリ (Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) がローマで列福されたことが挙げられます。しかるにこの三年後、1867年8月に発行された信心書「イエズスの聖心のおとずれ」(Le Messager du Sacré Coeur de Jesus) 第12号において、この聖女の「第98書簡」が公表されました。この書簡によって、1689年に聖女に出現したキリストが、聖女の仲立ちにより、当時の国王ルイ14世に聖心の崇敬を命じたこと、それにもかかわらずフランスはキリストの言葉に従わなかったことが明らかになりました。


(下) 聖心を示すキリストと、聖マルグリット=マリ。19世紀のクロモリトグラフィ。当店の商品です。




 ルイ14世の父であるルイ13世は、ルイ14世が生まれたときにフランスを聖母に捧げました。聖母に捧げられたフランスは、本来「教会の長姉」、すなわち神の選民にも比すべきカトリックの守護者であるはずなのに、ルイ14世のフランスはキリストの言葉に従うことを拒みました。マルグリット=マリに啓示が為されたときからちょうど百年後、1789年の聖心の祝日(6月17日)に、フランスでは第三身分が国民議会を結成し、反キリスト教的、反教会的なフランス革命が本格化しました。大勢の聖職者た修道者たち、さらには国王と王妃までもが処刑されたこの革命で、フランスは大きな混乱に陥りました。

 神は旧約時代に、堕落した人間をノアの洪水で滅ぼし(創世記6章から9章)、傲慢になった人間が築いたバベルの塔を崩し給いました(創世記 11: 1 - 8)。革命をはじめ、フランスを襲った災厄は、ノアの洪水やバベルの塔の故事と同様に、神がフランスを罰し給うたものと、当時の人々の眼には映りました。


 それゆえ 1860年代のフランスでは、マルグリット=マリへの啓示が公開されたいまこそが悔悛のときであると思われました。フランスが神への忘恩を悔い改め、国民が犯し続けてきた罪を償うことこそが、フランス国民の務めであると考えられ、「イエズスへの償い」を中心的テーマとする「聖顔」への崇敬、及びイエズスの聖心への信心が盛んになりました。


(下・参考画像) 聖顔の聖テレジア アール・デコの小さなメダイ 22.0 x 16.0 mm フランス 1920年代後半頃 当店の商品です。




 威厳に溢れるイエズス像でもなく、愛のみを表すイエズス像でもなく、愛と悲しみの表情を浮かべたイエズス像をリュドヴィク・ペナンが本品に彫ったのには、以上のような時代背景があります。「スカプラリオのメダイ」は多数の彫刻家がさまざまな作例を残していますが、本品のイエズス像には、メダイが制作された時代と場所、1860年代フランスの精神状況が色濃く影響しているのです。









 もう一方の面には、グスマンの聖ドミニコシエナの聖カタリナロザリオを与える聖母子を浮き彫りにしています。聖人たちの後ろに立つ天使は、聖母子への捧げものを運んできています。

 聖母子の足下には、聖母を象徴する花である薔薇で編んだ花環が、聖母への捧げものとして置かれています。薔薇の花輪はラテン語で「ロサーリウム」(ROSARIUM) といいますが、「ロサーリウム」はイタリア語「ロザリオ」(rosario)、フランス語「ロゼール」(rosaire) 等の語源です。ドイツ語ではロザリオを「ローゼンクランツ」(Rosenkranz) といいますが、これも「薔薇の花環」の意味です。

 聖母に執り成しを求める祈りの言葉が、メダイの下部にフランス語で記されています。

Reine du Très Saint Rosaire, priez pour nous..  いとも聖なるロザリオの女王よ、われらのために祈りたまえ。


 「ロザリオの聖母」、あるいはロザリオを手渡す聖母子を主題にした絵画の構図には、画家によっていくつものヴァリエーションがあります。いくつかの作品を示します。


(下・参考画像) Albrecht Dürer (1471 - 1528), "Das Rosenkranzfest", 1506, Öl auf Pappelholz, 162 x 194,5 cm, Nationalgalerie Prag




(下・参考画像) Lorenzo Lotto (c 1480 – c. 1557), "Madonna del Rosario", 1539, 389 x 264 cm




(下・参考画像) Giorgio Vasari (1511 - 1574), "Madonna del Rosario", Cappella Bardi in Santa Maria Novella, Firenze




(下・参考画像) Jacopo Vignali (1592 - 1664), "Madonna del Rosario"




 「ロザリオの聖母」の聖地として知られる「ポンペイの至聖なるロザリオの聖母のバシリカ」(Santuario della Beata Vergine del Rosario di Pompei イタリア、カンパニア州ナポリ県)の有名な聖画は、画面奥の高い所にロザリオを差し出す聖母子を、一段低い位置に聖ドミニコと聖カタリナを描いており、本品にリュドヴィク・ペナンが彫ったのと同様の構図になっています。


(下・参考画像) 「ポンペイの至聖なるロザリオの聖母のバシリカ」にある奇蹟の聖画 《ロザリオの聖母》





 本品に美術品としての価値があるのは浮き彫り彫刻の優れた出来栄えのゆえですが、この出来栄えにはメダイユの制作方法も大きく関係しています。


 メダイユの制作方法には「打刻」と「鋳造」のふたつがあります。「打刻」は貨幣のように大量の製造が必要である場合の方法で、凹凸の無い金属片に金属の打ち型をあてがい、強い力で打ちつけることによって金属片に凹凸の文様を付けます。「打刻」による制作は効率的である半面、浮き彫りの立体性は劣ります。また厚みのある作品や大きな作品を作ることはできません。

 一方、「鋳造」はまず最初に、蝋や漆喰に浮き彫りを施して、メダイユの表(おもて)面用及び裏面用の原型を制作します。次に原型を元にして、テラコッタやゲッソ(石膏とチョークの混合物)で鋳型を作ります。最後にふたつの鋳型を合わせて、融けた金属を流し込み、金属製メダイユを鋳造します。鋳型から取り出したメダイユは、やすりがけや彫金、薬品による表面処理等の工程を経て、ようやく完成に到ります。


 古代以来の貨幣はほとんどが「打刻」によって作られたのに対し、美術メダイユの祖と見做されるルネサンス期の芸術家ピサネッロは、「鋳造」によってメダイユを制作しました。フランスに伝わったメダイユ彫刻は、アンシアン・レジーム期に「打刻」が大勢を占るようになりましたが、メダイユ芸術を愛好したナポレオン以降、「鋳造」による美術メダイユの制作が再び盛んになりました。

 このような経緯により、19世紀のフランスでは「鋳造」によって立派な美術メダイユが多く制作されました。しかるにその一方で、わが国で「メダイ」と呼ばれている「信心具としてのメダイユ」は、19世紀においては「打刻」によるものがほとんどでした。


 本品は1860年代のフランスで制作された作品ですが、「打刻」ではなく「鋳造」されています。下の写真は19世紀のフランスに多い「打刻」による聖母のメダイを、本品の上に重ね合わせて撮影しました。直径だけでなく。厚みの違いが際立っています。






 本品は19世紀フランスの美術史上に名を遺した夭折の彫刻家、リュドヴィク・ペナンの作品で、その出来栄えは信心具と言うよりもむしろ美術品の域に達しています。サイズの点でも、突出部分を除く直径が 32.6ミリメートル、最大の厚さが 3.5ミリメートル、重量が 12.0グラムと、かなり大きめです。12グラムの重量は五百円硬貨二枚分に近く、手に取ると心地よい重みを感じます。

 この時代のメダイはほとんどが打刻によって製作された小型の品物であり、民衆のための信心具以上のものではありません。しかしながら本品は例外的に鋳造により、それらよりもはるかに立派なサイズに制作され、美術品レベルのメダイユ彫刻と同様の丁寧さで美しく仕上げられています。同時代の他のメダイと比べて、本品の芸術的水準は群を抜いて優れており、この時代のフランスのカトリック・メダイユ彫刻を代表する秀作のひとつとなっています。


リュドヴィク・ペナン作 「聖セシリア」 小さな美術メダイユ 当店の商品です。


 保存状態に関しても、本品はおよそ150年前に制作された真正のアンティーク品にかかわらず、それほどまでに古い年代のものとは俄(にわ)かに信じ難い良好なコンディションです。突出部分の小さな疵(きず)や摩耗は拡大写真でしか分からない程度で、細部までほぼ完全な状態で残っています。





35,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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