稀少品 聖心のガルド・ドヌール 大信心会昇格記念の大型メダイ 直径 28.1 mm 1897年


突出部分を除く直径 28.1 mm  最大の厚さ 2.9 mm  重量 7.7 g

フランス  1897年



 フランス南東部ブルカンブレス(Bourg-en-Bresse ローヌ=アルプ地域圏アン県)の聖母訪問会員、マリ・デュ・サクレ=クール修道女(Sœur Marie du Sacré-Cœur 聖心のマリア修道女 1825 - 1903)は、1863年、中央に聖心が輝く時計の文字盤を幻視しました。この幻視をきっかけにして、「聖心のガルド・ドヌール」(la Garde d'honneur du Sacré-Cœur)の信心が始まりました。1864年3月9日、聖母訪問会ブルカンブレス修道院礼拝堂を本部として発足した「聖心のガルド・ドヌール」のコンフレリ(仏 confrérie 信心会)は、1897年6月1日、教皇レオ十三世によってアルシコンフレリ(archiconfrérie 大信心会)に昇格しました。

 本品は「聖心のガルド・ドヌール」が大信心会となった記念に制作されたメダイで、28ミリメートルの直径、約 3ミリメートルの厚さ、7.7グラムの重量があります。五百円硬貨の直径は 26.5ミリメートル、重量は 7グラムですので、本品は五百円硬貨よりもひと回り大きいサイズです。





 一方の面には時計の文字盤を模(かたど)った「聖心のガルド・ドヌール」図を浮き彫りにし、次の言葉で文字盤を取り巻いています。

  Amour ! Gloire ! Réparation ! au Cœur de Jésus  イエスの聖心に愛と栄光と償いを!

 「聖心のガルド・ドヌール」の信心は、一日のうち任意の一時間を予め選び、その時間帯における日々の行動と経験、喜びや悲しみといった感情のすべてをイエスの聖心に捧げます。こうすることにより、ミサの度に日々受難し給うイエスに心を寄り添わせ、イエスと共に喜び、イエスと共に悲しむことができます。またこの信心を通して、他のすべてのキリスト者のみならず、信仰無き者たちの為にさえ、恩寵をもたらす援けになることができると考えられています。この信心が世界中に広まれば、一日のすべての時間帯において、常に誰かがイエスの聖心に寄り添うとともに、他の人々の援けとなり、宣教や平和、地上における神の国の建設に貢献できることになります。





 上の写真は実物の面積を数十倍に拡大しています。ローマ数字の高さ(縦のサイズ)は約一ミリメートル、周囲の文字の高さは二ミリメートル弱、心臓の高さと幅は四ミリメートル強です。実際の臓器のように写実的な聖心(愛を象徴するイエスの心臓)と、突き刺さる槍による痛々しい傷、聖心の上部に燃える炎の舌、一本一本の棘まで表された茨の冠、文字盤を取り巻く五芒星とローマ数字等の細部は、極小のサイズにもかかわらず、すべて形が整っています。超絶技巧とも呼ぶべきグラヴール(仏 graveur メダイユ彫刻家)の技術には感嘆を禁じ得ません。





 救い主イエスがゴルゴタで受難し給う様子を描いた伝統的作品には、聖母マリア、使徒ヨハネ、マグダラのマリアが登場します。本品裏面にも浮き彫りにされているこの三人は、群衆に見棄てられ給うたばかりか、ほとんどの弟子たちにさえ逃げられ給うた救い主イエスに、最後まで寄り添った「ラ・プルミエール・ガルド・ドヌール」(仏 la première garde d'honneur 最初のガルド・ドヌール)です。群像を取り巻くように、次の言葉が刻まれています。

  Archiconfrérie de la Garde d'honneur du Sacré-Cœur, Léon XIII  聖心のガルド・ドヌール大信心会 レオ十三世

 レオ十三世は、1897年6月1日、「聖心のガルド・ドヌール」をアルシコンフレリ(archiconfrérie 大信心会)に昇格した教皇です。したがってレオ十三世の名前が刻まれた本品の意匠は、このメダイユが大信心会への昇格を記念して作られたことを示しています。「聖心のガルド・ドヌール」のメダイはごく限られた機会にしか制作されなかったゆえに入手困難な稀少品です。





 裏面に浮き彫りにされたイエスは既に息絶え、脇腹の槍傷から血をほとばしらせています。十字架を挟んで、イエスの右側(向かって左側)に立っているのは聖母です。聖母の立ち位置は、聖母が天国においてイエスの右の座におられることを表します。聖母が腕を交差して胸に当てているのは、祈りの仕草です。聖母の体は正面向きですが、視線はイエスに注がれています。

 イエスの左側(向かって右側)に立っているのは若き使徒ヨハネです。イエスは死の直前、聖母をヨハネに託し給いました。ヨハネは十字架上のイエスを見つめて祈っています。

 十字架の下にくずおれているのはマグダラのマリアです。マリアがイエスの足に額を押し当てて泣く様子は、長く美しい髪でイエスの血を拭っているように見え、ナルドの香油の出来事を思い起こさせます。





 本品に造形された人物の顔はいずれも直径一ミリメートルほどですが、目鼻立ちが整っているのみならず、瞼の開閉や視線の向きなどが、極限のミニアチュール彫刻によって巧みに表されています。イエスの腕、胴体、脚の筋肉、手指と足指、茨の冠、脇腹からほとばしる血、風で斜めに吹き上げられてめくれたティトゥルス("INRI"という罪状書き)、十字架の木目、三人の衣の手指や襞、ヨハネとマグダラのマリアの髪などもすべて克明に表現されて、最も細かい部分まで全く手を抜いていません。キリストの出来栄えはとりわけ素晴らしく、古典彫刻にも引けを取りません。




(上・参考画像) キリストに身を投げかける悔悛のガリア。背景は 1914年9月4日のドイツ軍による空襲で炎上するランス司教座聖堂ノートル=ダム。当店の商品。


 「聖心のガルド・ドヌール」(Garde d'honneur du Sacré-Cœur)とはフランス語で「聖心の栄誉の守り手」という意味であり、その信心は「聖心への償い」を重要なテーマとしています。また「聖心のガルド・ドヌール」の信心は 1863年3月13日に聖母訪問会修道院で始まり、すぐにパレ=ル=モニアルに伝わりましたが、これは1864年8月19日の小勅書でマルグリット=マリの列福が宣言されるのと同時期に当たります。これらの事実が端的に示すように、「聖心のガルド・ドヌール」は「悔悛のガリア」の精神運動の構成要素と位置付けられます。「聖心のガルド・ドヌール」の信心は、フランス精神史の文脈において、十九世紀半ばという時代に、生まれるべくして生まれた信心であるということができます。

 しかしながらこれは、「聖心のガルド・ドヌール」が博物館や古文書館の資料にのみ残る遺物であるとか、現代において有効性を持たないということではありません。神は何らかの事柄を示すとき、特定の時代と場所を選び給います。しかしながらそれらは他ならぬ神が示し給うた事柄であるゆえに、永続的有効性を有します。その好例は聖書です。旧約聖書はわが国で言えば縄文時代に書かれた書物、新約聖書の最新の部分でさえ弥生時代中期に書かれた書物ですが、いずれも現代人に日々読み継がれ、信仰を涵養しています。「聖心のガルド・ドヌール」の信心もまた、十九世紀半ばのフランスにおいて有効であったのとまったく同様に、二十一世紀の日本においても、いつの時代のどの国においても、人の心をイエスの愛に寄り添わせ、神の恩寵を地上にもたらす信心であり続けています。

 十九世紀の人々は「人類進歩の思想」を信じて疑いませんでした。社会の仕組みと科学技術はどんどん進歩し続け、人間性もまた崇高な高みを目指し続け、戦争や犯罪は無くなり、百年も経てばユートピアが出現すると信じていたのです。しかし実際はどうでしょうか。冷戦が終わった途端、世界の各地で民族浄化や宗教戦争、テロリズムが頻発し、罪なき幼子たちが命を落とし、冷戦時代よりも酷い恐怖と混乱がもたらされています。一日のうち一時間を選んでイエスの聖心に捧げ、イエスに倣うことによって神の国を実現しようとする「聖心のガルド・ドヌール」の信心は、過去の遺物になるどころか、その必要性をいっそう増しているように思えます。





 本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、非常に良好な保存状態です。もともと掛けられていた銀めっきがほとんど剥がれ、露出したブロンズの色が温かみを感じさせます。商品写真は実物の面積を数十倍の面積に拡大しているため、わずかな瑕疵(かし 欠点)が識別可能ですが、本品は突出部分の磨滅もきわめて軽微であり、実物を肉眼で見るとたいへん綺麗です。突出部分のわずかな磨滅は、メダイ全体に優しい丸み、真正のアンティーク品ならではの趣(おもむき)を与えています。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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