リュドヴィク・ペナン、ジャン=バティスト・ポンセ作 「至聖なるロザリオの聖母」「聖家族」 アルミニウム製大型メダイ 直径 32.9 mm


突出部分を除く直径 32.9 mm

フランス  19世紀末から20世紀初頭



 直径 32.9ミリメートルという立派なサイズのアルミニウム製メダイ。アール・ヌーヴォー期、すなわち19世紀末から20世紀初頭のフランスで制作された作例です。





 メダイの一方の面には、「いと尊きロザリオの元后」(Regina sacratissimi Rosarii) の図像が浮き彫りにされています。この面の浮き彫りは、19世紀フランスのキリスト教メダイユ彫刻を代表するグラヴール(彫刻家)、リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) の作品です。

 「いと尊きロザリオの元后」(Regina sacratissimi Rosarii) は、ロレトの連祷にある聖母マリアの称号のひとつです。本品では画面中央奥の一段高いところに聖母子が座し、手前に跪いたふたりの聖人にロザリオを与えています。「いと尊きロザリオの元后(女王)」である聖母は戴冠しています。幼子イエズスは聖母の右膝の上に立っていますが、両腕を水平に広げた姿は十字架上の受難を思い起こさせます。

 向かって右手前で聖母からロザリオを受け取っているのはグスマンの聖ドミニコ、向かって左側で幼子イエスからロザリオを受け取っているのはシエナの聖カタリナです。聖母に執り成しを求める「ロレトの連祷」の一節が、周囲にフランス語で刻まれています。

  Reine de très Saint Rosaire, priez pour nous.  いと尊きロザリオの元后、我らのために祈りたまえ。




(上・参考画像) Francesco Botticini, The Adoration of the Child (details), 1482, tempera on wood, diameter 123 cm, Pitti Palace Gallery, Firenze


 聖母子の足下には薔薇の花環、あるいは薔薇の花の冠が置かれています。カトリックの数珠をわが国では「ロザリオ」(rosario) と呼んでいますが、イタリア語「ロザリオ」の語源はラテン語「ロサーリウム」(ROSARIUM) で、これは薔薇の花環(花綱、冠)のことです。薔薇は聖母の象徴であり、聖母像に捧げる薔薇の花環あるいは薔薇の花の冠を、「ロサーリウム」(ロザリオ)と呼んだのです。

 ロザリオのことを、フランス語では「ロゼール」(rosaire) または「シャプレ」(chapelet) といいます。「ロゼール」は特に15連のロザリオを指す語で、語形から明らかなように、ラテン語「ロサーリウム」に由来します。「シャプレ」は5連のロザリオを指しますが、この語は本来「被り物」を表す「シャペル」(chapelle) に縮小辞が付いたものであり、やはり花の冠を表します。ドイツ語ではロザリオを「ローゼンクランツ」(Rosenkranz) といいますが、これは文字通り「薔薇の花環」という意味です。

 ロザリオの祈りでは、天使祝詞(アヴェ・マリア)、すなわち救い主の生誕を予告するガブリエルの言葉が唱えられます。上の参考画像はルネサンス期の画家ボッティチーニの作品で、生誕した救い主イエズスを礼拝する聖母とともに、薔薇の花綱(ロサーリウム)が描かれています。





 メダイの手前、向かって右には、グスマンの聖ドミニコ (St. Domingo de Guzman, 1170 - 1221) が浮き彫りにされています。聖人はドミニコ会の白い修道衣と黒いマントをまとって跪き、聖母子を仰ぎつつ両腕を広げています。 よく知られた聖ドミニコ伝によると、新生児ドミニコが洗礼を受ける際、その額に星が輝くのを、代母が目にしました。それゆえ聖ドミニコの図像では、額あるいは頭上に星が描かれることが多くあります。本品の浮き彫りにおいても、リュドヴィク・ペナンは輝く星を聖人の頭上に配しています。

 ドミニコはスペイン北部の町パレンシア(Palencia カスティジャ・イ・レオン州パレンシア県)で学究生活を送り、6年に亙って学芸を、4年に亙って神学を修めました。神学研究の最後の年である 1191年にスペインに大飢饉が起こったとき、ドミニコは貧しい人々のために現金、衣服、家具を手放しただけではなく、当時はたいへんな貴重品であった本(羊皮紙の写本)までもすべて売り払いました。学究の徒であるドミニコが本を手放したことに友人たちが驚くと、ドミニコは「人々が飢え死にしつつあるときに、死んだ動物の皮から学べと私に言うのか」と答えました。

 リュドヴィク・ペナンはこの浮き彫りにおいて、聖人の心の優しさを、穏やかな横顔のうちに余すところなく表現しています。フランスにおけるメダイユ彫刻中興の祖、ダヴィッド・ダンジェ (Pierre-Jean David d'Angers, 1788 - 1856) はリュドヴィク・ペナンよりも少し前の時代の人ですが、モデルの横顔を好んで作品にし、「正面から捉えた顔はわれわれを見据えるが、これに対して横顔は他の物事との関わりのうちにある。正面から捉えた顔にはいくつもの性格が表われるゆえ、これを分析するのは難しい。しかしながら横顔には統一性がある。」と言っています。

 聖ドミニコ単独のメダイや他の諸聖人のメダイにおいて、リュドヴィク・ペナンはほとんどの場合正面向き、あるいは正面向きに近い角度で顔を彫っており、ダヴィッド・ダンジェのように横顔のメダイを多く作ったわけではありません。リュドヴィク・ペナンがこの群像において聖ドミニコの顔を側面から捉えているのは、四人の人物の空間的配置から来る必然的要請のためでしょう。しかしリュドヴィク・ペナンはこの作品において聖ドミニコを側面から捉えることにより、聖人が持つ生来の優しさを、あたかもおのずから滲み出るかのように引き出すことに成功しています。上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。この面に彫られた群像のうち、聖ドミニコの出来栄えは最も優れています。




(上・参考画像) Lorenzo Lotto, "Madonna de Rosario e Santi", 1539, olio su tela, 384 x 264 cm, Pinacoteca Comunale ''Donatello Stefanucci'', Cingoli


 12世紀から13世紀前半、フランス南西部のラングドック地方は異端カタリ派の勢力圏でした。聖ドミニコはこの地方に滞在し、1206年、プルイユ(Prouille 現在のファンジョ Fanjeaux ラングドック=ルシヨン地域圏オ^ド県)に修道院を創設して、カタリ派をカトリック教会に帰一させるべく奮闘しましたが、思わしい成果はなかなか得られませんでした。

 15世紀まで遡れる伝承によると、1208年、プルイユにおいて「ロザリオの聖母」が聖ドミニコに出現し、聖人にロザリオを授けました。強力な祈りの武器とも言うべきロザリオを与えられた聖ドミニコと同志たちは、このとき以降、カタリ派の改宗に成果を上げはじめました。


 聖ドミニコによる「ロザリオの聖母」の幻視は、多数の絵画や彫刻のテーマになっています。上に示したのは、イタリア・ルネサンスの画家ロレンツォ・ロット (Lorenzo Lotto, 1480 - 1556) が、イタリア中部の町チンゴリ(Cingli マルケ州マチェラータ県)のロザリオ信心会から注文を受けて、この町の聖ドミニコ教会のために描いた大きな祭壇画です。この作品において聖ドミニコは手前の向かって左側に跪き、聖母からロザリオを受けています。手前右側に跪いているのはチンゴリの司教で、聖母子に町を捧げています。





 メダイの手前、向かって左には、ドミニコ会の聖女であるシエナの聖カタリナ (Santa Catarina da Siena, 1347 - 1380) が跪いています。上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです

 あるときカタリナはキリストを幻視しました。キリストは茨の冠、及び黄金と宝石でできた冠をカタリナに示してどちらかを選ぶように告げ、カタリナは茨の冠を選びました。この出来事ゆえに、カタリナの図像には茨の冠が描かれることが多くあります。本品の浮き彫りにおいても、聖女は茨の冠を被っています。1375年、聖女は両手、両足、脇腹に聖痕を受けました。カタリナが聖痕を受けていたことは、1380年、神秘的結婚による「夫」イエズス・キリストと同じ年齢である33歳で聖女が亡くなったとき、初めて明らかになりました。


(下・参考画像) Giovanni Battista Tiepolo, "Hl. Katharina von Siena", zirka 1746, Öl auf Leinwand, 70 x 52 cm, Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Wien




 この面の浮き彫りを制作したリュドヴィク・ペナンは、19世紀前半以来四世代にわたってメダイユ彫刻家を輩出したリヨンのペナン家の一員で、正統的で重厚な作風により知られています。弱冠34歳であった1864年、当時の教皇ピウス9世によって「グラヴール・ポンティフィカル(graveur pontifical 教皇御用達のメダイユ彫刻家)に任じられましたが、惜しくもその4年後に亡くなりました。

 リュドヴィク・ペナンによるいくつかの作品を紹介します。


(下) 「いと尊きロザリオの信心会」 ブロンズ製大型メダイ 直径 32.7 mm フランス 1850 - 60年代 当店の販売済み商品



(下) ゴシック・デザインの十字架 ブロンズ製大型メダイ 1860年代 42,800円



(下) 我が肉を食し我が血を飲む人は永遠の生命を有す、而して我、終の日に之を復活せしむべし 直径41.1 mm 最大の厚さ 4.7 mm 重量34.5 g 1869年 35,800円



(下) ミシオン記念 ブロンズ製クルシフィクス 51.3 x 31.5 mm 13,800円



(下) クレルモンのノートル=ダム・デュ・ポール 十字軍800周年記念 800シルバーのメダイ 直径 22.8 mm (突出部分を除く) 1895年 18,800円



(下) 竪琴を弾く聖セシリア オリジナルの箱入り メダイユの直径 32.6 mm 厚さ 最大 2.8 mm 35,800円








 メダイの裏面は、ゴシック風のカドリロブ(四つ葉型の画面)をミル打ちのような細かい点の連続と四輪の薔薇で取り囲み、カドリロブには多数の小十字架を背景に、聖家族を浮き彫りにしています。

 幼子イエスは若き母の膝の上に、まっすぐに前を見て立っています。イエスは小さな手を胸に当てて愛を示しつつ、右手を伸ばして罪びとを招いています。マリアは右手でしっかりとイエスを支えています。マリアと年齢が釣り合った若々しいヨセフは、「神による選び」「神の摂理への信頼」「純潔」を表す白百合を持っています。聖家族の三人は隙間なく体を寄せ合い、通い合う愛の強さがよく表現されています。ヨセフの右腕とマリアの左腕が接近して、ほとんど閉じた空間を形作っていることも、聖家族の強い結びつきを印象付けます。

 下の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖家族の顔や手は 1ないし 2ミリメートルの極小サイズですが、大型彫刻に劣らない優れたできばえに驚かされます。ヨセフの表情には妻子への愛と信仰があふれ、大きく力強い手は頼りがいのある父性を感じさせます。イエスを見るマリアの表情には限りない母性愛が表れています。イエスの顔と手、幼児らしい体つきはたいへん可愛いですが、柔和な表情には威厳があふれています。三人の髪や衣の襞も写実的な自然さで表現されており、生身のヨセフ、マリア、イエスを眼前に見るような思いがします。





 メダイ下部に、ペナンと並んで、ジャン=バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) の署名があります。早逝の芸術家リュドヴィク・ペナンは1870年代からアール・ヌーヴォーに至る時代を知らずに亡くなったわけですが、リュドヴィク・ペナンの作品は、三歳年上の同郷の芸術家ジャン=バティスト・ポンセ (Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901) の手によっていわば「現代化」され、1870年代以降においても愛され続けました。ジャン=バティスト・ポンセは画家でもあり、メダイユ彫刻家でもある人で、ペナンに比べて都会風に洗練された典雅な作風が特徴です。ペナンの没後にポンセが手を加えて「現代化」した作品は、信心具としてのメダイによく見られ、"PENIN PONCET", "P P LYON" 等、ふたりの名前が併記されています。ペナンの意匠に基づき、ポンセが仕上げたメダイの例をいくつか示します。


(下) マグダラのマリア 直径 25.8 mm



(下) アッシジの聖フランチェスコ 直径 21.5 mm








 本品は百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、突出部分にも磨滅は見られず、細部に至るまで制作当時のままの状態で残っています。保存状態は全体的にきわめて良好で、特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何ひとつありません。





15,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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