(下) 額装例
フリードリヒ・アウグスト・ルディによる製版 「神殿へのマリア奉献」 マリアに倣う信仰生活を勧めるカニヴェ (エミール・ベルティオー 図版番号不明)
"la présentation de Marie au Temple", Friedrich August Ludy sculpsit, Émile Berthiault imp, numéro inconnu
115 x 76 mm
フランス 1860年代
「神殿へのマリア奉献」を描いたカニヴェ。1860年代にトゥールで刷られたもので、当時の手彩色が施されています。
純白の衣を着た幼きマリアは、父ヨアキム、母アンナをはじめとする人々に見守られ、エルサレム神殿の階段を昇っています。マリアは手にシエルジュ(大ろうそく)を持ち、頭にはロサーリウム(ROSARIUM ラテン語で「薔薇の花環」「ロザリオ」)を被っています。階段を昇り切ったところでは、大祭司がマリアを迎えています。マリアの母アンナは赤い衣に青い布をまとっており、聖母の衣の組み合わせを連想させます。
本品の彩色は手作業によるもので、前景はもちろんのこと後方の人物にいたるまで、色のはみ出し等も無く丁寧な仕事が為されています。また本品の彩色は、明度あるいは濃淡の異なる色を色相ごとに使い分けています。たとえばマリアの衣と大祭司の衣は、光が当たる部分が白、影の部分が明るいグレーに塗り分けられています。同様にマリアの髪は黄色と明るい茶色に塗り分けられています。ヨアキムやアンナたちの衣についても同様です。通常ならばグラヴュール(エングレーヴィング)の密度でのみ表される明暗と立体感が、本品においては色彩の援けを得てひときわ自然に再現されているのです。本品の聖画を見つめていると、あたかも「マリア奉献」の現場に居合わせるかのような錯覚さえ覚えます。
聖画の下には、ビュラン(彫刻刀)で刻んだ文字により、「神殿へのマリア奉献」(la présentation de Marie au Temple) とフランス語で書かれています。「神殿へのマリア奉献」は、新約外典のひとつである「ヤコブ原福音書」に記述されている出来事です。「ヤコブ原福音書」には「いとも聖なる、神の母にして永遠の処女なるマリアの誕生の物語」という副題が付いており、マリアの生誕前からイエスの生誕に至るまでの出来事を扱っています。この外典文書は 2世紀末ころに成立したと考えられており、最古の写本はギリシア語による3世紀のもの (Papyrus Bodner V) で、シリア語、アルメニア語のものも存在します。
この文書が「原福音書」(προτοευαγγέλιον, protoeuangelion) と呼ばれるのは、正典福音書の内容よりも以前に起こった出来事を記述しているという意味であって、正典福音書が依拠した資料というような意味ではありません。「神殿へのマリア奉献」、及びマリアが三歳から十二歳まで神殿内で育てられたという「ヤコブ原福音書」の記述は、いずれも歴史的事実ではありません。しかしながら「ヤコブ原福音書」は、後の「レゲンダ・アウレア」の場合と同様に、キリスト教美術にモティーフの源泉として、大きな役割を果たしました。
(上) Giotto, "La Presentazione della Vergine Maria al Tempio", 1303 - 05, affresco, Cappella degli Scrovegni, Padova
「ヤコブ原福音書」によると、幼いマリアは三歳になってすぐに両親の許を離れ、エルサレム神殿で育てられました。「神殿へのマリア奉献」は三歳になったマリアが階段を昇り、神殿に迎えられるエピソードです。この場面はマリアの生涯を描く美術作品において重要なモティーフのひとつであり、各時代の画家によって多数の作品が制作されています。上の作品はジオット
(Giotto di Bondone, 1267 - 1337) がパドヴァのスクロヴェーニ聖堂に描いたフレスコ画です。
(上) Cima da Conegliano, "La Presentazione della Vergine Maria al Tempio", 1496 - 97, olio su tavola, 105 x 145 cm, die Gemäldegalerie Alte Meister,
Dresden
上の作品はヴェネツィア派の画家チーマ・ダ・コネリアーノ (Cima da Conegliano, 1459/60 - 1517/18) による油彩板絵で、ドレスデンの古典絵画館に収蔵されています。
(上) Tiziano Vecellio, La presentazione della Vergine al Tempio, 1534 - 38, olio su tela, 775 x 335 cm, le Gallerie dell'Accademia, Venezia
上に示したのはティツィアーノ (Tiziano Vecellio, 1480/85 - 1576) による油彩画です。この作品はヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会
(la chiesa di Santa Maria della Carità) の付属学校(スクオラ・グランデ Scuola Grande)のために描かれたもので、現在は同所のアッカデミア美術館に収蔵されています。
本品はフリードリヒ・アウグスト・ルディ (Friedrich August Ludy, 1823 - c. 1890) が版を制作した作品で、聖画の左下にルディのサイン
(F. Ludy sc.) があります。フリードリヒ・アウグスト・ルディはエングレーヴァーである父ヴィルヘルム・ルディの息子として、1823年にケルンに生まれました。1839年から
1851まで、デュッセルドルフにおいて、高名なエングレーヴァー、ヨーゼフ・ケラー (Joseph Keller) の下で学んでいます。フリードリヒ・アウグスト・ルディはエミール・ベルティオー、アルフレッド・マーム
(les Éditions Alfred Mame)、カティエ (les Éditions Cattier) など、トゥールにある幾つかの版元のために、小聖画の製版に携わっています。
下に示すのは「ナザレ派」の画家エドゥアール=ヤーコプ・フォン・シュタインレ (Eduard-Jakob von Steinle, 1810
- 1886) による「エッケ・ホモー」を版画にした作品で、フリードリヒ・アウグスト・ルディが版を制作しています。
Eduard-Jakob von Steinle "Ecce Homo", Friedrich August Ludy sculpt
ルディの名前の後ろに "sc." とあるのは、ラテン語「スクルプシット」(SCULPSIT 「彫った」)の略記で、この小版画の版を作成したエングレーヴァーがルディであることを示します。「スクルプシット」は、動詞「スクルポー」(SCULPO 「彫る」)の完了形(直説法完了能動相三人称単数形)です。
聖画の右下には、トゥールの印刷工房エミール・ベルティオー (Émile Berthiault, éditeur et imprimeur,
rue de l'Arsenal, Tours) の名前が刻まれています。
エミール・ベルティオーはカニヴェ制作の大手ではありませんが、本品は非常に丁寧に制作されており、素晴らしい出来栄えです。フリードリヒ・アウグスト・ルディ は、この作品において、人物の髪と遠景の壁のみにオー・フォルト(エッチング)を使用し、あとの部分はすべてグラヴュール(エングレーヴィング)で制作しています。上の拡大写真において、定規のひと目盛はいずれも 1ミリメートルです。人物の顔と手はいずれも 2 ~ 3ミリメートルのサイズですが、各部が美しく整っているばかりか、この場にみなぎる宗教的な感情の高まりさえもが表現されています。名品が多い
19世紀ミニアチュール版画のなかでも、本品はとりわけ優れた作品のひとつです。
聖画の上端はアーチ状に湾曲し、これに沿って「詩編」の言葉がフランス語で刻まれています。
Venez, mes Enfants, je vous enseignerai la sagesse. Ps. 33. 来なさい、わが子供たちよ。わたしはあなたたちに知恵を教えよう。「詩編」 33編
この聖句は、わが国で現在広く使われている「新共同訳」聖書では、「詩編」 34編 12節にあたります。「詩編」の章節にずれが生じているのは、従来の多くの近現代語訳聖書が七十人訳聖書(紀元前一世紀頃までに成立したギリシア語訳旧約聖書)に従って章節を分けているのに対し、「新共同訳」聖書はマソラ本文(旧約聖書のヘブライ語原典)に従って章節を分けているからです。なお「新共同訳」の該当箇所では、「子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう」と訳されています。
聖画の下にも、「詩編」がフランス語で引用されています。
À sa suite une multitude de Vierges, pleines de joie et d'allégresse,
vous seront préséntées, o Roi de Gloire, et se consacreront à vous dans
votre saint Temple. Ps. 44.
栄光の王よ。彼女に続いて、大勢の乙女(処女)らが喜び歓喜して、御身の許へと連れられて来る。御身の宮(神殿)にて、乙女らは御身のために聖別される。詩編
44編
この聖句は「新共同訳」聖書では「詩編」 45編 15 - 16節にあたり、「彼女は王のもとに導かれて行く。おとめらを伴い、多くの侍女を従えて。彼女らは喜び躍りながら導かれて行き、王の宮殿に進み入る」と訳されています。
裏面にはレデンプトール会の創設者、聖アルフォンソ・デ・リゴリ (S. Alfonso Maria de' Liguori, 1696 - 1787)
による聖母への祈りがフランス語で記されています。内容は次の通りです。日本語訳は筆者(広川)によります。
O Marie, enfant chérie de Dieu, que ne puis-je vous offrir et vous consacrer les premières années de ma vie, comme vous vous êtes offerte et consacrée au Seigneur dans le Temple! | 神に愛されし子、マリアよ。わが生の最初の年月を御身に捧げ、聖別することが、私に出来ないとは! 御身は神殿にて御身自身を主に捧げ聖別し給うたというのに! | |
Mais, hélas! ces premières années sont déja bien loin de moi! J'ai
employé un temps si précieux à servir le monde, et vous ai oubliée en écoutant
la voix de mes passions. |
ああ、このように幼い日々から、私はもうはるかに遠ざかってしまいました。私はこの世に仕えるためにかくも貴重な時間を使い、自らの楽しみの声に耳を傾けて、御身を忘れていました。 | |
Toutefois il vaut mieux commencer tard à vous servir que de rester toujours rebelle. Je viens donc aujourd'hui m'offrir tout entier à votre service, et consacrer à mon Créateur, par votre entremise bénie, le peu de jours qui me restent encore à passer sur la terre. Je vous donne mon esprit, pour qu'il s'occupe de vous sans cesse, et mon cœur, pour vous aimer à jamais. | しかしそれでも、背き続けるよりは、遅ればせながらも御身に仕え始めるほうが良いのです。それゆえ私は、今日、自身のすべてを、御身に仕えるために捧げます。地上で過ごすために私に残されたわずかな日々を、御身の幸いなる仲立ちにより、わが創り主のために聖別します。私はわが霊を御身に捧げます。わが霊が常に御身に満たされるように。私はわが心を御身に捧げます。御身を永遠に愛するために。 | |
Accueillez, ô Vierge sainte, l'offrande d'un pauvre pécheur; je vous en conjure par le souvenir des ineffables consolations que vous avez ressenties en vous offrant à Dieu dans le Temple. | 聖なる乙女よ。御身が神殿にて自身を神に捧げ給うたとき、御身が感じ給うたえも言われぬ慰めを、どうか思い出し給え。そして哀れなひとりの罪びとから、霊と心の捧げ物を受け給え。 | |
Soutenez ma faiblesse, et par votre intercession puissante obtenez-moi de Jésus la grâce de lui être fidèle, ainsi qu'à vous, jusqu'à la mort, afin qu'après vous avoir servie de tout mon cœur pendant la vie, je participe à la gloire et au bonheur éternel des élus. | わが弱さを支え給え。御身の力強き執り成しによりて、イエスからの恩寵をわれに得させ給い、死に至るまでイエスに忠実なる者、御身に忠実なる者と為し給え。生ける間にわが心を挙げて御身に仕えしのちに、選ばれたる者どもの栄光と永遠の福楽に与(あずか)らんがために。 | |
Ainsi soit-il. | アーメン。 | |
(S. Alphonse de Liguori) | (聖アルフォンソ・デ・リゴリ) |
祈りの下には、裏面を印刷した版元名と所在地(Tours. --- Imprimeur Mame. トゥール、マーム印刷工房)、及び裏面の版の番号
(No. 52) が記されています。本品の表(おもて)面と裏面は、いずれもトゥールの印刷工房であるエミール・ベルティオーとマームによって、それぞれ刷られていることがわかります。
1860年代のフランスは、ガリアをイエスの聖心に捧げる「悔悛のガリア」の精神的運動が、力を持ち始める時代です。すなわち 1861年にラミエール神父 (Henri Maríe Félix Ramière, S.J. e. a. 1821 - 1884) が信心書のシリーズ「イエズスの聖心のおとずれ」(Le Messager du Sacré Coeur de Jesus) を発刊し、1867年8月に発行された同誌第12号において、マルグリット=マリの第98書簡の啓示が初めて公開されました。このマルグリット=マリは、教皇ピウス9世が1864年8月19日に出した小勅書により、列福されています。普仏戦争とコミューンの混乱を経た
1870年代のフランスでは、多くの人々が宗教に回帰し、身を律して清らかな生活を送ることでフランスを神に捧げようとしましたが、1860年代は「悔悛のガリア」の運動が広まるうえで、大きな役割を果たした時代であることがわかります。
本品はおよそ150年前にフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず周囲の一部に小さな破損があるだけで、全体的に良好な保存状態です。良質の中性紙に刷られているため、酸性紙のような変質、崩壊は今後も起こりません。ルディが彫ったアンティーク版画、手作業による彩色は、いずれも優れた出来栄えです。美術品としても、信心具としても、たいへん美しいミニアチュール作品に仕上がっています。
カニヴェの価格 21,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
なお当店では別料金にて額装も承ります。下の写真に写っている額は、アールヌーヴォー様式による立体的な植物文様がたいへん美しい壁掛け式の逸品です。絵画の額縁用の竿を使って制作した一点もので、既製品ではないため、現品のみの販売となります。再注文はできません。
この額を使用した額装料金は、額の代金、ベルベット張りマットの代金、工賃、税を合わせて 16,800円です。ベルベットの色は無料で変更できます。
その他のテーマに基づく聖母のカニヴェ 商品種別表示インデックスに戻る
カニヴェ、イコン、その他の聖画 一覧表示インデックスに戻る
聖母のカニヴェ 商品種別表示インデックスに移動する
カニヴェ 商品種別表示インデックスに移動する
カニヴェ、イコン、その他の聖画 商品種別表示インデックスに移動する
キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する
アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する