極稀少品 見事な浮き彫りの大型メダイ 《シラクサの涙の聖母 マドンニーナ・デッレ・ラクリメ》 聖母への愛を込めた佳作 最初期の優れた作例 直径 28.3 mm


突出部分を除く直径 28.3 mm

フランス  1955年頃



 シラクサで涙を流した奇跡の聖母像、マドンナ・デッレ・ラクリメ(伊 Madonna delle Lacrime 涙の聖母)の美しいメダイ。五百円硬貨よりもひと回り大きいサイズです。本品は「涙の聖母」をテーマにした最初期のメダイで、銀色のめっきが剥がれて真鍮の金色が露出し、古い品物ならではの温かみを醸しています。





 いまからちょうど六十五年前、1953年8月29日から 9月1日にかけて、南イタリア、シチリア島の中心都市シラクサで、聖母の小像が涙を流し、その涙に触れた三百名の病気が快癒するという奇蹟が起こりました。涙を流した聖母像は「マドンナ・デッレ・ラクリメ」(Madonna delle Lacrime イタリア語で「涙の聖母」)と呼ばれ、シラクサに建設された大きな聖堂(Basilica Santuario Madonna delle Lacrime 涙の聖母のバシリカ)に安置されています。

 本品の一方の面には、涙を流したマドンナ・デッレ・ラクリメと同じ聖母像が、立体的な浮き彫りによって表されています。マドンナ・デッレ・ラクリメの実物は自立する丸彫り像(完全な三次元性を有する像)ではなく、漆喰による浮き彫り像です。本品の聖母像には大きなサイズゆえの迫真性が備わるのみならず、浮き彫りという表現様式が実物のマドンナ・デッレ・ラクリメと共通しており、涙を流し給うた実物の聖母像を髣髴させます。

 本品の聖母像は、実物のマドンナ・デッレ・ラクリメと同様、胸に見える心臓(聖母の汚れなき御心)に両手を添えて祈りつつ、はらはらと涙を流しておられます。聖母の胸で炎を噴き上げ、眩い光輝を発出する心臓は、神とイエスに向けられた燃ゆるが如き愛の形象化です。





 聖母が涙を流しておられるのには、いくつかの理由が考えられます。これが悲しみの涙であるとすれば、その理由の第一は、イエスの受難を悲しんでおられるのでしょう。イエスの受難は二千年も前の出来事で、しもそののちイエスは復活し給うたではないか、と不審に思われる方もあるかもしれません。しかしながらカトリックの信仰では、全世界の教会や修道院をはじめ、人が集まるところで日々行われるミサにおいて、イエス・キリストがその度ごとに受難し給います。

 ミサとは全燔祭(希 ὁλόκαυστος 生贄を焼き尽くす祭儀)に他ならず、神の子羊であるイエス・キリストの聖体(羅 CORPUS CHRISTI コルプス・クリスティ、キリストの御体)は、ミサの度に燔祭の贄(にえ)となり給います。ミサは歴史上の出来事の記念ではなく、象徴でもありません。ミサにおいて、キリストはレアリテルに(羅 REALITER 名目上ではなく物として、実際に、現実に)受難し給うのです。したがってイエス・キリストの受難は歴史上の出来事ではなく、現在も進行中であり、聖母も日々悲しみの涙を流しておられます。





 聖母が悲しみの涙を流し給う第二の理由は、人々の苦しみと悲しみに寄り添い給うゆえです。聖母は女神ではなく人間の女性ですが、救い主の母として選ばれるに足りるその信仰は、普通の人には及ぶべくもありません。少女マリアは受胎告知の際に、「お言葉どおり、この身に成りますように」(「ルカによる福音書」一章三十八節)と答えました。これは受難直前のイエスが「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(「マルコによる福音書」十四章三十六節、他)と祈り給うたのと同じ言葉です。マリアの祈りとイエスの祈りの同質性は、マリアの心が神とイエスに一致していることを示します。心は心臓を以て形象化されるゆえに、マリアの汚れなき御心の図像は、イエスの聖心とそっくりに描かれます。

 イエスの受難は世の人々の罪ゆえであり、イエスは御自身を十字架に付けようとする人々のためにさえ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(「ルカによる福音書」二十三章三十四節)と祈り給いました。聖母の心はイエスと完全に一致しているゆえに、聖母もまた、イエスと同様に、イエスを十字架に付ける罪びとたちのために祈り給います。しかるにイエスはいまもミサの度毎に受難しておられます。したがって聖母もまた、現代の世界に生きる人々に寄り添い、その苦しみと悲しみを分かち合って涙を流しておられるのです。




(上) 普仏戦争とパリ・コミューン フランスの不信仰と破滅を嘆くラ・サレットの聖母 悔悛のガリアのカニヴェ (シャルル・ルタイユ 図版番号 408) 123 x 80 mm フランス 1877年 当店の商品です。


 聖母が悲しみの涙を流し給う第三の理由は、人々に悔悛を求めておられるからです。憐みの聖母は人々に寄り添い、母が子を無条件に愛して敵うように、マントの下に人々の罪を庇い給います。しかしながらそれは聖母が人々の罪を是認しておられるということではありません。聖母は人々の罪を悲しみ、罪ゆえに苦しみ罰せられる人々を見て悲しんでおられます。ラ・サレットの聖母は、子供たちに出現したとき、両手で顔を覆って泣いておられました。マドンナ・デッレ・ラクリメはノートル=ダム・ド・ラ・サレットと同じ涙を流しておられます。




(上) アンティーク小聖画 「神の子羊イエズス・キリスト」 詩篇40篇 7, 8節 105 x 70 mm 多色刷り石版に金彩 フランス 1905年 当店の商品です。


 人は嬉しいときにも、幸福の涙を流します。マドンナ・デッレ・ラクリメの御像は優しい微笑みを浮かべています。それゆえマドンナ・デッレ・ラクリメの涙は悲しみの涙であるばかりでなく、幸福の涙、喜びの涙でもあると考えられます。

 幸福の涙、喜びの涙は、自分が愛されていると知ったときに流れます。聖母の喜びの涙は、聖母自身が神に愛され、選ばれた幸福の涙です。このことに加えて、人々に寄り添い給う聖母は、人々の幸福ゆえに喜びの涙を流し給います。すなわち人々の罪にもかかわらず、神は人々を愛し、キリストは燔祭の生贄となって人々の罪を贖い給いました。聖母の涙は人々の罪が贖(あがな)われた喜びゆえに流されています。またマドンナ・デッレ・ラクリメへの祈りによって、或る者は身体の病から癒され、或る者は心の病から癒され、或る者は心に揺るぎない平和を得ました。人々に寄り添い給う聖母は、神と救い主に愛されているゆえに、また神と救い主への愛と信仰ゆえに、心身の癒しや心の平和を得た人々の喜びをわが喜びとして、涙を流しておられるのです。





 聖母が人々に寄り添い給う一方で、当時のシチリアの人々、イタリアの人々、全世界のカトリック信徒のほうでも、あたかも幼児が母を慕うよう、聖母を慕っています。

 幼児が母に甘えるようなマドンナ・デッレ・ラクリメへの愛は、聖母を囲む言葉にも表れています。本品には「マドンニーナ・デッレ・ラクリメ 1953年8月29日 シラクーザ」(伊 MADONNINA DELLE LACRIME 29, 8, 1953 SIRACUSA)と書かれています。この「マドンニーナ」(Madonnina)とは、「マドンナ」(Madonna)の語尾を縮小辞(-ina)に替えた形です。縮小辞は指小辞とも呼ばれ、小さいもの、愛らしいものを表す名詞の語尾として使われる他、親しみを表す際にも用いられます。日本語に譬えて言えば、「マドンナ」が「御母」(おんはは、みはは)というような語感を有するのに対して、「マドンニーナ」は「お母さま」ぐらいに相当します。

 イタリア語「マドンナ」は、「わが女主人」を意味するラテン語「メアム・ドミナム」(羅 MEAM DOMINAM 主格はメア・ドミナ MEA DOMINA)に由来します。これに対して縮小辞「イーナ」(伊 -ina)は俗語、すなわち純然たるロマンス語(イタリア語)です。ラテン語の縮小辞は何通りもありますが(-ULUS -CULUS UNCULUS, -OLUS, -ELLUS)、「イーナ」はその中に含まれません。「マドンニーナ」という語は格式張らない民衆の言葉であって、その呼び方には崇敬よりもむしろ親しみが籠められています。

 本品にはこのように聖母への愛と親しみが明らかですが、高踏的にならずに民衆の気持ちに沿うことで、本品は愛に裏打ちされ、却って高い芸術性を獲得しています。





 写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。

 芸術としてのメダイユ彫刻は、イタリアのピザネッロが始めました。しかしながらその後のメダイユ彫刻は、フランスにおいて最も発達しました。本品はシチリアのシラクサで起きた奇跡を主題にし、イタリア語が刻まれたメダイです。しかしながら聖母の左手(向かって右手)の下方、メダイの縁に近い衣襞の間に、ジ(J)とベ(B)の組み合わせ文字があります。これはフランス西部ソミュール(Saumur ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ・エ・ロワール県)のメダイユ工房ジャン・バルム(Jean Balme)の刻印です。たいへん美しい本品の浮き彫り彫刻には、フランス製メダイユならではの丁寧さが表れています。

 聖母の右手(向かって左手)の下方、メダイの縁に近い部分に、メダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)のサインがあります。語尾からイタリア系の名前であることは分かりますが、はっきりと読み取ることができません。





 本品のもう一方の面には、聖心を示しつつ祝福を与えるイエス・キリストの姿が彫刻されています。キリストが左手を聖心に添える様子は、涙の聖母の右手とそっくり同じです。マドンニーナ・デッレ・ラクリメの御心は聖母の右手に隠れていたので、御心を貫く悲しみの剣やそこから滴る血は隠されて見えませんでした。しかるにこの面のイエスは右手を挙げて祝福を与えておられるゆえに、聖心は手に隠れることなく露出して、上部に突き立てられた十字架、心臓を取り巻く茨、滴る血がよく見えます。我々、すなわち救い主の痛々しいご様子を見る罪びとは、これが自身の罪ゆえであることを知り、聖母とともに涙を流します。





 この面の作者はマドンニーナ・デッレ・ラクリメの面とは異なっており、組み合わせ文字による別のメダユールのサインが、キリストの左肘(向かって右の肘)付近に彫りつけられています。この面の浮き彫りは物理的突出の少ない浅浮き彫りですが、キリスト像は涙の聖母に勝るとも劣らない立体性を以て表現されており、フランスのメダイユ彫刻が到達した高い水準の実例となっています。





 フランスのメダイユ彫刻は、十九世紀に長足の進歩を遂げました。皇帝の権威を高めるために芸術の各分野を動員したナポレオン一世が、メダイユ彫刻の有用性に注目したことが、メダイユ芸術振興の大きなきっかけとなりました。

 初期のメダイユ彫刻は、三次元性を表現するために、浮き彫りの物理的突出に頼りました。しかしながら十九世紀半ば以降になると、物理的突出が大きくないにも関わらず、優れた三次元的効果を有する作品が制作されるようになりました。本品に彫られたキリスト像は、そのような流れに位置付けられる作品のひとつです。





 本品は美術品と呼べる水準に達しながらも、一般の人々が日々身に着ける信心具としての性格を併せ持ちます。

 近現代の彫刻や絵画は純粋芸術を標榜し、オリジナリティーを追求するあまりに、市民の日常生活から高踏的に遊離して、奇を衒(てら)うが如き作品を産み出しがちです。二十世紀半ば以降、純然たる美術メダイユの世界では、十九世紀のように写実的な作品は作られなくなりました。

 これに対して信心具は、普通の人々の人生に寄り添う作品であり、普通の人々の美的感覚に合致して、保守的作風になる傾向があります。本品も二十世紀のものでありながら、良い意味で十九世紀的な作品、すなわち人々の日常生活から純粋芸術を気取って遊離せず、地に足を着けた作品となっています。





 上の写真に写っている定規ひと目盛りは、一ミリメートルです。もう片面のマドンナ・デッレ・ラクリメに比べると、イエスの浮き彫りは凹凸の程度がかなり小さいのですが、像のリアリティはこちらの面が勝っているとも感じられ、たいへん優れた作品です。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 聖母像が涙を流す奇跡は世界各地でよく起こるせいか、わが国ではマドンナ・デッレ・ラクリメを知る人は多くありません。しかしながらシラクサの奇跡は、「聖地のかけら」ともいうべき聖遺物が世界各地に移動し、シラクサに巡礼できない人々の人生にも恩寵をもたらした出来事でした。援けを必要とする者のところに自ら出向き、わが子に寄り添うと同様に寄り添い給うマドンナ・デッレ・ラクリメの働きには、救済の経綸における共働者、聖母マリアの役割がよく現れています。





 本品は六十数年前に制作された品物ですが、特筆すべき問題はありません。商品写真は実物を大きく拡大しており、瑣末な瑕疵が判別できますが、肉眼で写真よりもはるかに美しい作品です。

 マドンナ・デッレ・ラクリメのメダイは数が非常に少なく、滅多に手に入りません。実際のところ、筆者(広川)は長年メダイを扱っていますが、マドンナ・デッレ・ラクリメのメダイを手にしたのは本品が初めてです。もっと小さなサイズの、新しい年代のメダイであれば見たことはあるのですが、本品はシラクサで奇跡が起こったすぐ後に一度限り鋳造された作品と思われ、浮き彫りの美しい出来栄え、丁寧な仕上がり、優れた三次元性、メダイ全体のサイズと厚みの立派さなど、あらゆる点で手放し難い逸品です。





本体価格 35,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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