リジューのテレーズ修道女 《神の婢に触れた衣片》 列福を求める最初期の聖遺物 125 x 71ミリメートル パリ、ブマール・フィス 1910年代初め頃


小聖画のサイズ 縦 125 x 横 71 mm

布片のサイズ 10 x 5.5 mm

フランス  1910年代初め頃



 百年余り前のフランスで刷られたスール・テレーズ(テレジア修道女)の小聖画。聖遺物の布片を肖像画に縫い付け、簡易なルリケールとしています。テレーズの列福を目指して運動が始まった頃のものであるゆえに、テレーズは未だ何の称号も得ておらず、単に「スール・テレーズ」(仏 sœur Thérèse)すなわちテレーズ修道女と呼ばれています。





 テレーズは五人姉妹の末っ子で、五人姉妹はいずれも修道女になりました。四人の姉のうち、三女レオニーは聖母訪問会の修道女となり、長女マリー、二女ポーリーヌ、四女セリーヌは、五女テレーズと同じく、リジューのカルメル会の修道女でした。本品は、マリー、ポーリーヌ、セリーヌをはじめとするリジューのカルメル会員たちが、布片をひとつひとつ手作業で縫い付けて制作したものです。表(おもて)面は、聖遺物の上方に実姉セリーヌ(Marie-Céline Martin, 1869 - 1959 修道名 聖顔のジュヌヴィエーヴ Sœur Geneviève de la Sainte Face)によるテレーズの肖像をあしらい、簡易な説明を記しています。


 テレーズのすぐ上の姉セリーヌは、年老いた父ルイ・マルタン(Louis Martin, 1823 - 1894)が亡くなるまで家で世話をしました。父ルイが亡くなったのは 1894年7月29日、埋葬されたのは8月2日でした。セリーヌは父の死後の整理を終えると、1894年9月14日、テレーズと同じリジュ―のカルメル会修道院に入りました。

 美術の才能があったセリーヌは、1891年から画家エドゥアール・クルーク(Édouard Krug, 1829 - 1901)の指導を受けて絵を学んでいました。セリーヌの才能を非常に高く評価していたクルークは、セリーヌのカルメル会入会後も、幾度か修道院を訪れてセリーヌに面会し、自分が愛用するパレットを贈っています。セリーヌは自分の才能の限界も知っていましたが、天才画家でなくとも神の役に立てると考えるようになりました。





 テレーズを描いたこの肖像画は、聖顔のジュヌヴィエーヴ修道女(Sœur Geneviève de la Sainte Face)となった姉セリーヌが、まゆみの炭を使って描いた木炭画です。跣足カルメル会の茶色いヴォワル(仏 voile ヴェール)とアビ(仏 habit ハビット、 修道服)、白いコワフ(仏 coiffe ウィンプル)とマントを身に着けたテレーズは、あたかも幼子を抱くかのように愛しげに、クルシフィクスを抱いています。クルシフィクスから流れ出る神の愛は、テレーズの魂に反映してその胸から流れ出る神への愛となり、渾然一体となって溢れ出すふたつの愛、生む愛と生まれる愛は、いずれも薔薇として視覚化されています。

 セリーヌはテレーズの自叙伝の扉絵に使用された半身像を 1899年に描きました。本品に刷られている「クルシフィクスを抱くテレーズ」像がいつ描かれた作品であるのか、筆者(広川)は知らないのですが、おそらく扉絵の半身像の次に描かれた第二の作品であろうと思います。


 セリーヌはテレーズの生前に多数の写真を撮影していましたが、1959年に亡くなるまで、それらの写真を公開しませんでした。世の人々がそれらの写真を目にしたのは、セリーヌの死後である 1961年のことです。

 セリーヌが写真を公開しなかった理由は、写真の影像には生身のテレーズが捉えられていないと考えたからです。十九世紀末の写真は、およそ九秒の露光時間を要しました。被写体となる人は、九秒のあいだ、姿勢を変えることも表情を変えることもできなかったのです。当時の写真に写る人は、どうしても口もとがこわばり、表情が硬くなります。これに加えて写真は九秒間に起こるわずかなぶれのために不鮮明になりがちでしたし、当時の印画紙は明暗の階調の再現性も劣っていました。このような理由で、セリーヌは写真ではなく絵筆によって、テレーズの口もとに浮かぶ柔らかな微笑を再現したのでした。


 本品の版元は、パリのエディトゥール(éditeur 版元)ブマール・フィスで、楕円形画面の右下に版元名が刻まれています。ブマール・フィス(Boumard et Fils)は老舗シャルル・ルタイユ(Charles Letaille, Paris: 1839 - 1873)を継いだ版画工房(Ancienne Maison Charles Letaille, Boumard et Fils successeur, Paris:)で、1873年から 1963年頃まで存続しました。ブマール・フィスはカニヴェをはじめとする美しい聖画で知られており、その前身であるシャルル・ルタイユ、及びブアス=ルベルとともに、聖画の繊細さと丁寧なテクスチャは高く評価されています。





 上に示した参考画像は現代の美術印刷で、定規のひと目盛りは一ミリメートルです。聖画や美術画集など、現代の印刷物を大きく拡大すると、規則的に配列された網点(あみてん)で描画されていることがわかります。





 上の写真は本品で、参考画像と同じ面積を撮影しています。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。本品の画像に網点は存在せず、非常にきめ細かな描画を達成していることがお分かりいただけます。

 この聖画はフォトグラヴュールによります。フォトグラヴュールは感光性のゼラチンを塗布した金属板を使う平版の一種で、写真をはるかにしのぐ再現性と美しいテクスチャを有します。しかしながらフォトグラヴュールの制作には非常な労力と時間がかかるため、二十世紀の早い時期にはほとんど行われなくなりました。現代の美術印刷(グラビア印刷)は言葉の上では「フォトグラヴュール」と呼ばれますが、実際には輪転機を使うロトグラヴュアであり、平版である古典的フォトグラヴュールとは全く異なります。本品の聖画は真正の古典的フォトグラヴュールです。





  聖画の下には次の言葉がフランス語で記されています。    
 
     LA SERVANTE DE DIEU    神の婢(はしため)
     SŒUR THÉRÈSE DE L'ENFANT-JÉSUS ET DE LA SAINTE FACE    幼きイエスと聖顔のテレーズ修道女
         
  これに続いて、テレーズの生涯が紹介されています。 
         
     Marie-Françoise-Thérèse MARTIN    マリ=フランソワーズ=テレーズ・マルタン
         
     Naquit à Alençon le 2 Janvier 1873 - À l'âge de 15 ans elle entra au Carmel de Lisieux, où elle passa 9 ans et 6 mois dans la pratique constante de toutes les vertus, se distanguant surtout par un ardent amour pour Dieu et une admirable confiance en Lui. Elle mourut en odeur de sainteté, le 30 Septembre 1897.    1873年1月2日、アランソンに生れる。十五歳でリジューのカルメル会に入り、九年と六か月のあいだ、あらゆる徳の実践に常に励んだ。神への熱烈な愛、及び神への褒めるべき信頼において、テレーズはとりわけ優れていた。1897年9月30日、テレーズは薫り高い聖徳のうちに亡くなった。
         
  その下には聖遺物の布片が糸でくくられ、次の説明が添えられています。 
         
     ÉTOFFE AYANT TOUCHÉ À LA SERVANTE DE DIEU    神の婢に触れた布


 婢(はしため)とは下女、召使のことです。テレーズはこの時点で列福も列聖もされておらず、特別な称号を持たないので、このように呼ばれています。

 カトリック教会では聖人の遺体を第一級聖遺物と呼び、これに触れた物品はいわば聖人の徳を分有して、第三級聖遺物になると考えています。本品は小さな布片に過ぎないように見えますが、第三級聖遺物です。聖遺物をくくった糸は証紙で封緘(ふうかん)され、証紙には楕円の帯に囲まれた盾形の紋章が刷られています。紋章を囲む楕円の帯には、次の言葉がラテン語で書かれています。

  SIGILLUM REVERENDISSIMI ROGERII DE TEIL VICE POSTULATORIS  列福副請願者ロジェ・ド・テーユ司教の印

 テレーズは自叙伝「リストワール・デュン・ナーム」("l'Histoire d'une Âme" ある魂の物語)を遺しましたが、同修道女の執り成しによる奇蹟的恩寵の一覧が、1907年にこの自叙伝に付加され、さらに新たな恩寵の報告が、翌年以降も相次ぎました。この結果、教会当局はテレーズ列福に向けた調査の開始を承認し、ローマの跣足カルメル修道会の神父ロドリグ・ド・サン=フランソワ・ド・ポール師 (Le R. P. Rodrigue de Saint-François de Paule) を請願者、パリのロジェ・ド・テーユ師 (Mgr. Roger de Teil, 1848 - 1922) を副請願者として、運動が始まりました。ロジェ・ド・テーユ師は当時ローマ教皇庁付の司教で、後に子供宣教会 (l'Œuvre de la Sainte-Enfance) の総長となる人です。





 本品の聖画は現代の印刷物とは全く異なり、フォトグラヴュールによる繊細な版画であることを説明しましたが、文字に関してもアンティーク品ならではの特性が認められます。すなわちこの面の文字は活字ではなく、一文字一文字がすべてビュラン(彫刻刀)で刻まれたものです。上の写真はテレーズの生涯を略述した部分を拡大しています。同じ種類の文字を選んで注意深く比較すれば、これが活字ではないことがお分かりいただけます。





  裏面はすべて活版で刷られており、最上部にはテレーズの自叙伝「ある魂の物語」("Histoire d'une âme")からの引用が記されています。引用のテキストに日本語訳を付して示します。日本語訳は筆者(広川)によります。文意を通りやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で囲んで示しました。
 
     《Je sens que ma mission va commencer, ma mission de faire aimer le bon Dieu comme je l'aime... de donner aux âmes ma petite voie de confiance et d'abandon. JE VUEX PASSER MON CIEL À FAIRE DU BIEN SUR LA TERRE. Ce n'est pas impossible, puisqu'au sein même de la vision béatifique, les Anges veillent sur nous. Non, je ne porrai prendre aucun repos jusqu'à la fin du monde ! Mais lorsque l'Ange aura dit : "Le temps n'est plus !", alors je me reposerai, je pourrai jouir, parce que le nombre des élus sera complet.》    わが使命が始まろうとしているのを感じる。わが使命とは、私が神を愛するのと同じように、人々に神を愛させること、また神を信じて委ねるわが「小さき道」を、人々の魂にも与えることだ。私は地上に善を為すために、天の時を過ごしたい。これはできないことではない。まさに至福直観のうちにあるときも、天使たちはわれわれを見守って[、手助けして]くれるからだ。世の終わりまで、私はまったく休めない。しかし、かの天使が「時は尽きたり」と言えば、そのときこそ私は安らい、喜ぼう。選ばれた者たちの数が満ちたのだから。
     (Histoire d'une âme écrite par elle-même)    テレーズの自叙伝「ある魂の物語」
         
  この下にはテレーズの列福をイエスに願う祈りが記されています。
         
     PRIÈRE pour obtenir la béatification de la Servante de Dieu, THÉRÈSE DE L'ENFANT-JÉSUS et de la SAINTE FACE    神の婢、《幼きイエスと聖顔のテレーズ》
列福を求める祈り
         
     O Jésus, qui avez voulu naître petit enfant, pour confondre notre orgueil, et qui, plus tard, prononciez cet oracle sublime : "Si vous ne devenez comme de petits enfants vous n'entrerez point dans le Royaume des cieux", daignez écouter notre humbre prière, en faveur de celle qui a vécu, avec tant de perfection, la vie d'enfance spirituelle et nous en a si bien rappelé la voie.
   イエスよ。御身はわれらの高慢を打ち砕くために、御身みずから幼子として生まれるを欲し給いました。そしてのちにはいとも深遠なる預言を為し給いました。「幼子のようにならなければ、汝らは天の御国に決して入れない」と、御身は語り給うたのです。イエスよ。心砕かれたわれらの祈りを、この女性ゆえに聴き給え。この女性は余すところなき完全さを以て、子供のように霊的生活を送り、[人みなが歩むべき]その道を、この上なくはっきりとわれらに思い起こさせてくれたのです。
     O petit Enfant de la Crèche ! par les charmes ravissants de votre divine enfance ; ô Face adorable de Jésus ! par les abaissements de votre Passion, nous vous en supplions, si c'est pour votre gloire et la sanctifcation des âmes, faites que bientôt l'auréole des Bienheureuses rayonne au front si pur de votre petite épouse THÉRÈSE DE L'ENFANT-JÉSUS ET DE LA SAINTE FACE. Ainsi soit-il.    飼い葉桶の幼子よ。神々しき幼子なる御身の、われらの心を惹きつけ放さざる愛らしさにより、われらは祈り求めます。イエスの慕わしき聖顔よ。御受難にて被り給うた幾多の辱めにより、われらは祈り求めます。もしも御身の栄光に資するならば、また人々の魂の聖化に資するならば、御身の小さき花嫁なる《幼きイエスと聖顔のテレーズ》の清き頭(かしら)に、福者の光輪をば速やかに輝かせ給え。アーメン。
         
     Imprimatur : THOMAS, évêque de Bayeux et Lisieux. -- 21 novembre 1907.    印刷許可 バイユー及びリジュー司教 トマ
1907年9月21日
         
  裏面の最下部には、テレーズの執り成しによって得られた恩寵を知らせてくれるように依頼する文言が書かれ、版元名が添えられています。
         
     Les personnes qui reçoivent des grâces attribuées à la Servante de Dieu sont priées de les faire connaître au monastère des Carmélites de Lisieux, où elles trouveront l'Histoire d'une Âme et des souvenirs de Sœur Thérèse de l'Enfant-Jésus    神の婢テレーズに祈ったおかげで恩寵を受けた方は、リジューのカルメル会修道院までお知らせください。当修道院では「ある魂の物語」、ならびに幼きイエスのテレーズ修道女に因む品々を頒布しております。
         
     Boumard Fils, Paris    パリ、ブマール・フィス
         
  すでに述べたように、不思議な恩寵の報告が、この呼びかけに応えて数多く集まったせいで、テレーズの列福が実現しました。
 
 
  上下の余白には、次の言葉が鉛筆で書かれています。
 
   Monsieur le Curé Tressy, Doyen de Montmorency    モンモランシー司祭長 トレシー主任司祭様
       
  俗人の信仰生活を援けるカトリック教会の組織は、小教区に分かれています。小教区には規模が大きいところも小さいところもあり、規模が大きな小教区は、規模が小さな小教区の監督を受け持つ場合があります。規模が大きな小教区が、近在の小さな小教区をも監督する場合、前者をフランス語で「ドワイェネ」(仏 doyenné 司祭長区)と言い、その長を「ドワヤン」(仏 doyen 司祭長)と呼びます。
 
  モンモランシー(Montmorency イール=ド=フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県)はパリの北十数キロメートルにある風光明媚な町で、ポントワーズ司教区に属します。モンモランシーのサン=マルタン教会は、アンギヤン=モンモランシー司祭長区(Doyenné Enghien-Montmorency)の司祭長座教会です。
 
  「モンモランシー司祭長 トレシー主任司祭様」(Monsieur le Curé Tressy, Doyen de Montmorency)という書き込みがあるおかげで、本品の来歴を思わぬ正確さで知ることができます。このような書き込みはアンティーク品の歴史性を証言する貴重な痕跡であり、古い品物のみが持つ魅力の端的な現れです。






 歴史的に見れば、携帯可能なルリケールはゲルマン多神教のフェティッシュ(独 Fetisch 呪物)をキリスト教化し、置き換えることで発生したものです。しかしながら合理主義にありがちなように、これをキリスト教の民衆化に伴う堕落であると考えるのは、聖遺物崇敬の本質を見誤った議論であると、筆者(広川)は考えます。合理的説明ができない奇跡を一切認めず、聖人や聖遺物を通して神の恩寵が働く可能性を排除する「理性的」信仰、自由主義神学の姿勢は、活きて働く神を信仰する宗教の浅薄化であり、ユダヤ=キリスト教が本来あるべき姿とは別物です。

 ドイツの宗教学者ルドルフ・オットー(Rudolf Otto, 1869 - 1937)は、1917年に出版された名著「聖なるもの」(„Das Heilige: Über das Irrationale in der Idee des Göttlichen und sein Verhältnis zum Rationalen“, Trewendt & Granier, Breslau 1917)十九章の末尾において、キリスト教に見られる理性的要素と非理性的要素の健全な調和を指摘し、二要素の調和ゆえにキリスト教は卓越した宗教であると論じています。

 「聖なるもの」の該当箇所を、1936年の第三版に基づき、ドイツ語原文に和訳を付して引用します。和訳は筆者(広川)によります。原文の意味を正確に訳すとともに、こなれた日本文となるよう心がけたために、逐語訳にはなっていません。文意を通りやすくするために補った語は、ブラケット [ ] で囲いました。


     Daß in einer Religion die irrationalen Momente immer wach und lebendig bleiben, bewahrt sie davor, Rationalismus zu werden. Daß sie sich reich mit rationalen Momenten sättige, bewahrt sie davor, in Fanatismus oder Mystizismus zu sinken oder darin zu beharren, befähigt sie erst zu Qualitäts-, Kultur- und Menschheitsreligion.    ある宗教において、種々の非理性的動因が常に目覚めて活動し続けているならば、その宗教が合理主義になることはない。宗教のうちに種々の理性的動因が十分に存在するならば、その宗教は狂信主義や空想的信仰に沈むこともなく、そのような状態に留まることもなく、宗教はようやく質的に優れた宗教、文化的宗教、全人類的宗教となる。
     Daß beide Momente vorhanden sind und in gesunder und schöner Harmonie stehen, ist wieder ein Kriterium, woran die Oberlegenheit einer Religion gemessen werden kann, und zwar gemessen an einem ihr eigenen religiösen Maßstabe.    非理性的動因と理性的動因の両方が存在し、より一層健全かつ美しい調和のうちにあるということは、やはりひとつの宗教の優越性を計る基準となり得る。ひとつの宗教の優越性は、さらに、その宗教に固有の宗教的尺度に拠っても計られ得る。
     Auch nach diesem Maßstabe ist das Christentum die schlechthin überlegene über ihre Schwester-religionen auf der Erde. Auf tief-irrationalem Grunde erhebt sich der lichte Bau seiner lauteren und klaren Begriffe Gefühle und Erlebnisse. Das Irrationale ist nur sein Grund und Rand und Einschlag, wahrt ihm dadurch stets seine mystische Tiefe und gibt ihm die schweren Töne und Schlagschatten der Mystik, ohne daß in ihm Religion zur Mystik selber ausschlägt und auswuchert.    この基準に照らしても、キリスト教は世界の姉妹宗教に絶対的に優越する。[キリスト教においては、]混じり気なく且つ明瞭な種々の概念、感情、体験が、あたかも採光の良い建物が建つように、深遠なまでに非理性的な基礎の上に建っている。非理性的なるものは、基礎、辺縁、外来物のみである。非理性的なるものは、それらによってキリスト教の神秘的な深みを常に守り、秘教の重々しい調子と濃い影をキリスト教に与える。しかしながらキリスト教において、宗教が自ずから秘教に傾き、秘教に変容することはない。
     Und so formt sich das Christentum im gesunden Verhältnisse seiner Momente zu der Gestalt des Klassischen, die dem Gefühle sich nur um so lebhafter bezeugt, jemehr man es ehrlich and unbefangen hineinbezieht in die Religions-vergleichung und erkennt, daß in ihm auf besondere- und überlegene- Weise ein Moment menschlichen Geisteslebens zur Reife gekommen ist, das doch auch anderswo seine Analogien hat, nämlich eben "Religion".    キリスト教は、理性的動因と非理性的動因の比率が健全であるゆえに、古典的な様態を有するものとなる。人がキリスト教を誠実かつ偏見にとらわれない態度で他宗教と比較し、人間の精神生活を成熟させる動因が、キリスト教においては特有且つ卓越的な様態で現れていることを認識するならば、キリスト教が有するそのような様態は、それだけいっそう活き活きと、人の感情に働きかける(sich bezeugen 直訳「自らを証明する」)ものとなる。なお人間の精神生活を成熟させる動因は、[精神活動の]他の分野においても類例を見ることができるが、それはすなわち、「宗教」も同様にその類例であるということである。






 本品は百年余り前、テレーズの列福を目指す運動が始まったばかりの 1910年代初め頃に製作された聖画ルリケールです。テレーズが亡くなったのは 1897年ですから、テレーズの聖遺物のなかでも、本品は最初期に属します。

 本品は良質の中性紙に刷られているため、酸性紙のような化学的劣化は今後も起こりません。しかしながら物理的応力に関して、紙製品は金属製品ほど丈夫ではないので、将来の破損を避けるために、商品写真でご覧いただける簡易な額装を施しています。聖画ルリケールは粘着テープ等を使わず、摩擦力のみで定位置に固定されているため、いつでも取り出すことができます。商品写真の撮影に際して、反射を避けるべく額のガラスを外していますが、実際の商品にはガラスが付いています。下記の価格には聖画ルリケール、額、クラッシュベロア(青い布)、工賃、税がすべて含まれます。





本体価格 23,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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