ノートル=ダム・ド・シオン シオンの聖母 アンティーク小聖画
Notre-Dame de Sion, à la basilique Notre-Dame de Sion, Saxon-Sion, Grand Est


 フランス東部、グラン・テスト地域圏ムルト=エ=モーゼル県の小村サクソン=シオン (Saxon-Sion) に、ロレーヌの守護聖女「ノートル=ダム・ド・シオン」(Notre-Dame de Sion シオンの聖母)を安置するバシリカ (la basilique Notre-Dame de Sion) があります。この場所の地名「シオン Sion」(古名 Seionz)はここにあった村のラテン語名「スエントゥム」(Suentum) に由来します。

 「ノートル=ダム・ド・シオン」のバシリカが建つ丘「シオン山」(la colline de Sion/Sion-Vaudémont) はケルト、ローマの時代を通じて豊穣の女神の聖地でしたが、キリスト教時代の到来に伴って聖母マリアの聖地となり、とりわけ10世紀以降はヴォーデモン伯とロレーヌ公の庇護の下に聖地としての発展を見ました。

 この地にあった聖堂はフランス革命の際に掠奪されて荒廃し、聖母像も焼却されましたが、革命の混乱が収まった 1797年12月27日、ヴォーデモン(Vaudémont サクソン=シオンのすぐ西にある小村)の司祭が古い聖母子像を祭壇に安置しました。この聖母子像は司祭がヴォーデモンの教会からもたらしたもので、この像により、「ノートル=ダム・ド・シオン」への巡礼が徐々に再開しました。

 フランス革命で荒廃したシオンの旧聖堂に代わり、1856年から1871年にかけて新聖堂が建設されました。1797年12月27日に旧聖堂にもたらされた聖母子像は、「ノートル=ダム・ド・シオン」(Notre-Dame de Sion シオンの聖母)として新聖堂に安置され、現在も崇敬を集めています。なおこの聖母子像は1873年9月10日に戴冠しましたが、戴冠の際には八名の司教、百五十名の司祭、四万人の巡礼者が集まりました。

 なお「ノートル=ダム・ド・シオン」はマリ=テオドール・ラティスボンヌ師 (P. Maeie-Théodore Ratisbonne, 1802 - 1884) が、弟アルフォンスの回心に感謝して創設した「ノートル=ダム・ド・シオン修道会」(la congrégation de Notre-Dame de Sion シオンの聖母修道会)の守護聖女としても知られています。


 小メダイ付小聖画 「ノートル=ダム・ド・シオン」 ロレーヌの守護聖女 セルロースに小聖画を貼付 手描きの花とメッセージ フランス 1890年代から20世紀初頭




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