カルロ・ドルチ 「親指の聖母」の磁器絵 マーテル・ドローローサ(悲しみの聖母) 手描きの一点もの


113 x 100 mm

19世紀中頃  フランス



17世紀のフィレンツェで活躍し、完成度が高い宗教画で知られる画家、カルロ・ドルチ (Carlo Dolci, 1616 - 1686) によるマーテル・ドローローサ(Mater Dolorosa 悲しみの聖母)を描いたガラス絵。

聖母は深い青のヴェールを被り、目を下に向けて、ひとり悲しみに耐えています。


この作品は「マドンナ・デル・ディト」(Madonna del dito 親指の聖母)の愛称で呼ばれ、カルロ・ドルチによる作品のなかでも最も有名なもののひとつです。

カルロ・ドルチは同じテーマに基づく作品を、構図を変えて何点も製作することが多くありました。

「親指の聖母」にも右向きの作品と左向きの作品があり、本品は右向きの作品を写して製作されています。



カルロ・ドルチの「マドンナ・デル・ディト」は、我が国に縁が深い聖母像です。

なぜならば、1708年に日本に潜入して捕らえられたイタリア人司祭、シドッチ神父 (Giovanni Battista Sidotti, 1668 - 1714) が、「マドンナ・デル・ディト」の銅板油絵を所持していたからです。


シドッチ神父は屋久島に上陸して発見され、薩摩藩によって長崎奉行所に護送されましたが、長崎奉行所にはキリシタンに関する充分な知識を持つ者がいなかったために、

神父を取り調べることができませんでした。

そこで神父は江戸に送られ、当時の日本で最高の知識人とも呼ぶべき新井白石の取り調べを受けることになります。


白石は神父の取り調べを通して神父の人柄に感銘を受けるとともに、神父からの聞き取りによって世界の事情を知り、

さらに切支丹の教えが当時一般に考えられていた邪宗では決してないこと、宣教師はヨーロッパによる日本侵略のためのスパイではないことを理解しました。

その結果、白石は幕府への取り調べ報告書「羅馬人処置献議」において、次のような異例の答申を行います。

第一、本国へ返さるることは上策也 此事難きに以て易き歟

第二、かれを囚となしてたすけおかるる事は中策也 此事易きに以て難き歟

第三、かれを誅せらるることは下策也 此事易くして易かるべし


白石はキリシタンを邪宗と見るのが間違いであること、またキリシタン信徒やバテレンを処刑したり棄教させたりするのが下策であることを、

その明晰な頭脳を以って理解し、幕府に働きかけたのです。

数十年前であれば確実に処刑されていたであろうシドッチ神父が、拷問を受けることもなく棄教もしないままに、

二十両五人扶持を与えられ、茗荷谷の切支丹屋敷で身の回りの世話をされて生活するという異例の待遇を受けたのは、白石の答申の結果でした。


しかしながらシドッチ神父の世話役であった老夫婦が神父に感化されてキリシタンになったことが露見したために、神父は切支丹屋敷の地下牢に収容されて衰弱死します。

神父が死に追いやられる結果となったことは、「かれを誅せらるることは下策也」と断言した白石にはさぞかし無念であったことでしょう。


白石は「長崎注進羅馬人事」下巻に、シドッチ神父が所持していた「マドンナ・デル・ディト」のスケッチを残しています。

シドッチ神父の「マドンナ・デル・ディト」は、現在は東京国立博物館に収蔵されています。(下図)


 シドッチ神父が所持していた聖母像



本品はおよそ150年前の第二帝政期(1852年から1870年)、わが国でいえば幕末以前に製作された真正のアンティーク品です。

東京国立博物館にあるシドッチ神父の御絵よりも百数十年あとに製作されたものですが、シドッチ神父の御絵と同様に心をこめて手描きされたものであり、転写(刷り物)による画像ではありません。


聖母の左目周辺に数か所の絵具の剥落が認められますが、古い年代を考えれば充分に良好な保存状態です。

黒く着色した木製フレームも当時のオリジナルで、こちらも問題無いコンディションです。



38,000円 販売終了 SOLD

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