台紙に糸で留めたリジューの聖テレーズ(テレジア)の聖遺物を、聖女の肖像写真とともに、良質の革製ケースに入れたもの。
手帳型ケースはきれいなブラウンで、表紙には聖テレジアによる次の言葉がフランス語で金箔押しされています。
Je veux passer mon ciel à faire du bien sur la terre. 私は地上に善を為すために天での時を過ごしましょう。
裏表紙には聖テレジアのモノグラム(組み合わせ文字)が金箔押しされています。ケースの革は薄くて柔らかく、アンティーク高級家具や高価な革装本と同様の風合いを有します。おそらく高級なモロッコ革(モロッコ産の山羊革)でしょう。このケースは作りもたいへん丁寧で、リジューのカルメル会修道院にて、型押しと金箔を施し、ひとつひとつ手作りされています。
手帳型ケースを開くと左右にポケットがあり、左側のポケットには台紙に留めた聖遺物、右側のポケットには聖女の写真が収められています。それぞれのポケットには楕円形の窓が開いており、聖遺物は薄い透明プラスチックで保護されています。聖遺物の台紙には、次の言葉がフランス語で記されています。
Parcelle d'un vêtement de Sr Thérèse de l'Enfant-Jésus 幼きイエスの聖テレーズの衣から採った布片
"Sr" は「スール」(Sœur フランス語で「姉妹」「シスター(修道女)」の意)の略記です。本品が制作された時点で、リジューのテレーズは列福も列聖もされていない一介の修道女ですので、「サント・テレーズ」(Sainte
Thérèse 聖テレーズ)ではなく、「スール・テレーズ」(Sœur Thérèse テレーズ修道女、シスター・テレーズ)と呼ばれています。
テレーズが修道女として暮らしたリジューは、寒さが厳しいノルマンディーにあります。テレーズの衣から採られたこの聖遺物は厚手の毛織物で、サイズはおよそ
8 x 7ミリメートルです。下の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。
大部分の聖遺物は聖人の遺体に触れさせたというだけのもので、後の時代にいくらでも作ることができます。しかしながら聖人が実際に使っていた品物は数が限られていて、聖人の没後に数が増えることが無いゆえに、聖人が没してからあまり長い年月が経っていない時代にしか制作することができません。実際、テレーズが
1925年に列聖されて以降に制作された「聖テレーズ」の類品はたまに見つかりますが、本品のように列福も列聖もされていない最初期の聖遺物はたいへん稀少です。また本品の場合、テレーズの衣のサイズがわからないので、この大きさの布片が幾つ採れるかもわかりませんが、いずれにせよそれほど多い数ではなかろうと思われます。したがって本品は数あるテレーズの聖遺物の中でも、最も貴重なのものに属します。
テレーズの衣片は糸で留められており、糸は台紙の裏面で赤い封蝋により封緘(ふうかん)されています。封蝋は盾形の紋章を模(かたど)り、次の言葉がフランス語で記されています。
R. de TEIL, VICE POSTULATEUR 列福副請願者 ロジェ・ド・テーユ
テレーズは自叙伝「リストワール・デュ・ナーム」("l'Histoire d'une Âme" ある魂の物語)を遺しましたが、聖女の執り成しによる奇蹟的恩寵の一覧が、1907年にこの自叙伝に付加され、さらに新たな恩寵の報告が、翌年以降も相次ぎました。この結果、教会当局はテレーズ列福に向けた調査の開始を承認し、ローマの跣足カルメル修道会の神父ロドリグ・ド・サン=フランソワ・ド・ポール師
(Le R. P. Rodrigue de Saint-François de Paule) を請願者、パリのロジェ・ド・テーユ師 (Mgr.
Roger de Teil, 1848 - 1922) を副請願者として、運動が始まりました。ロジェ・ド・テーユ師は当時ローマ教皇庁付の司教で、後に子供宣教会 (l'Œuvre de la Sainte-Enfance) の総長となる人です。
聖女の肖像は印刷物ではなく、絵を写真撮影して印画紙に焼き付けたものです。楕円の窓に聖女の肖像、枠部分の左下に聖テレジアのモノグラムを描き、表紙に金箔押ししてあるのと同じ言葉を、フランス語で四隅に記しています。
Je veux passer mon ciel à faire du bien sur la terre. 私は地上に善を為すために天での時を過ごしましょう。
写真はセーピア(SEPIA ラテン語で「烏賊墨」の意)に褪色しています。表面にクラックは検出できませんが、非常に保存状態が良いアルブミン・プリントのように見えます。アルブミン・プリントは1830年代末に発明され、1895年頃までは最も優勢なプリント技術でした。その後はゼラチン・シルバー・プリント(現代のものと同じ白黒写真)に押され、1920年代に完全に消滅しますが、本品が制作された頃、アルブミン・プリントはまだ使われていました。
本品の保存状態はおよそ百年前の品物とは信じがたいほど良好です。特筆すべき問題は何もありません。