美麗な十八金製アンティーク 熟練金細工師による見事な彫金 《月と真珠と生命樹 秘められたメッセージの大型クロワ・ド・クゥ 7 x 4 センチメートル》 生命の源に繋がる作例 フランス 1920年代後半から 1930年代初頭


自然に吊り下げた時の、可動部を含む全体の長さ 69.5 mm

全体の重量 4.1 g


可動部を除く十字架のサイズ 縦 60.4 x 横 39.5 mm (突出部分を含む)

真珠を含む最大の厚み 6.6 mm



 金と真珠でできたフランスのクロワ・ド・クゥ(仏 une croix de cou 十字架型ペンダント)。クロワ・ド・クゥは信心具から派生したジュエリーですが、キリスト教が浸透したフランスの伝統文化を背景としつつも、信心具ではなく装身具と見做されます。クロワ・ド・クゥはどなたにでもお使いいただけます。





 本品は幅広のラテン十字上部に細いラテン十字を重ねた立体的構造を有します。細いラテン十字には小さな杯状のベゼルを等間隔に取り付け、直径 2.5ミリメートルほどの白色シードパールを覆輪留めしています。四か所を内に曲げたベゼルは、真上から見るとカドリロブ(仏 quadrilobe 四つ葉)の形になっており、十二世紀の人々に「フランス人の仕事」と呼ばれたゴシックの窓や刳り型を思い起こさせます。なお十二世紀の「フランス」とは、カペー家の領地であるイール・ド・フランス周辺のことです。

 細い十字架の交差部には六弁の花を模る台を取り付け、片穴を開けた直径四ミリメートルの真珠をセットしています。この真珠は白色ですが、シードパールに比べると幾分黄色がかって温か味を感じます。台座の花弁には、そのシルエットと平行に、線による模様を手作業で刻んでいます。


 幅広の十字は各末端が丸みを帯びた三角形に突出しています。突出部分の裏面は平滑ですが、表面にはイタヤガイの殻の内側に似た放射状の造形が施され、和菊の花弁のようにも見えます。突出部に見られるこの造形はパルメットが変化したものと思われ、フルール・ド・リスにも似ています。パルメット状あるいはフルール・ド・リス状の突起を各末端に有するのは、フランスのクロワ・ド・クゥにしばしば見られる特徴です。





 十字架の表面は熟練彫金職人の手仕事による見事な唐草文で覆われ、本品が有する最大の見どころとなっています。唐草文は極めて立体的で、地の部分が金板を貫通した美しい透かし彫りです。ロザリオの十字架やクール、メダイユ等の信心具に見られる透かし細工は、大抵の場合、型を使って打ち抜いたものです。しかるに本品の十字架は金細工師が彫刻刀を使って手作業で彫った真正の透かし彫りであり、機械で打ち抜いたものではありません。

 十字架末端のパルメット文と十字架表面の唐草文(アカンサス文)は、いずれも異教の古代以来現代に至りまで使われ続ている装飾文であって、シルクロードを東漸し、わが国にも伝わっています。本品は装飾美術の古典的要素を引き継ぎ、この上なくクラシカルな工芸品に仕上がっています。





 本品における唐草文と真珠の組み合わせは、キリスト教的文脈で解釈することもできます。唐草文はアカンサス(Acanthus mollis ハアザミ)を様式化したものです。しかるにユダヤ教とキリスト教の象徴体系において、アカンサスをはじめとする棘のある植物は罪の結果である死を象徴します。「創世記」三章十七節から十九節の記述を、七十人訳と新共同訳により引用します。

17 τῷ δὲ Αδαμ εἶπεν ὅτι ἤκουσας τῆς φωνῆς τῆς γυναικός σου καὶ ἔφαγες ἀπὸ τοῦ ξύλου οὗ ἐνετειλάμην σοι τούτου μόνου μὴ φαγεῖν ἀπ᾽ αὐτοῦ ἐπικατάρατος ἡ γῆ ἐν τοῖς ἔργοις σου ἐν λύπαις φάγῃ αὐτὴν πάσας τὰς ἡμέρας τῆς ζωῆς σου      神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。  
18 ἀκάνθας καὶ τριβόλους ἀνατελεῖ σοι καὶ φάγῃ τὸν χόρτον τοῦ ἀγροῦ   お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
19 ἐν ἱδρῶτι τοῦ προσώπου σου φάγῃ τὸν ἄρτον σου ἕως τοῦ ἀποστρέψαι σε εἰς τὴν γῆν ἐξ ἧς ἐλήμφθης ὅτι γῆ εἶ καὶ εἰς γῆν ἀπελεύσῃ   お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」





 上に引用した三章十八節において、新共同訳が茨と訳しているヘブル語の植物名は、七十人訳のギリシア語ではアカンタ(引用文中では複数対格形アカンタース ἀκάνθας)となっています。筆者(広川)の手許にあるリデル・スコット希英辞典第9版によると、アカンタ(希 ἂκανθα 棘)という語は、アカントスをはじめ、棘のあるあらゆる植物を指します。なおアカントス(希 ἂκανθος)はアカンタ(棘)とアントス(希 ἂνθοϛ 花)に由来し、ギリシア語で「棘のある花」という意味ですが、上掲の辞典によると、この植物名はアカンサス (Acanthus mollis)、アラビアアカシア (Acacia arabica)、ハリエニシダの近縁種 (Genista acanthoclada) を指します。これらの植物は分類学上は互いに大きな隔たりがあり、また茨(バラ)もこれらのいずれとも大きく異なる植物種ですが、いずれも棘を有するという共通点があります。

 同じく三章十八節において、新共同訳があざみと訳しているヘブル語の植物名は、七十人訳のギリシア語ではトリボロス(引用文中では複数対格形トリボルゥス τριβόλους)となっています。トリボロス(希 τρίβολος)も棘のある多種の植物を指す名称で、リデル・スコット希英辞典第9版によるとオニビシ (Trapa natans)、ハマビシ (Tribulus terrestris)、ハマビシ科の一種 (Fagonia cretica)、セリ科の一種 (Echinophora spinosa) を指します。

 キリストの宇南に関わる物品をアルマ・クリスティ(羅 ARMA CHRISTI)と総称します。アルマ・クリスティは人の罪の象徴であり、そのうちの最大のものが十字架です。このことを考えれば、ハアザミに一面を覆われた本品の十字架は、救い主が担い給うた人の罪そのもの、及び罪の結果である死の可視化といえます。





 ハアザミに覆われた本品の十字架について、以上のような宗教的解釈が可能である一方、これとは正反対の解釈も成り立ちます。

 中世以前に遡るヨーロッパの伝承によると、キリストが掛かり給うた真(まこと)の十字架は、アダムとエヴァの罪によって枯死した生命樹を材として作られていました。製材された生命樹は枯死していますから、乾燥した木材にしか見えません。しかるに救い主が十字架上で人々の罪を贖い、救世を達成したことによって、枯死したはずの生命樹は生命を取り戻して芽吹きます。本品十字架を覆うつる状の植物は、生命樹が取り戻した命の可視化と見ることが出来ます。

 「ダニエル書」四章にはネブカドネザルが神によって高慢を罰せられ、七年間に亙って正気を失った出来事が記録されています。十七世紀のイエズス会士ガスパル・デ・ロアルテ(Gaspar de Loarte, S. J.,1498 - 1578)は、著書「救い主キリストの御受難を黙想するための手引きと助言、ならびに御受難に関する幾つかの黙想」のイタリア語初版本七ページ目から九ページ目で「ダニエル書」四章に言及し、ネブカドネザルの夢に出てくる大木を生命樹としたうえで、これをキリストの十字架の前表である、と論じました。この著書はキリシタン時代のわが国でも訳出され、1607年、長崎のイエズス会で印刷された「スピリツアル修業」に、第二篇「御パシヨンの観念」として収録されています。


 さらにもうひとつの解釈として、つる状の植物を蔦(つた)と見做すこともできます。蔦は上方に向かって伸びる性質を有するゆえに、神への愛、天上へのあこがれを象徴します。また蔦は支持物を要するゆえに、神と救い主を頼る信仰心の象徴でもあります。

 幅広の十字架を飾る植物文の彫金が人の罪と死を表すのか、救い主によって回復された永遠の生命を表すのか、神と救い主への愛と信仰を表すのかについては、いずれの解釈も成り立ちます。本品の植物文はおそらくこれら三つの意味を全て包含し、重層的に表しているのでしょう。しかしながら本品の彫金は罪や死を表すには美しすぎます。とりわけ本品の素材が永遠に変化せず輝きを失わない金であることを考えるならば、本品の植物文は救い主によって回復された永遠の生命、ならびに神と救い主への愛と信仰を、前面に押し出して象徴していると筆者(広川)は考えます。





 本品の十字架には、一段高い位置に、十一個の真珠が置かれています。

 真珠は女性器に似た貝の軟体から産み出されるため、世界の諸民族において生命、生殖、新生児を象徴します。真珠は貝が呑み込んだ砂粒などの異物を真珠層が囲んで生成されますが、そのような機序を知らなかった古代人は、真珠貝が海面に浮上し、月光を浴びて真珠を作るのだと考えました。

 真珠層はアラゴナイトとコンキオリンの層が交互に重なることによって形成され、入射する光を互いに干渉させて、独特の真珠光沢を発します。真珠の丸い形と柔らかな真珠光沢は、月によく似ています。とりわけ本品の十字架交差部に取り付けられた大きな珠は僅かに黄色味を帯びていて、月に一層似ています。

 真珠を引き合いに出すまでもなく、古来のあらゆる民族において、月はそれ自体が生命の母胎と考えられてきました。なぜなら陸上における動植物の生殖、潮の干満と海の生物の生殖、植物の芽生えと成長と結実、女性の月経など、コスモス(希 κόσμος 秩序ある世界)のあらゆる律動は月によって支配されているからです。





 いっぽうキリスト教の文脈において、真珠はイエス・キリストが語られた譬え話に登場します。「マタイによる福音書」十三章四十五節から四十六節を、ギリシア語原文と新共同訳によって引用します。ギリシア語原文はネストレ=アーラント二十六版によります。

    マタイ 13:45 - 46  45 Πάλιν ὁμοία ἐστὶν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν ἀνθρώπῳ ἐμπόρῳ ζητοῦντι καλοὺς μαργαρίτας: 46 εὑρὼν δὲ ἕνα πολύτιμον μαργαρίτην ἀπελθὼν πέπρακεν πάντα ὅσα εἶχεν καὶ ἠγόρασεν αὐτόν.  また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。


 このたとえ話において、商人が全財産を売り払って一個の真珠(マルガリーテーン μαργαρίτην 単数対格形)を仕入れていることから、当時の良い真珠一個の値段は、現在の貨幣価値に換算すれば数千万円から数億円に相当したことが分かります。養殖真珠が出現する以前には、真珠はそれほどの貴重品であったのです。

 「フィロカリア」("φιλοκαλία") にも著作が収録されているギリシアの司教、フォーティケーのディアドコス (Άγιος Διάδοχος Φωτικής, c, 400 - c. 486) は、このたとえ話の真珠が至福直観を表すと解釈しています。至福直観とは天国において神にまみえることであり、人間の知性(被造的知性)に許された最高の幸福です。またアレクサンドリアのオリゲネス (Ὠριγένης, c. 184 – c. 253) は、「マタイ福音書注解」 十巻九節において、このたとえ話の真珠がキリストを意味すると解釈しています。


 これらのことからわかるように、本品において幅広の十字架から一段高い位置に並べられた真珠は生命の象徴であり、クルシフィクス(キリスト像付きの十字架)におけるコルプス(キリスト像)を、キリストを象徴する宝石で置き換えたものでもあります。本品にあしらわれた宝石が真珠以外の石であれば、このような象徴性は生まれません。

 金の唐草(アカンサス)と真珠を組み合わせた本品は、見た目に美しい宝飾品であるとともに、数千年以上の歴史がある象徴に基づき、月に関して言えば旧石器時代以来の数万年に亙って人類が描いてきた心象を背景に産み出された作品であることがお分かりいただけます。金製品である本品の輝きは、月あかりそのものの反映でもあるのです。







 金はたいへん軟らかい金属で、純金のままでは実用品に使えません。そのため金は他の金属と混ぜ合わせて合金にします。純金を使わず合金にするのは、コストを抑えるためではなくて、実用に適した硬さと強度を得るためです。フランスの金製品には、わが国と同様に、十八金が使われます。純金は二十四金で、十八金(十八カラット・ゴールド)は純度 18/24、すなわち純度750パーミル(750/1000 75パーセント)の金合金です。十八金にはイエロー、ホワイト、ローズ、グリーンの四種類がありますが、本品にはイエローの十八金が使われています。

 上の写真は本品十字架の一部で、縦木の向かって左側上部側面を写しています。ここに刻印されているテト・デーグル(仏 Tête d'Aigle 鷲の頭)は、フランスにおいて十八カラット・ゴールドを示す検質印(ホールマーク)です。







 本品に取り付けた可動環にも、十字架本体と同様の透かし彫り彫金が施されています。、こちらの彫金も金細工師の手作業で、見事な出来栄えです。十字架本体と色を比べると、可動環の金はわずかにローズがかっています。これは金細工工房において純金に銅と銀を混ぜる際、銅の量がごくわずかに多かったためです。

 上の写真は可動環の裏側で、やはりテト・デーグルが刻印されています。こちらの刻印が少し不鮮明なのは、本品の着用時に環の裏側が肌や服地と擦れ合い、刻印の突出部分が摩滅したせいです。

 テト・デーグルの検質印は 1838年に導入され、今日まで使われ続けています。本品の制作年代を考えるに、ベゼルにセットされた十個のシード・パールはいずれも真球で、色と大きさも良く揃っており、養殖真珠であることがわかります。御木本幸吉翁の養殖真珠がヨーロッパにおいて真正の真珠と認められて宝飾界に普及したのは、1920年代半ば以降です。一方 1929年10月にはニューヨークのウォール街で大恐慌が始まり、その影響は 1931年頃にフランスに及びます。本品は大きなサイズの金無垢製品であることに加え、金細工師による手作業の彫金を全面に施した高級な作りの宝飾品です。大恐慌の時代にこのような奢侈品は作られません。したがって本品の制作年代は 1920年代後半から 1930年代初頭と考えられます。





 金無垢の十字架は小さいのが普通です。現代の品物で言えば、女性に人気があるティファニーのペンダントは、縦 27ミリメートルです。しかるに本品は可動環を含めて縦 70ミリメートル、横 40ミリメートルのサイズがあり、非常に大きく見ごたえがあります。上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらにひと周り大きなサイズに感じられます。


 アンティーク・ジュエリーは単なる中古品ではありません。アンティーク品の最大の魅力は、現代では再現できないような技術が使われていたり、その時代の物でしかあり得ないような意匠で制作されていたりすることです。

 現代の高級時計や宝飾品の金属部分は全て研磨仕上げです。鏡面のように研磨した品物は高級感を感じさせて買い手に訴求しますが、研磨仕上げはメーカーにとっても手間とコストのかからない加工であり、大量生産に向いています。現代の高級時計や宝飾品が全て研磨仕上げであるのは、この理由によります。いっぽう本品は全面に彫金が施されていますが、これは打刻や流し込みによる加工ではなく、金細工師が実際に手作業で彫金しています。このように手間のかかる制作方法は、工業的生産とは相容れません。本品は手間をかけた手仕事によって制作された一点ものであり、実用可能な美術工芸品です。





 美術において、家具や室内装飾、宝飾品などの実用品に関する分野を応用美術といいます。これに対して実用性を度外視し、美のみを追求する美術を純粋美術と呼びます。応用美術は純粋美術よりも格下と見做されることが多く、これはたいへん残念なことです。ヨーロッパにおいて、美術は職人仕事として始まりました。祭壇画や聖像彫刻など、中世までの美術は職人芸術家の仕事であり、彼らは作品に署名しませんでした。それゆえ有名な作品であっても作者の名前がわからず、たとえばニュルンベルクのおとめの祭壇画のマイスター、トレボン祭壇画のマイスターというように、芸術家たちは作品名によって呼ばれています。

 しかるに近世に入ると芸術家は作品に署名するようになりました。さらに近代以降の美術家は、実用品があたかも低級で汚らわしいものであるかのように考え、ときに生(ヴィ、ライフ)と乖離した高踏的な理論を述べ立てるようになります。その結果芸術家にとっては難解な作品を制作することが、批評家にとってはそれを高く評価することが、高級な精神を持つ教養人の証しと見做されるようになりました。しかしながら難しい議論で悦に入る衒学者ほど、不愉快かつ滑稽で見苦しいものはありません。また筆者(広川)の見るところ、生と乖離した高踏的な美術は切り花のようなものです。日々の生と乖離して自己目的化した美術は、土あるいは生命の本源と切り離されたまさにその在り方ゆえに、遅かれ早かれ生命力を喪います。

 翻って本品を見るに、本品は二重の意味で生と繋がっています。まず本品は実用性を失わない応用美術の作品であることにより、現実の生と繋がっています。さらに本品の秘められたテーマである月と真珠と生命樹は、旧石器時代以来数万年に亙り地に足を着けて生きてきた人間の歴史を内包します。品物の在り方そのものに関わるこれら二つの特性によって、本品は生命の本源に直結しているのです。





 他の人が同じものを持っていないのは、アンティーク品が有する大きな魅力です。同一の意匠で一定の数が作られた品物であっても、昔の物は現代までなかなか残っておらず、多くの品物が実質的な一点ものになっています。ましてや本品は最初から一点ものとして制作されており、この意味においてもこの上なく魅力的なアンティーク・ジュエリーとなっています。

 クロワ・ド・クゥ(仏 croix de cou 十字架形ペンダント)は信心具から派生したジュエリーですが、キリスト教が浸透したフランスの伝統文化を背景としつつも、信心具ではなく装身具と見做される品物です。本品は十八金の華やかな輝きのうちに、信心具に由来する清楚な上品さを兼ね備え、どのような服装にも合うペンダントに仕上がっています。


 本品は百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。本品は金無垢製品であるゆえに表面が剥がれることは決してありませんし、金の純度が 750パーミルと高いゆえに変色も起こらず、永遠に美しい状態を保ちます。長い目で見て将来的に破損が起こるとすれば、上部に突出した環または可動環が摩滅して破断する可能性がありますが、破断する場合は彫金の無い部分で起こるので、外観に影響を及ぼすことなく容易に修復できます。お買い上げいただた方には末長くご愛用いただけるジュエリーです。





本体価格 188,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




貴金属製のクロワ・ド・クゥ 商品種別表示インデックスに戻る

クロスとクルシフィクス 一覧表示インデックスに戻る


クロスとクルシフィクス 商品種別表示インデックスに移動する


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS