二色のエマイユによる愛の十字架 《受難のイエスを抱くロサ・ミスティカ》 アール・ヌーヴォー様式による無原罪の御宿リ 40.0 x 24.6 mm フランス 二十世紀初頭


可動の環を除く縦横のサイズ 40.0 x 24.6 mm



 ブロンズの薄板を十字架型に打ち抜くと同時に、打刻によって凹凸模様を刻印し、二度のエマイユ焼成、表面の研磨を経て仕上げた美しいクロワ・ド・クゥ(仏 une croix de cou 十字架型ペンダント)。キリスト教文化を背景としつつも装身具の性格が強い品物で、どなたにでもお使いいただけます。

 本品に使われている七宝の技法は二色の色ガラスによるエマイユ・シャンルヴェ (émail champlevé) で、半透明の赤色ガラスでエマイユを施したあと、炉から取り出して冷却し、白色エマイユを重ねています。最終工程は表面の研磨で、滑らかなガラス面を傷つけないように細心の注意を払いつつ、丁寧な手作業が為されています。十字架の周囲も全周に亙ってやすり掛けされ、滑らかに仕上げられています。





 本品はマルタ十字(マルタ島を本拠地にした聖ヨハネ騎士団の十字架)のように末広がりのシルエットを有しますが、縦木の長さと横木の長さの比、及び横木が縦木と交差する位置に関して言えば、西ヨーロッパに多いラテン十字となっています。末端四か所の円い突出はフランスの十字架に特有で、クロワ・サヴォワヤルド及びクロワ・ジャネットが末端に有する小球状装飾との間に類縁性が認められます。





 キリスト教美術の象徴体系において赤と白にはそれぞれ大きな意味があり、エマイユ製信心具においても同じ象徴性が踏襲されます。

 赤はイエス・キリストが十字架上で流し給うた血の色であることから神の愛の象徴であり、殉教者が流した血の色であるゆえに神への愛の象徴でもあります。赤は写本挿絵に描かれる火の色でもあり、神の愛を象徴するセラフィム(熾天使)も、火と同様に赤く描かれます。上に示すのはラヴェンナ、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の身廊北壁にある「最後の審判」のモザイク画で、中央に座したキリストが、羊を右(向かって左)に、山羊を左(向かって右)に、それぞれ分けています(「マタイによる福音書」 25: 31ff)。キリストの右(向かって左)にいるのは愛を司るセラフで、赤で表されています。キリストの左(向かって右)にいるのは智を司るケルブで、青で表されています。





 血の色である赤は、生命の象徴でもあります。トーラーは生命と血液を同一視し、「レビ記」十七章十一節において「生き物の命は血の中にある」と説いています。我々人間の知性は愛と生命を概念的に区別しますが、神においては愛と生命は不可分一体であり、神の本質を為します。メロヴィング期のラテン詩人フォルトゥーナートゥス(Venantius Honorius Clementianus Fortunatus, c. 530 – c. 600/609)は、ポワチエのラドゴンド(Ste. Radegonde, c. 519 - 587)のサント・クロワ修道院に聖十字架の破片がもたらされた際、「王の御旗は進み」(羅 VEXILLA REGIS PRODEUNT)という詩を作りました。この詩は聖歌として現在も十字架称讃の祝日に歌われていますが、現在のものは歌詞に変更が加えられています。下に示したのはフォルトゥーナートゥスによるオリジナルの詩で、日本語訳は筆者(広川)によります。

    Vexilla regis prodeunt,
fulget crucis mysterium,
quo carne carnis conditor
suspensus est patibulo.
  王の御旗は進み
十字架の奥義は輝く。
人を造り給える御方、人となり、
この奥義にて十字架に架かりたまえリ。
     
    Confixa clavis viscera
tendens manus, vestigia
redemptionis gratia
hic inmolata est hostia.
  主の臓腑は釘にて裂かれたり。
主の両手両脚は伸びたり。
救いのために、
かくの如く主は木に架かり、犠牲となりたまえり。
     
    Quo vulneratus insuper
mucrone diro lanceae,
ut nos lavaret crimine,
manavit unda et sanguine.
  主は木の上で傷を負いたまえり。
恐ろしき槍の刃先にて。
我らを罪より洗い浄めんとて、
水と血を流したまえり。
     
    Impleta sunt quae concinit
David fideli carmine,
dicendo nationibus:
regnavit a ligno deus.
  成就したるは、真(まこと)の歌にて
ダヴィデが歌う事ども。
ダヴィデが国々の民に語る事ども。
すなわち、神、木より統べたまえりと。
     
    Arbor decora et fulgida,
ornata regis purpura,
electa, digno stipite
tam sancta membra tangere!
  美しき木よ。輝ける木よ。
王の紫に飾られたる木よ。
その木は選ばれて杭となり、(*)
聖なる御手、御足が触るるに値したるなり。
     
    Beata cuius brachiis
pretium pependit saeculi!
statera facta est corporis
praedam tulitque Tartari.
  幸いなる木よ。その腕木より
世の(罪の)代価が吊られし木よ。
その木は御体を挙ぐる支え(直訳:天秤)となりて
地獄にその取り分を渡さざりき。
     
    Fundis aroma cortice,
vincis sapore nectare,
iucunda fructu fertili
plaudis triumpho nobili.
  木よ。汝はその樹皮より芳香を放ち、
その甘美さは蜜にも勝るなり。
豊かに実りたるその果実は甘し。
汝は優れたる勝利を讃うるものなれば。
     
    Salve ara, salve victima
de passionis gloria,
qua vita mortem pertulit
et morte vitam reddidit.
  めでたし、祭壇よ。
めでたし、受難たる栄光の、奉献されたる犠牲よ。
この栄光にて、命は死を耐え忍び、
死によりて命を取り戻したり。



 この詩を読んでもわかるように、十字架は古来生命樹と同一視されました。すなわち救世主は罪びとたちへの愛ゆえに十字架上に受難し給うたゆえに、十字架は最大のアルマ・クリスティであり、究極の愛の象徴です。それと同時に罪びとの罪科を贖(あがな)い、永遠の生命を与える十字架は、生命樹に他なりません。愛と生命は、現世に生きる人間の知性から見れば同一物とは思われません。しかるに十字架は神に繋がるアークシス・ムンディー(羅 AXIS MNDI 世界軸)に他ならず、それゆえ十字架において愛と生命は一致するのです。

 「神において愛と生命が一致する」とは難解なスコラ哲学の命題でもありますが、実は救い主の十字架において、誰の目にもわかる形で形象化されています。本品に施された赤色のエマイユは救い主の血で染まった生命樹の象(かたど)りであり、イエス・キリストが惜しみなく注ぎ与え給うた愛と生命を、透明感あるガラスの美しい輝きとして可視化しています。

 本品の十字架交差部には聖心があり、鮮やかな赤に彩られています。古来心臓は愛と生命の座と考えられてきました。キリストの聖心は神の愛と尽きざる生命の象徴に他なりません。実際のところ心筋の塊である心臓は真っ赤な色をした臓器ですが、図像を彩る象徴的色彩に関しても、愛と生命の赤は心臓の色にこの上なく相応しいといえます。





 本品の意匠はアール・ヌーヴォー様式で、十字架交差部の直下には日本風の植物文様があしらわれています。アール・ヌーヴォーの装飾は左右非対称で植物の蔓のような有機的曲線を特徴とし、本品の植物文様も二枚の葉に挟まれた茎が上に伸びて、交差部の花に繋がっています。

 アール・ヌーヴォーが日本の植物文様を偏愛したことを思えば、本品の白い花は菊のように見えます。しかしながらこの花をキリスト教美術の伝統と整合させて見るならば、これは菊ではなく、八重咲の白薔薇であることがわかります。古来、白は純潔の象徴です。ルネサンス以降の西ヨーロッパにおいて聖母のマントは青く描かれましたが、1854年に無原罪の御宿リが聖座から宣言された影響で、十九世紀半ば以降の聖母は白いマントをまとうことが多くなります。より古い時代においても白は汚れなき処女に相応しい色とされ、多くの受胎告知画において天使ガブリエルは少女マリアに白百合を差し出しています。本品の白薔薇には棘がありませんが、これはまさにロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA ロレトの連祷における「神秘の薔薇」)の姿です。ダンテは「神曲」天国篇第三十一歌において、天国のことを「カンディダ・ローザ」(candida rosa 白く輝く薔薇)と歌いました。栄光に輝く天上界は白薔薇、カンディダ・ローザであり、その中心には聖母がおられます。

 このように考えてゆくと、カンディダ・ローザと見えるこの白い花が、聖母の象(かたど)りに他ならないことに気付きます。共贖者である聖母は受難するイエスを抱きしめ、罪びとへの愛と受難の苦しみを救い主と共有しておられます。フランスのクルシフィクスには一方の面にキリストを、もう一方の面に聖母をあしらった作例が見られます。それらの作例において裏面に描かれていた聖母の姿が、本品では眩い光を放つ白薔薇となり、表(おもて)面の十字架交差部でイエスの聖心と重なり合っています。





 本品に表された花の真っ白な色は、神の愛と生命の可視化でもあります。

 ラテン語には「白い」と「黒い」を意味する二組の形容詞があります。一つめの組はアルブス(羅 ALBUS)とアーテル(羅 ATER)です。アルブスはアルバム、アルビオン、アルベードー、アルブミン、アルプス、アルバロンガ等の語源で、単に「色が付いていない」という意味です。すなわちアルブスの白には輝きがありません。アルブスの対語はアーテルで、この語はギリシア語「アイトー」(希 αἴθω 燃える)や「アイテール」(希 αἰθήρ 火が燃える天上界、第五元素)と同根です。すなわちアーテルは燃え残りのように艶の無い黒を意味します。実体性を欠く点において、アルブスとアーテルは共通します。アーテルという形容詞が表すのは光の欠如にすぎません。光が射し込まないアートリウム(羅 ATRIUM)の薄暗さが、アーテルです。それと同様に、アルブスという形容詞が表すのは色彩の欠如に過ぎません。

 「白い」と「黒い」を意味するもう一組の形容詞は、カンディドゥス(羅 CANDIDUS)とニゲル(羅 NIGER)です。カンディドゥスは動詞カンデオー(羅 CANDEO 輝く)に由来し、実体から眩(まばゆ)く輝き出る白さを表します。カンディドゥスの対語であるニゲルも、例えば黒貂(くろてん セーブル)の毛皮のように輝く黒、すなわち実体性を有する黒を表します。カンディドゥスとニゲルがいずれも実体に裏打ちされていることを考えると、神の不可知性を表現したニコラウス・クザーヌスの言葉、「輝ける闇」が思い起こされます。

 本品において聖心を取り巻く白は、強烈な光輝を放つカンディドゥスであり、「在りてある者」(ὁ ὤν 「出エジプト記」 3: 14)、すなわち実体の中の実体、有の中の有、必然的存在者である神の愛と生命を可視化したものと考えることができます。スコラ哲学の言葉を使えば、アークトゥス・プールス・アマンディー(羅 ACTUS PURUS AMANDI 愛の純粋現実態)であり給う神は、罪びとを愛することを一瞬たりとも止めず、愛と生命の輝きを放ち続けておられるのです。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。赤と白のフリットは一ミリメートルに満たない極小のスペースに細心の注意を以て入れられ、丁寧に焼成されています。聖心を取り巻く白のフリットは赤のフリットに重ねられていますが、下層の赤はほとんど見えません。真っ白な不透明ガラスを作るのは難しいことですが、エマイユの国フランスの職人は、本品を非の打ちどころなく美しく仕上げています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品はおよそ百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にも拘わらず非常に良好な保存状態です。エマイユのガラスには表面の瑕(きず)も亀裂も無く、下地から剥離した箇所もありません。

 本品は装身具の性格が強いクロワ・ド・クゥですが、その時代ならではの美的感覚と精神的雰囲気を色濃くまとっています。すなわち本品はアール・ヌーヴォー様式によりますが、この様式は日本と西洋が近代において初めて出会った際、瞬間的に飛び散った美しい火花に譬えることができます。また中央交差部に大きく聖心をあしらう意匠には、十九世紀半ばからベル・エポック期のフランスで大きな影響力を持っていたガリア・ペニテーンス(羅 GALLIA PŒNITENS 悔悛のガリア)の思潮が表れています。本品は悔悛のガリアが日本美術に出会うことで、歴史上ただ一回のみ生まれ得た宝石のような作品であり、この時代のものでしかあり得ないアンティーク美術品です。





22,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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