18カラット・ゴールド製 繊細な金線細工のクロワ・ド・クゥ 《汝、この印によりて勝て 45.3 x 28.8 mm》 伝統意匠とアール・デコの融合 フランス 1920年代


重量 2.5 g


突出部分を含むサイズ 縦 45.3 x 横 28.8 mm (可動式の環を除く)

厚み 2.6 mm



 十八カラット・ゴールド(十八金)で制作されたフランスのクロワ・ド・クゥ(仏 une croix de cou 十字架型ペンダント)。伝統意匠とアール・デコ様式を融合させた 1920年代ならではの作品で、金線と金の粒による極めて繊細な細工が特徴です。





 クロワ・ブルトンヌ(ブルターニュのケルト十字)をはじめ、伝統的意匠に基づくフランスの十字架は、縦木と横木が分節化している例が多く見られます。また各末端が小さな珠状に突出するのも、フランス製クロワ・ド・クゥ(十字架型ペンダント)の特徴です。本品は伝統に基づくこれらの意匠を備えつつ、1920年代らしい特徴を兼ね備えています。

 本品のシルエットは直線的で、金線細工の意匠は完全に左右対称です。また十字架交差部のクリスム(キー・ローの合字)はセリフ(文字末端の髭飾り)が無く、おおむね直線に還元されています。本品が有するこれらの特徴は、1920年代から 1930年代にかけて流行したアール・デコ様式によります。





 本品において最も目立つ特徴は、交差部に大きく表されたクリスム(仏 le chrisme)すなわちキー(Χ)とロー(Ρ)の組み合わせ文字です。クリスムはギリシア語でキリストを表すクリストス(希 Χριστός キリスト)の最初の二文字であり、キリストを象徴します。

 本品はコルプス(羅 CORPUS キリスト磔刑像)を有しませんが、十字架交差部のクリスムはコルプスを記号に置き換えたものであり、コルプスと等価です。したがって一見したところ十字架のみに見える本品は、隠れたクルシフィクス(キリスト像付きの十字架)であることがお分かりいただけます。





 四世紀末のローマ帝国はゲルマン人の侵入をはじめとする内憂外患に喘ぎ、キリスト教やミトラ教が勢力を伸ばしていました。東方起源の宗教がこの時期に勢力を伸ばしたのは偶然ではないと考えられます。社会の秩序が乱れ、生活が困難になった時代に生きる人々は、現世肯定的なギリシア・ローマの神々に心を惹かれず、内面的宗教に魅力を感じ始めていたのです。帝国の再建を期するローマが、このような状況を背景に編み出した奇策が、キリスト教の公認でした。

 初代教会以来、ローマ帝国領内のキリスト教徒に対して行われた迫害は、303年2月24日にディオクレティアヌス (Gaius Aurelius Valerius Diocletianus, 244 - 311) が出した布告によって最後の極点に達しました。ディオクレティアヌスは 305年に退位し、女婿ガレリウス (Gaius Valerius Maximianus Galerius, 260 - 311) もキリスト教徒を激しく迫害しましたが、311年4月、死の床にあるときに、自身とリキニウス、コンスタンティヌス一世の連名でキリスト教を含むすべての宗教に対する寛容令を布告し、キリスト教徒に対する迫害は突然終息しました。ガレリウスを継いだ東の正帝リキニウスと西の正帝コンスタンティヌス一世は、313年、ミラノにおいて会談し、特にキリスト教を名指しして、その信仰を認める勅令を布告しました。




(上) Piero della Francesca "Il sogno di Costantino" dalla "Leggenda della Vera Croce", c. 1466; affresco, 329 x 190 cm; San Francesco, Arezzo


 ミラノ勅令の前年である 312年10月28日、コンスタンティヌスはいまひとりの帝であるマクセンティウスをローマ近郊フラミニア街道のムルウィウス橋において討ち取り、西の正帝位を固めました。伝承によると、この戦闘の前日、空に十字架が現れ、その十字架には「これにて勝利せよ」(希 Ἐν τούτῳ νίκα)という文字が書かれていました。


 優れて典雅な文体ゆえに「キリスト教界のキケロー」とも呼ばれるキリスト教著述家ラクタンティウス (Lucius Caecilius Firmianus Lactantius, c. 240 - c. 320) は、「迫害者たちの死について」("DE MORTIBUS PERSECUTORUM") 四十四章において、ムルウィウス橋の戦闘を記録しています。ラクタンティウスは著作のこの箇所において、ムルウィウス橋での戦闘を記録しつつも、空に出現した奇跡については言及していませんが、その一方でコンスタンティヌスが「兵士の楯にクリスムを描け」との夢告を受けたと語り、且つ神の意志が戦闘の帰趨を決定したことを明確に述べています。




(上) Giulio Romano (1499 - 1546) e Raffaellino Del Colle (1495 - 1566), "la Visione della Croce", 1520 - 1524, affresco, Sala di Constantino, Musei Vaticani


 カイサレアのエウセビオス (Eusebius Caesariensis, Εὐσέβιος ὁ Καισάρειος, c. 265 - 339) は「コンスタンティヌスの生涯」("Vita Constantini") 第1章 26 - 31節で「ムルウィウス橋の戦い」を扱い、28節に十字架の奇跡を記録しています。エウセビオスはこの奇跡に関する証言をコンスタンティヌス帝本人から直接聞いており、また皇帝だけではなく、コンスタンティヌスに従う全軍がこの奇跡を目撃したと伝えています。

 エウセビオスによると、マクセンティウスとの決戦を翌日に控えたコンスタンティヌスは、未だ知られざる神に向かって、あなたはどなたですかと問いかけ、また自身を神が助け給うことを祈願しています。その祈願に応えて現れたのが十字架の印であり、「これにて勝利せよ」という文字でした。十字架は、いうまでもなく、この神がキリスト教の神であることを示しています。また「これにて勝利せよ」という言葉は、翌日の決戦の帰趨が神の摂理のうちにあることを示しています。

 十字架に書かれていたのはギリシア語で、エン・トゥートー・ニカ(Ἐν τούτῳ νίκα これにて勝利せよ)という言葉でしたが、この言葉はラテン語ではイン・ホーク・シグノー・ウィンケース(IN HOC SIGNO VINCES 汝、この印によりて勝て)と訳すのが慣例になっています。ギリシア語ニカ(νίκα)は命令法、ラテン語ウィンケース(VINCES)は直説法未来形で、いずれも力強く断定的な表現です。特に後者は、直説法未来形であるゆえに、ムルウィウス橋の戦闘におけるコンスタンティヌスの勝利が、神の摂理によってもたらされたものであることを、いっそう強く示唆しています。




(上) P.P. Rubens pinx, Couché fils et Lienard Sculp. "la Croix Miraculeuse" after Peter Paul Rubens (etching and engraving from "Galerie du Palais Royal", vol.II, 1808), 170 x 206 mm, the British Museum


 上記の二人、すなわちラクタンティウスとエウセビオスの著述はしばしば混同され、あるいは意図的に総合されて、空に現れた十字架がクリスム(キー・ローの合字)に置き換えて描かれる場合があります。上に示したルーベンスの絵はその一例です。それゆえクリスムは「汝、これにて勝利せよ」(羅 IN HOC SIGNO VINCES)というメッセージにしばしば結びつけられます。





 クリスムのシンプルなデザインとは対照的に、本品の金線細工は非常に細かく繊細です。本品十字架において、クリスムがある交差部以外の場所は六つの区画に分かれており、それぞれに六弁の花があしらわれています。花は捩った金線による小さな輪を中心に、六つの輪が花弁となって取り囲みます。それぞれの花の中心には、輪の上に金の小球が鑞付け(ろうづけ 溶接)されています。金の小球は花を囲む正方形の四隅にも付加されています。

 六輪の花のうち一輪に、花弁一か所の逸失があります。また六つの正方形の四隅に鑞付けされた小球のうち、三個が逸失しています。これらの逸失はルーペ等で観察しないとなかなか気付かず、ペンダントの美しさにも影響しません。筆者(広川)自身も商品写真を撮影して大きく拡大するまで、逸失に気づきませんでした。アンティーク品に時折見られる部分的逸失を、筆者は品物が個別に有する歴史の証しと捉え、機能上の問題が無い限り積極的な修復な修復は行わないことにしています。

 ちなみに熟練のジュエリー職人さんに本品を見せる機会がありましたが、細工の繊細さに驚いていました。逸失箇所を補えるか試しに訊いてみたところ、細かすぎて無理とのことでした。とはいえ最初に本品を作ったフランスの職人は、これらの小部品を綺麗に鑞付けしているわけで、その腕前には驚嘆を禁じえません。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと周り大きなサイズに感じられます。


 アンティーク・ジュエリーは単なる中古品ではありません。アンティーク品の最大の魅力は、現代では再現できないような技術が使われていたり、その時代の物でしかあり得ないような意匠で制作されていたりすることです。本品は制作技術が再現不可能なほどに優れていることに加え、フランスの伝統的クロワ・ド・クゥと 1920年代のアール・デコが見事な調和を見せています。

 ジャネット十字をはじめ、伝統的意匠に基づくクロワ・ド・クゥはいまとなっては稀少品ですが、伝統的意匠のジュエリーは長い期間にわたって作られ続けた品物であり、フランスの博物館や美術館に行けば多くの作例を見ることができます。しかしながらアール・デコ様式に基づく貴金属ジュエリーは戦間期の前半、すなわち 1918年の第一次世界大戦終結後にフランスが立ち直り、1930年代初頭に大恐慌が波及してくるまでの数年間にのみ作られました。したがって本品は一見したところ現代的にも見えますが、実際には歴史上ごく限られた数年間にのみ生まれ得たジュエリーであることがお分かりいただけます。





 さらにアンティーク品は歴史性を有します。ここで言う歴史性とは、個別の品物がたどった歴史のことでもありますし、品物の意匠に内在する歴史のことでもあります。キリスト教の歴史は二千年に及びますが、本品のテーマであるクリスムには二千年の歴史が内在しています。

 アンティーク品が有するさらにもうひとつの魅力は、他の人が同じものを持っていないということです。同一の意匠で一定の数が作られた品物であっても、昔の物は現代までなかなか残っておらず、多くの品物が実質的な一点ものになっています。ましてや最初からわずかな数しか作られなかった場合、二点目を見つけることができません。本品はおそらく最初から一点ものとして制作されており、この意味においても魅力的なアンティーク・ジュエリーとなっています。





 クロワ・ド・クゥ(croix de cou 十字架形ペンダント)は信心具から派生したジュエリーですが、キリスト教が浸透したフランスの伝統文化を背景としつつも、信心具ではなく装身具と見做される品物です。本品は十八金の華やかな輝きのうちに、信心具に由来する清楚な上品さを兼ね備え、どのような服装にも合うペンダントに仕上がっています。

 本品は百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず良好な保存状態です。小部品の逸失は実物を見てもなかなか気付かない程度であり、十字架のゆがみや曲がり、破断等、特筆すべき問題は何もありません。本品は高純度(18/24 750パーミル)の金製品であるゆえに変色することもなく、永遠に美しい状態のまま、末長くご愛用いただけます。金無垢の十字架は小さなものが多いですが、本品は 4.5センチメートルの長さがあり、たいへん大きなサイズです。実物は写真で見るよりもずっと綺麗で、お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 48,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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