レイ作 大きな銀製十字架 《汝、この印によりて勝利せよ 47.4 x 37.9 mm》 手作業による美術工芸品 フランス 二十世紀中頃


突出部分を含むサイズ 縦 47.4 x 横 37.9 mm  厚さ 1.5 mm  重量 5.3 g




 宗教が迫害を経験することは稀ではありませんが、なかでもキリスト教に対する迫害は熾烈を極め、人類史上稀に見る規模と残虐さ、殉教者の多さで際立っており、紀元33年から1900年までの殉教者数は 1400万人、二十世紀の殉教者数は 2600万人、あわせて 4000万人と言われています。(Justin D. Long, More Martyrs Now than Then? Examining the real situation of martyrdom) 二十世紀の殉教者がとくに多いのは人口が増えたためであって、キリスト教人口全体に占める殉教者の割合は減りつつあると思いますが、コンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認(313年)以前のローマ帝国では、キリシタン解禁(明治六年)までの我が国におけると同様、キリスト教を信じることは死を意味していました。

 ローマ皇帝ディオクレティアヌス(Gaius Aurelius Valerius Diocletianus, c. 240-316 在位 284-305)は平民の生まれで、一歩兵の身分から昇進を重ねてついには皇帝にまでのぼりつめた人です。ひとりの皇帝が治めるには大きくなりすぎていたローマ帝国を東西に二分し、それぞれに正帝と副帝を置いて国内と辺境の反乱を鎮め、後期ローマ帝国の基礎を築きました。

 ディオクレティアヌスはローマの伝統を守ろうとしてキリスト教一掃を図り、キリスト教徒のすべての集会所を破壊し、すべての文書を焼却し、すべてのキリスト教徒を処刑すべしという勅令を303年に布告して、ローマ帝国史上10回目のキリスト教徒迫害を開始します。この迫害は規模においても過酷さにおいても前例のないもので、彼が殺したキリスト教徒の数は30万人にのぼりました。当時の人口、またそのなかでもキリスト教徒が少数派であったことを考えれば、これは恐るべき数字です。 しかし「殉教者の血は教会の種である」というテルトゥリアヌスの言葉どおりキリスト教徒の数は増え続けて、ディオクレティアヌスは305年に自ら退位しました。ディオクレティアヌスを継いだガレリウスも当初はキリスト教徒迫害を続けましたが、311年、コンスタンティヌス及びリキニウスと共同で布告を発し、キリスト教迫害を停止しました。ガレリウスを継いだコンスタンティヌスは 313年のミラノ勅令でキリスト教を公認するという奇策に出、弱体化し始めていたローマ帝国の再建を図りました。




(上) Piero della Francesca, "la battaglia di Ponte Milvio" dalla "Leggenda della Vera Croce", affresco, 329 x 747 cm; San Francesco, Arezzo


 コンスタンティヌスはミラノ勅令の前年である 312年10月28日に、いまひとりの帝であるマクセンティウスをローマ近郊フラミニア街道のムルウィウス橋において討ち取り、西の正帝位を固めたのですが、伝承によると、この戦闘の前日、十字架が空に現れ、その十字架には「これにて勝利せよ」(ギリシア語 Ἐν τούτῳ νίκα)という文字が書かれていたとされます。ムルウィウス橋での戦闘については、エウセビオス(Eusebius Caesariensis, Εὐσέβιος ὁ Καισάρειος, c. 265 - 339)による「コンスタンティヌスの生涯」("VITA CONSTANTINI") 第1章 28節に記述があります。ミーニュの「パトロロギア・グラエカ」(Migne, PG vol. 20 col. 939) により原テキストを引用します。日本語訳は筆者(広川)によります。

    "Βίος Κωνσταντίνου", 1. 28   「コンスタンティヌスの生涯」
         
     Ἀνεκαλεῖτο δῆτα ἐν εὐχαῖς τοῦτον, ἀντιβολῶν καὶ ποτνιώμενος φῆναι αὐτῷ ἑαυτὸν ὅστις εἴη καὶ τὴν ἑαυτοῦ δεξιὰν χεῖρα τοῖς προκειμένοις ἐπορέξαι.    たしかに[コンスタンティヌスは]祈りつつその御方に呼びかけて、どのような方であらせられるのかを自分に対しておっしゃっていただくように、また目の前にいる者たちに右手を差し出してくださるように、大きな声で請い願った。
     Εὐχομένῳ δὲ ταῦτα καὶ λιπαρῶς ἱκετεύοντι τῷ βασιλεῖ θεοσημεία τις ἐπιφαίνεται παραδοξοτάτη,    このように熱心な願いを以て祈っているときに、ある驚くべき奇瑞が皇帝に対して現出した。
     ἣν τάχα μὲν ἄλλου λέγοντος οὐ ῥᾴδιον ἦν ἀποδέξασθαι, αὐτοῦ δὲ τοῦ νικητοῦ βασιλέως τοῖς τὴν γραφὴν διηγουμένοις ἡμῖν μακροῖς ὕστερον χρόνοις, ὅτε ἠξιώθημεν τῆς αὐτοῦ γνώσεώς τε καὶ ὁμιλίας, ἐξαγγείλαντος ὅρκοις τε πιστωσαμένου τὸν λόγον, τίς ἂν ἀμφιβάλοι μὴ οὐχὶ πιστεῦσαι τῷ διηγήματι; μάλισθ’ ὅτε καὶ ὁ μετὰ ταῦτα χρόνος ἀληθῆ τῷ λόγῳ παρέσχε τὴν μαρτυρίαν.    もしも他の人物が語ったのであれば、すぐには受け入れ難かったであろう。しかし勝利した皇帝自身からずっと後になって、筆者が皇帝の知己を得て御許に侍るようになった際に、誓いによって確言されたことであってみれば、その言葉を誰が疑い得よう。とりわけ、後の証言によってもその真正性が確かめられているのだから。
      Ἀμφὶ μεσημβρινὰς ἡλίου ὥρας, ἤδη τῆς ἡμέρας ἀποκλινούσης, αὐτοῖς ὀφθαλμοῖς ἰδεῖν ἔφη ἐν αὐτῷ οὐρανῷ ὑπερκείμενον τοῦ ἡλίου σταυροῦ τρόπαιον ἐκ φωτὸς συνιστάμενον, γραφήν τε αὐτῷ συνῆφθαι λέγουσαν· τούτῳ νίκα.    正午頃、すでに一日が終わりに向かい始めていたとき、太陽よりも上方のまさに空の上に、光を帯びた十字架の印が、皇帝自身の目に見えた。そこには「これにて勝利せよ」との文言が読めた。
     Θάμβος δ’ ἐπὶ τῷ θεάματι κρατῆσαι αὐτόν τε καὶ τὸ στρατιωτικὸν ἅπαν, ὃ δὴ στελλομένῳ ποι πορείαν συνείπετό τε καὶ θεωρὸν ἐγίνετο τοῦ θαύματος.    皇帝も、この遠征で皇帝に従い奇跡を目撃した全軍も、この光景にひどく驚いた。



 マクセンティウスとの決戦を翌日に控えたコンスタンティヌスは、未だ知られざる神に向かって、あなたはどなたですかと問いかけ、また自身を神が助けたまうことを祈願しています。その祈願に応えて現れたのが十字架の印であり、「これにて勝利せよ」という文字でした。十字架は、いうまでもなく、この神がキリスト教の神であることを示しています。また「これにて勝利せよ」という言葉は、翌日の決戦の帰趨が神の摂理のうちにあることを示しています。

 十字架に書かれていたのはギリシア語で、エン・トゥートー・ニカ(Ἐν τούτῳ νίκα これにて勝利せよ)という言葉でしたが、この言葉はラテン語ではイン・ホーク・シグノー・ウィンケース(IN HOC SIGNO VINCES 汝、この印にて勝利せむ)と訳すのが慣例になっています。





 本品は二十世紀半ばのフランスで制作されたクロワ・ド・クゥ(仏 une croix de cou 十字架型ペンダント)です。めっきではない銀無垢製品で、純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)を表すパリ造幣局の検質印テト・ド・サングリエ(仏 la tête de sanglier イノシシの頭)が、上部に突出した環に刻印されています。突出部分を含むサイズは縦 47.4ミリメートル、横 37.9ミリメートルです。

 イン・ホーク・シグノー・ウィンケース(羅 IN HOC SIGNO VINCES)、すなわち「汝、この印にて勝利せむ」との言葉が、十字架の表面に刻まれています。イン・ホーク・シグノー・ウィンケースは、エウセビオスが伝えるエン・トゥートー・ニカ(希 Ἐν τούτῳ νίκα これにて勝利せよ)のラテン語訳です。ギリシア語のニカ(νίκα) は命令法、ラテン語のウィンケース(VINCES) は直説法未来形で、いずれも力強く断定的な表現です。特に後者は、直説法未来形であるゆえに、ムルウィウス橋の戦闘におけるコンスタンティヌスの勝利が、神の摂理によってもたらされたものであることを、いっそう強く示唆しています。

 十字架縦木の下端付近には、向かって左側にメダイ湯彫刻家の署名(Rey)が彫られています。





 十字架交差部には太陽のような発光体が表現されています。エウセビオスの上記引用テクストによると、奇跡の十字架は太陽よりも上方に浮かんでいました。この十字架は光を帯びており、十字架の付近には「これにて勝利せよ」との文言が読めました。

 十字架自体が太陽のように明るく輝いていたのであれば、これを直視することはできません。しかるにエウセビオスによると、十字架と「これにて勝利せよ」との文言は皇帝コンスタンティヌス自身の目にも見えていました。それゆえ本品十字架の交差部に表現されている発光体は太陽ではなく、太陽とは別の他の物理的光源でもなく、イエスを光として表現したものと考えられます。

 福音記者ヨハネは救い主を光(φῶς, LUX)と表現しました。また紀元三、四世紀当時のローマ帝国では東方由来の太陽崇拝であるミトラ教が強い勢力を有しましたが、キリスト教はキトラ教に対抗し、イエスを不敗の太陽に譬えました。一般に十字架型シンボルにおいて最も重要な位置は交差部ですから、本品十字架の交差部に輝いている恒星状の意匠は、「汝、これにて勝利せよ」とコンスタンテゥヌスに命じ給うたイエス・キリストご自身の象(かたど)りと考えられます。





 ジュエリーがどれぐらい丁寧に制作されているかは、裏側を見ればわかります。本品の裏面はこちらを表にして着用しても違和感がないほど丁寧に仕上げられています。また裏面の縁にはバリを除去した鑢(やすり)掛けの跡があり、本品が打刻ではなく、一点ずつ鋳造によって制作されたことが分かります。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。本品はかなり大きなサイズですが、女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらにひと回り大きく感じられます。







 本品は数十年前のフランスで制作された品物ですが、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。真正のヴィンテージ品である本品は、銀色に輝く凸部と、歳月を経て獲得される凹部のパティナが美しく調和しています。二千年に亙るヨーロッパのキリスト教史において、ムルウィウス橋の会戦は最大の画期となった出来事でした。本品はヨーロッパ文明史上最大の出来事を浮き彫り彫刻に表現した美術工芸品であるとともに、高級感ある一点ものジュエリーとして日々ご愛用可能です。お買い求めいただいた方には、末永くご満足いただけます。





本体価格 35,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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